17.泉の石碑に秘められた謎
石碑のある泉というか、小さな湖の周囲には一切の樹木が生えておらず、丈の短い草木が伸びているだけの開けた場所となっていた。
一見すると湖畔のような開放感のある場所で、地面もゴツゴツとした石塊などがところどころに転がっている程度。
湖中央にある巨大な石柱が建っている小島と湖畔は、一本の土手のような道で繋がっていたので、そこを歩いていけば渡れるようになっていた。
「んん……ふあぁ……ぁ……姉ちゃん、ついたの……?」
周辺一帯の状況を物珍しく眺めながら水辺へと歩いていたら、隣を歩いていたオルファリアの背中から眠そうな声が聞こえてきた。
「えぇ。ついたわ」
彼女はそう言って、ちびっ子を地面に下ろす。
「……にぃに……お腹すいたのです……」
カャトの声で目を覚ましたのか、僕の腕の中で眠っていたアーリも眠そうにむにゃむにゃ言いながら、目をこすってぼそっと呟く。
「もう既に夕暮れ時だから、そういう頃合いなのかもしれないね」
僕も彼女を地面に下ろしたあとで、軽く頭を撫でながらオルファリアを見た。
「今日はここで野営になる感じ?」
「そうですね……。特に問題なければここでも構いませんが、ここから少し離れたところに知り合いが住んでいる小屋があるので、そこで一泊させてもらうという方法もありますが」
「なるほど」
「はい。ですが、せっかく日が暮れる前にここまで来られたわけですし、少し調べておきたいところですね」
「そうだね。あの石柱は特に気になるからね」
僕は陰り始めた太陽のせいで、暗くなっている前方の石碑を見上げた。
あの石柱がどれほどの大きさなのかはわからないけど、直径百フェラーム(約百四十メートル)ほどありそうな湖にも引けを取らないくらいの大きさだった。
そこから考えるに、八フェラーム(約十一メートル)ほどの高さがあっても、おかしくはなさそうだった。
「とりあえず行ってみよう」
「そうですね」
二人の子供を連れ、先頭に立って石碑へと歩いていくオルファリアに続いて、僕は湖の上を走る土手の上を歩き始めた。しかし、
「リル」
すぐに、後ろからルードに呼び止められた。
「うん? どうかしたの?」
「嫌な気配がする。俺たちはここで待っているから、おめえさんたちだけで調べてこい」
そう言って意味深な視線を送ってくる。僕はそれが何を意味しているのかすぐに察知した。
おそらく、ここに来るまでずっとつかず離れずの距離を保っていたあいつらが、すぐ側まで近寄ってきているということに気が付いたのだろう。さすが、ルードもベネッサもベテラン冒険者といったところか。
「わかった。あとは任せた」
「あぁ。大船に乗ったつもりで行ってこい」
厳しい表情を浮かべるルードはベネッサと互いに顔を見合わせ頷き合うと、暗くなり始めていた周辺一帯に鋭い視線を投げ始めた。
僕はそんな頼もしい二人と一緒に行動できて本当によかったと思った。本来の歴史であれば、僕やオルファリアがここに辿り着いたとき、ルードもベネッサも側にはいなかった。そのせいで、ここを調査中に巻き起こった悲劇の一端を防げなかったのだから。
「リル……?」
立ち止まって後ろを眺めていたせいか、オルファリアが怪訝そうに声をかけてきた。
「あぁ、ごめん。なんでもないよ」
僕は再び前を向き、眉間に皺を寄せているとびっきり愛らしい彼女に微笑みを返してから、歩き始めた。
「ねぇねぇ。相変わらずおっきいよね~」
「だよねぇ! これって、なんのためにあるんだろうっ?」
ちびっ子二人は既に巨大な石碑の真下に移動していて、空を見上げるようにしていた。
遅れてそこへと到着した僕とオルファリアは、そんな二人の背後から石柱を眺めた。
一辺の長さが大体、大人一人両腕伸ばしてギリギリ届くかどうかといった大きさの、四角錐の形をしている。角錐だから、上に行けば行くほどどんどん細くなっていく。
石柱表面は黒曜石を思わせる艶光りした材質となっていて、何やら紋様のようなものが無数に描かれていた。
中には文字のようなものも刻まれていたけど、残念ながら風化していてほとんど読めなかった。しかし、いくつか比較的新しめな文字も刻み込まれていて、そちらだけは判読できた。
『七色の空に真白き力現れしとき、森の女王蘇らん』
そこには現代の僕たちが使っている共通語であるレオグラード語でそう書かれていた。
「これ、どういう意味だ?」
ぼそっと呟いた僕の声に、同じように隣で石碑を眺めていたオルファリアが、
「それはおそらく、大昔に私たちの村の誰かが書き記したものだと思います」
「そうなの?」
「はい。私たちの村には古い言い伝えが残っているんです。『七色の空に真白き力現れしとき、森の女王蘇らん』と。これが何を意味しているのかはわかりませんが、この森にはかつて、森の女王と呼ばれていた女性が住んでいたと言われています。古代王国時代の貴族とともに。もしかしたら、それが関係しているのかもしれませんが、真相を知る者は誰もいません。数百年という歳月を生きている最長老のナファローの族長様であれば、何かご存じかもしれませんが」
「なるほど。そんな言い伝えがあったのか」
僕は言いながら、そういえばそんな話もあったっけなぁと、記憶の片隅に引っ込んでしまっていた古の時代にまつわる知識を引っ張り出していた。
オルファリアが言う通り、確かにこの森には森の女王と呼ばれていた一人の女性が古の時代に住んでいた。その人の名前はアルメリッサ。
かつてこの森を支配下に置いていた研究者でもあり、古代王国時代の貴族でもあったザーレントの妻だった女性だ。
確か、僕が知っている過去の歴史では、この石柱は彼女のための墓碑だったような気がする。それが証拠に、古代に使われていたレオ・グラファルド語で『我が最愛の妻、永遠に』と、この石柱に記されているはずだった。
しかし、それらしい文字がすべて風化して読めなくなってしまっている上、僕が知らない森の女王云々という、本来書かれていないはずの碑文まで記されていた。
これはいったいどういうことだろうか?
