19.因縁の男2
――コルギル・シュバッソ。目の前にいる男こそが、この泉で長銃ぶっ放してカャトに怪我をさせ、それだけに飽き足らず、この森で繰り広げられる冒険の最終局面でオルファリアを刺殺した張本人だった。
オルファリアが幼少期の頃、人間との諍いに巻き込まれて深く心に傷を負い、極端なまでに争い事を毛嫌いするようになってしまったというのに、そんな彼女をさんざか化け物扱いして執拗に追いかけ回し、命を狙い続けた人間至上主義の男。
僕はこいつを倒すためだけに、これまで辛酸をなめさせられてきたようなものだった。
あとで遭遇するはずのもう一人の怪物共々、すべてを駆逐するためにきつい剣術修行や人間には習得不可能とされる魔法まで身に付けた。
故郷を旅立ったあと、故国であるイルファーレンを旅しながらも、やりたくもない盗賊狩りや戦争にまで駆り出され、生と死の狭間を生き続けてきた。それもすべてはこの日、このときのため。
誰かに見られたら確実に異質で化け物扱いされると思って、ひたすら隠し続けてきた魔法の力だったけど、今こそ、それを使うときだった。
「お前はぁ! ここで倒れろよっ」
激流のように全身を流れる精霊力が両手に雪崩れ込む感覚に意識を持っていかれそうになりながらも、かろうじてそれを制御し、一気に解放した。
たちまちのうちに、手にした長剣の剣身が炎に包まれる。
炎の魔剣。まさしくそう呼ぶに相応しいほど、爆発的な力をまとった炎龍の剣へと変異していた。
故郷を出てきたときには掌からしょぼい炎を出すことしかできなかった僕だけど、この二年間、人がいない場所でずっと自分なりに研究し、鍛錬し続けてきた。そのおかげでこんな芸当までできるようになっていた。
眼前の男はそんな僕が繰り出した炎を目撃し、かっと目を見開きながら、明らかに驚愕していた。
僕は身体の奥底から湧き上がる狂気にも似た感覚に酔いしれ、支配されそうになりながらも、一気に距離を詰めた。
「お前はいったい、なんなんだっ。何をした! なんだその力はっ」
一跳足に距離を詰め、炎に包まれた剣を振り下ろすと見せかけて、横薙ぎに一閃しながら、僕は笑った。
「これかい? これはね、魔法って言うんだよっ」
ガンッ。
すんでのところで持っていた長銃で炎の剣撃を防いだシュバッソだったけど、僕が繰り出した一撃は圧倒的だった。
本来であれば、目の前の男と僕の力は拮抗しているか、僕の方が弱いぐらいだったけど、今の僕は明らかにこいつより上だった。
「化け物がっ」
魔法の力で強化された剣撃を相殺できなかったようで、僕の一撃を受け止めた長銃が木っ端微塵に粉砕され、宙を舞っていた。
顔面蒼白となった眼前の男は、後方へと飛び退くことしかできなかった。
気分がよかった。この瞬間まで、もしかしたら勝てないかもしれない、助けられないかもしれないと、心のどこかでずっと不安に感じていた。だけど、すべては杞憂だった。
これだったら絶対に負けないし、こいつさえ倒せば、オルファリアは救われる。
彼女以上に非人間的な力をこいつの目に焼き付ければ、自動的に僕を化け物と認識し、たとえ討ち損じたとしても、僕だけを執拗に追いかけてくるようになるはずだ。そうすれば、彼女は狙われなくてすむはず。
「無様だな! 化け物と罵った相手に、まったく太刀打ちできないんだからっ。よくそんなんで、今まで世の中渡り歩いてこれたよな!」
「うるさいっ、黙れっ。調子に乗ってんじゃねぇぞ、クソガキが! イカれた化け物の分際で、人間様のこの俺に生意気な口利いてんじゃねぇ!」
「はっ。何が人間様だよ。そんなに人間が偉いって言うのかよっ。だったらっ。下等生物と見下している僕みたいな化け物に蹂躙されて、ただ死を待つだけのお前はいったいなんなんだよ! 人間でも化け物でもない、ただのゴミカス野郎がっ」
僕はわざと挑発するように叫んで、更に炎を爆発させた。無数の炎龍のような姿となった真っ赤に燃えさかる蛇たちが、渦を巻くように剣身の周囲をぐるぐる舞い踊り始めた。
それを見たシュバッソは驚愕にかっと目を見開き、完全に動きを止めた。
戦意喪失したように血の気の引いた顔をしていた。
僕は心の奥底に渦巻くよくわからない感情に翻弄されながら、悲劇の歯車を打ち砕くために、一気に距離を詰めた。そして、そのまま容赦なく戦闘不能の一撃を加えようと、硬直したままだったシュバッソの頭頂部目がけて素早く剣を振り下ろそうとした――しかし、そのときだった。
「だめぇ~~! リルっ、やめてぇっ……!」
夕闇を切り裂くような甲高い声が後方から上がっていた。
その一声で、現実に引き戻されたような感覚となった僕は、眼前の男の額をかち割るかどうかといった寸前で、身体が動かなくなってしまった。
その一瞬の隙を見逃すシュバッソではなかった。
「ちぃっ。おいっ、バーミリオンっ。いったん引くぞっ」
そう叫び、髪の一部を焦がしながらも、勢いよく右手側の湖奥へと駆け始める男。そして、振り返りながら、
「これで勝ったと思うなよ、化け物がっ。必ず貴様の息の根を止めてやるっ」
