22.漂流者ザクレフと古代王国
一通り事情を説明して中へ通された僕たち六人と一匹は、入ってすぐのところの居間兼炊事場に設置されていた丸テーブルの周りに腰を下ろしていた。
ここはザクレフという老人が普段、一人で暮らしている場所だったから、こんなにも大勢の人間が中に入ると、さすがに歩く隙間がなくなるぐらい、部屋の中はぎゅうぎゅう詰めとなってしまった。
ただ、幸いなことに、ザクレフさんはこの居室ではいつも床の上に座って過ごしているらしく、その関係で土足厳禁だったので、比較的、床板は綺麗だった。
そんなザクレフさんの小屋だけど、屋内は三つの部屋に分かれているらしく、今僕たちがいる場所が敷地面積の半分を占める居間で、部屋の奥へと繋がっている通路を行った先の左手が寝室、右手が風呂場や厠になっているらしい。
そんな小屋だった。
「しっかし、お主らが大挙して現れたときにはホンに、何事かと思ったわい」
大分白髪が混ざっている黒髪の老人は豪快に笑った。
「本当に申し訳ありません。いつも突然で」
「よいよい。わしもお主らに助けられた身じゃからの。協力できることがあればいつでも言うがよい」
老人はそう言ってひとしきり笑ったあと、
「とりあえず、オル=ファンジェラ・レイリアやカャトたちとは面識があるが、そちらの若いもんらは新顔ゆえ、改めて自己紹介と行こうかの」
テーブルを囲むように座っている僕やルード、ベネッサを見渡してから、正面に座っていたザクレフさんが口を開いた。
ちなみに、ザクレフさんが言うオル=ファンジェラ・レイリアとは、オルファリアの本名のことで、普段僕たちが呼んでいる名前が愛称とのことだった。
「わしはマラーフ・ザクレフという名のしがない考古学者じゃ」
「考古学者?」
初対面だというのにまるで僕たちを警戒せず、相好を崩しながら話す老人に、僕の左隣のルードが聞き返した。
「うむ。話せば長くなるのじゃが、若い頃にいろいろあっての。五十過ぎた辺りから考古学者に転身し、十数年間、世界中を駆けずり回っておったのじゃ。世界に散らばる古の時代に滅び去った王国ヒルデ・ラー=ガスタスの遺跡を研究するためにの」
「ザクレフ老、あんたも古代王国のことを調べているのか。確か、この森も古代の貴族がどうとかっていう曰く付きの遺物がそこかしこにあるんだったな」
「うむ。既に聞き及んでおるやもしれんが、数年前、わしもこの森に古代王国の遺物が多く眠っておるやもしれんという噂を耳にしての。それでこの森の中へと分け入ってきたのじゃが、いやはや、主らと同じで魔の領域に捕まってしもうての」
そこまでしゃべって笑い声を上げるザクレフさん。
「本来であればあの世逝きになるところじゃったが、運良く幻生獣たちに助けられての。こうして今に至るというわけじゃ」
「なるほど。てことは、俺たちと同じで外に出られねぇから、この小屋で暮らしていたってわけか」
「うむ。一応、小屋自体は幻生獣らが建ててくれたしの。それでどうせ外に出られないのであれば、開き直ってじっくりと腰を据え、のんびりとこの森について調査でもしようと思っての。それでここを拠点に、いろいろ調べておったのじゃ」
そう彼は締めくくった。
一通り目の前の老人の身の上話を聞いて、ルードは苦笑しながら頭をかいた。
「なんつーか、ただじゃ転ばないってところが、あんたたち考古学者らしいな」
「がはは。褒め言葉と受け取っておくとしようかの」
「あぁ。そうしといてくれ――しっかし、古代王国か。魔の領域に関しても調べなきゃならんし。リルよ。例の件、ひょっとしたら、この人だったらわかるんじゃねぇのか?」
そう言って、ルードは僕を見た。
「例の件?」
「あぁ。ほら、なんて言ったか、石碑になんか書いてあったんだよな?」
「あぁ、あのことね」
僕はルードが何を言いたかったのか理解し、ザクレフさんを見つめた。
「先程ご説明しましたが、僕たちは魔の領域の異変を調査するために、泉の石碑に行ってきたんです。それで、そこに比較的新しい文字で、森の女王にまつわる碑文が記されていたのですが、そのことについて何かご存じではありませんか?」
「ん? あぁ……あれか。『七色の空に真白き力現れしとき、森の女王蘇らん』じゃな」
「えぇ」
「ふむ……。正確なことは何も言えぬが、文章そのままの意味で言えば、天が白く染め上げられたとき、森の女王が蘇るということになるかの。そして、ここで言う女王とはおそらくザーレントの妻と言われているアルメリッサであろうの」