そう叫んで、その場から逃げていった。
「待てっ」
金縛りから解放された僕は、慌ててあとを追いかけようとしたけど、そこへいつの間にか走り寄ってきていたオルファリアが、背後から抱きしめるように僕を拘束してきた。
「オルファリア!?」
「だめっ、リル! 殺してはダメ! そこまでする必要なんてないっ……」
「何言ってるんだよっ、オルファリア!」
逃げていったシュバッソは持っていた剣も長銃もすべて失っているとは言え、ここであいつを殺さないまでも戦闘不能にしておかなければ、あとあと何が起こるかわからない。もし目の前でオルファリアやカャトたちが死のうものなら、悔やんでも悔やみ切れなかった。
「オルファリア、手を離してっ。あいつを生かしておいちゃだめだっ。必ず、災いとなって降りかかってくる! 見ただろ!? あいつが僕たちに何をしたのか! カャトを銃で撃とうとしたんだぞっ」
「わかってる……! リルが言いたいことはなんとなくわかってる……!」
「だったら……!」
「だけどっ、それでもダメ! たとえ相手が悪人だったとしても、殺し合いなんて絶対にダメ! 嫌なの! 誰かが傷つくのはもう見たくない! リルも他の人たちにも、かつて私が犯したような罪を背負って欲しくない……! 私や……母様に起きた悲劇を繰り返して欲しくないの……! 争い事なんて……もうたくさんよっ……」
彼女は泣き叫ぶようにそう吐露し、一歩も引く気配を見せなかった。そうこうするうちに、逃げていった男の姿はどこにも見当たらなくなってしまった。
「くそっ」
あと一歩というところまで追い詰めたというのに、それなのに取り逃がすとか。
この感情をどう表現していいかわからなかった。
本来だったらここであいつを仕留められていたはずなのに、なぜか、予想外の行動に出たオルファリアのせいで、すべてが台無しになってしまった。
彼女のためを思ってずっとがんばってきたのに、それなのに……!
僕は絶望にも似た思いに駆られながらも、そこまで考えたときにやっと、失念していた事実に気が付いてしまった。
「そうか……くそっ……そういうことかよっ……」
彼女が見せた言動の裏に何があったのか、今更ながらにその真意に気が付いてしまい、酷くやるせない気持ちとなってしまった。
ここまでの反応を見せるとは思ってもみなかったけど、なんとなく、最初からわかっていたことだった。
僕の背中に抱きついて、微かに震えてさえいる彼女がなんでこんなことをしたのか。
僕が知り得る限り、彼女は例の死傷事件によって、心に深い傷を負っている。
母と子、二人して巻き込まれた血みどろの争いのせいで、他者の生き死にについて深く思い悩み、極端なまでに争い事を嫌うようになってしまったのだ。
誰も傷ついて欲しくない。誰にも死んで欲しくない。
呪いのように心を蝕む楔。それがずっと、彼女の心を闇の中に閉じ込めている。
記憶違いであって欲しかったけど、やっぱりこの辺は、僕が持ってる知識通りの現実が、過去に起こってしまったらしい。
本当に世の中ままならなかった。
この陰惨な事件がなかったら、おそらく彼女は魔の領域に囚われた僕たちを助けようとは思わなかっただろう。事件が起こらず、他の幻生獣たち同様、人間の死をなんとも思っていなかったら、そもそも助けようなんて思わないわけだし。
だけどその一方で、事件に巻き込まれて深く傷ついたからこそ、たとえ自分たちが死ぬことになったとしても、殺し合いなんて絶対に受け入れられない。
「くそっ……」
彼女は未来の歴史を知らないから当たり前だけど、これじゃ、オルファリアの前であいつを再起不能に追い込めないじゃないか。
改めていろんなことに気付かされ、なおかつ、訪れたなんとも言えない残念な結末に絶望していると、逃げていったシュバッソとは対照的に、未だに少し距離が離れたところで呆然と立ち尽くしていた長身の金髪男が、後頭部にまとめた長い髪を揺らしながら引きつった声を上げた。
「ま、まぁ、お怒りはごもっともだよな、うん。いきなり攻撃されちゃ、怒るよなぁ……あは、あはは――と、というわけでだ……おい、ディアナ! とっととずらかるぞっ」
ひたすら乾いた笑い声を上げたあと、長槍を持った長身の男は側にいたもう一人の女の子の腕を引っ張りながら、右手方向へと勢いよく走り出した。
「ちょ、ちょっと、バカ兄貴! 痛いから引っ張らないでよっ。ていうか、何あの人!? メチャクチャ格好いいんだけど!? てか、さっきのあれ、なんなのよっ。剣が燃えてたんですけど!? ていうか、きゃは……凄い! あたし、ちょっとお近づきになりたいかも!?」
金髪ボブカットの愛らしい女の子の方は、なぜか兄と思しき男に引きずられる形となりながらも、ひたすら僕に熱い視線を浴びせてきた。しかし結局、金髪兄妹はそのまま先に逃げていった男のあとを追うように、その場から姿を消すのであった。
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