「やっぱりそうですか」
予想通りの答えが返ってきて、僕はどこか、ほっと胸を撫で下ろしていた。
僕がもともと持っている知識通りであれば、古代にここを収めていたのはザーレントという貴族で、その妻がアルメリッサという名前だったから、実際に伝わっている歴史と十分に整合性がとれている。
僕の知識が間違っていない証拠だった。しかし、それなのに一つだけ、僕の知識と現実とで食い違っている部分がある。それが読めない文字だった。
本来あそこには古代文字で、『我が最愛の妻、永遠に』という一文が刻まれているはずだった。だけど、それがどこにも見当たらない代わりに、掠れた文字と、本来書かれていないはずの、森の女王云々が記されている。
これをただの記憶違いとみるか、それとも根本的に何かが違うとみるかで、この先の未来が大幅に変わってしまう可能性がある。
「ザクレフさん。もう一つお聞きしたいのですが、石碑にはほとんど読めない文字も刻まれていますよね。あれって、なんて書いてあるかわかりますか?」
「読めない文字? ……あぁ、あれのことかの。ふむ、おそらく古代文字だろうことは察しはつくのじゃが、風化し過ぎてよくわからんのじゃよ。わしもずっと気にはなっておったのじゃがの」
「そうですか」
やはり、オルファリア同様、ザクレフさんにも読めなかったようだ。
なぜこんなことが起こったのか。
本来であれば、あの石碑は亡くなった妻の墓碑だったはず。そのための一文をザーレントが記したはずだった。
かつてこの地で、ザーレントが研究していた古代技術を巡って、大きな戦争が巻き起こったと言われている。
うろ覚えだから判然とはしないけど、例の石碑も確かその技術に絡んだ何かだったような気がする。
しかし、戦争が原因で瀕死の重傷を負った彼の妻が死んでしまったため、あの石碑に碑文を刻み、墓碑としたのだ。
それなのに、まるでその一文が消えてなくなってしまったかのように、掠れて読めない文字がある。
もしかして、あれは墓碑ではなくなってしまったということなのだろうか。もしそうだとしたら、何に変わったというのか。
なんだか嫌な予感しかしなかった。
単に、僕の記憶違いで最初からそんな碑文はあそこには存在していなかったというだけなら別にいい。過去の歴史さえ変わっていなければ。
だけど、僕が知っている歴史とまるっきり別物の歴史に変わってしまっていたからこそ、碑文が刻まれていなかったとしたら……?
異様なまでに胃が痛くなってきた。
ただでさえ、取り逃がしたシュバッソのことや、この森のどこかにいるであろうあの怪物のことで頭がいっぱいだというのに、他のことなんか考えたくもない。
しかし、そんな僕の思いなど露知らず、左隣のルードが口を開いた。
「なんかリル、難しい顔してるな。よくわからねぇが、貴族の名前やそいつに妻がいたってことそれ自体も初耳だが、それよりも、俺には古代王国それ自体がさっぱりなんだよな」
狭い室内だというのに、ルードが太い両腕を頭の後ろに組んで壁に寄りかかったものだから、僕の顔に大男の肘が当たりそうになった。
そんな傍迷惑な男にむっとしていると、彼の隣に腰かけていたベネッサが、ルードに同調するように相づちを打った。
「そうね。一応、最低限の一般常識ぐらいは知っているけどね。千年以上前に滅んだ高度文明社会。今では再現不可能な高度な技術をいくつも生み出した謎の国。唯一その文明の一部を継承している大陸東の大国、ヒルデワルカ帝国でしか詳しい情報を入手できない。それが私たち世間一般人が知り得る知識よね」
「だな。あと知ってることと言ったら、世界中に残っている古代遺跡の多くがその時代のものってくらいか。かつて一世を風靡した大航海時代では、王侯貴族らが遺跡発掘のために大勢の命知らずを世界中に派遣して、墓荒らしとかさせたらしいからな。まぁ、それが大航海時代の走りとも言われているが」
「そうね。あの時代の荒くれ者たちのことを冒険家と呼び、その流れで危ない仕事ばかり請け負う私たち旅人のことを、冒険者って呼ぶようになったわけだしね」
「だな」
天井を見上げてどこか遠くを見つめるようにするルードと、テーブルに肘をついて頬杖つくベネッサ。
そんな二人を見ていた考古学者のザクレフが軽く肩をすくめた。
「まぁ、ザーレントに関することもそうじゃが、わしら学者でもない普通の人間であれば、その程度の認識じゃろうの。じゃが、失われた古代王国を最たる謎多き国に押し上げておるのは、彼の国が独自に編み出した物質構成原理学じゃろうの」
「あ……? レオ……なんだって?」
身体を起こしたルードがぽかんとする。それを受け、ザクレフさんではなく、彼とベネッサの間に座って成り行きを見守っていたオルファリアが、遠慮がちに口を挟んだ。
「物質構成原理学です。物質を構成する最小単位が、原子と呼ばれる微粒子でできているという考えに基づいて起こったとされる学問のことです。そして、それを解明し、自由自在に物質を再構築させるというのが、この学問の最終目標だったと言われています。おそらくですが、現代に伝わっている錬金術は、この学問から派生したのではないかとも言われていますね」
静かに告げる彼女の言葉に、「そういや、そんなものもあったな」と、僕は頭の片隅に追いやっていた記憶を否が応にも引っ張り出されていた。
言葉にすると難解な感じがするけど、要するに物質を原子分解してそれを好きな物質に組み替えてしまおうじゃないかという学問であり、技術のことだった。
実際に古代王国時代にはそれが実用化されていて、永久機関みたいなものもあったらしい。製品を作る際に出た端材を燃料や素材へと変換し、延々と製品を生み出し続ける。そんな夢のような技術だった。
だけどもちろん、その技術によるデメリットも多かっただろうから、結局滅びることになったんだろうけどね。
ちなみに、錬金術は人の寿命を限りなく引き延ばすために発達してきた、薬学などの総称と言われている。物質構成原理学みたいに、無から有を生み出そうとするものではない。
「なんだか余計によくわからん話になってきたな」
「そうね。だけれど、夢があっていいわよね。もし本当にそんなことができるなら、今すぐ絶対に刃こぼれしない曲刀とか作りたいものね」
ベネッサは相変わらず頬杖ついたまま色っぽく笑って見せたけど、僕はそんな彼女に一言物申したい。そこは指輪とかの宝飾品じゃないのかと。
額に碧玉のサークレットを身に付けているから、まったく飾りっ気がないわけじゃないのに、真っ先に思いつくものが武器とか。さすがベテラン冒険者というより他ない。
「まぁ、とにかくじゃ。お主らは魔の領域について調べておるんじゃったな? そのために、あれに関係していそうな遺跡などを調べておると」
「……はい、そうです」
話の腰が折れたのを見計らって、ザクレフさんが話題を切り替えてきたので、代表して僕が頷いた。
「じゃったら、ここから北にある廃村遺跡を調べてみるのもいいかもしれんの」
「廃村遺跡……」
僕はその聞き馴染みのある単語を耳にし、思わず心臓が鷲掴みにされたような気分となった。なぜならば、そこにはあいつがいるかもしれないからだ。この森を調べていたら、いずれ必ず遭遇することになる悪逆非道な怪物が。
そして、すべての災いの元凶となるあいつを打倒するためには、どうしても訪れなければならない場所でもある。なぜならば、廃村遺跡の更に奥にあるあの場所に、強力な助っ人となるあの人が存在しているからだ。
「そこも古代王国にまつわる遺跡か何かですか?」
口ごもってしまった僕の代わりに、ベネッサが問い返していた。
「うむ。魔の領域に関係あるかどうかはわからんが、行く価値は十分あるじゃろうて」
そう返したザクレフさんのあとをオルファリアが続ける。
「もしあそこに行くのでしたら、明日の早朝から出かけた方がいいかもしれませんね。あそこまではそれなりに距離がありますから」
そう締めくくる彼女。僕やルード、それからベネッサは互いに顔を見合わせ、
「そうするか」
「そうね」
ルードとベネッサの返事に僕は黙って頷いた。そして、そのままオルファリアへと視線を投げる。彼女は僕と目が合っても視線を逸らすことなく、ただ寂しげに口元を微笑ませるだけだった。
僕はそのときの彼女が心のうちに何を秘めていたのかよくわからなくて、胸に軽い痛みを覚えながらも、黙って微笑み返した。そして、そのままの流れで、僕のすぐ右隣に視線を向けた。
そこにはカャトとアーリが座っていたはずだったけど、既にちびっ子たちは丸くなって気持ちよさそうに眠りについていた。
平和な光景。オルファリアもだけど、決してこの子たちを死なせてはいけない。そのためだったら僕は……。
愛らしい姿を見せてくれる二人をじっと眺めながら、迷う心を抑えるために、懸命になって自分自身に言い聞かせるのだった。
――すべてを捨てる覚悟で彼女たちを守り抜け、と。
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