ひょっとして、僕が本来予定されていた行動とは違う、別の言動を取ったせいで、歴史が変わってしまったということなのだろうか。
しかし、それで影響するのはおそらく未来の出来事だけ。僕が生まれる前の過去の歴史が変わってしまうなんてこと、あるはずがない。
だとしたら、いったい、これはどう解釈すればいいのだろうか。
ひょっとして、僕の記憶違いとか?
端から僕の記憶が間違っていて、その間違った知識を真実と思い込み、曲解して過去や未来の歴史を誤認してしまったとか?
一応五歳のとき、覚えていることすべてをメモしようとしたことが何度かあったけど、結局いろいろあってやらなかった。
理由は簡単で、未来のことが書かれているということは、それはつまり予言の書に他ならないからだ。そんなものを他人が見て、書かれている内容の意味に気が付いたら大騒ぎとなってしまう。
なので、忘れないように何度も頭の中で反芻し、記憶に留め置くだけにしたのだ。
しかし、それがここにきて、もしかしたら思わぬ落とし穴となってしまったのかもしれない。故郷を旅立ってからの二年間、本当にいろいろあったからな……。
それこそ、すべての記憶が吹き飛んでしまうくらい、辛い出来事が……。
「ねぇ、オルファリア」
僕は頭を混乱させながらも、とりあえず、石碑の調査を再開した。
「はい、なんでしょうか?」
「この辺に、他に文字のようなものが書かれているような気がするんだけど、これ、読めないかな?」
そう言って、僕は風化している文字のようなものを指さした。
「ごめんなさい。以前からそこに何が書かれていたのか何度も調査してきたのですが、誰も判読できなかったのです。一応、私含めて文字の読み書きができる村の者たちは古代王国時代の文字も読めるのですが、さっぱりで。おそらく、文字だとは思うのですが……ごめんなさい」
「そうか――いや、ちょっと気になっただけだから、大丈夫だよ」
申し訳なさそうに俯いてしまう彼女に、僕は慌てて手を振った。
「だけど、どうしようかな……」
「リル……?」
「いや、なんだか妙に気になるんだよね、この石碑」
僕が知っている歴史との間にできた微妙なずれ。これに関してはおそらく、現時点ではまだ情報が少なすぎるから、いくら考えても答えは出ないだろう。だからこの際、今はとりあえず置いておくしかない。
しかし、このずれの内容いかんでは結構やばいことになってくるので、そこに一抹の不安を覚えていた。
単に碑文の内容が少し違っていた程度の記憶違いだけだったらまだいいんだけど、問題なのは、僕の記憶がまったく間違ってなくて、なのに知ってる歴史とまるっきり違っていた場合だった。
もし本当にそんなことになったら大変なことになる。
僕が持つ過去や未来の知識がまるで役に立たなくなり、この先の展開がまったく読めなくなってしまうからだ。
なんか、とてつもなく嫌な予感がした。この石碑にまつわる記憶のずれが、今後の僕たちの運命を思い切り左右する分岐点になってくるかもしれない。
「どうしますか? とりあえず来てみましたが、以前巡回したときとほとんど状況は変わっていないのですが」
肩が触れそうな距離にいるオルファリアが、横からじっと見つめてくる。
一瞬、その犯罪的とまで言える美しい瞳に魂が引っこ抜かれそうになってしまい、それまで頭をよぎっていた不安のすべてが吹っ飛んでしまった。
「そ、そうだね。石碑それ自体におかしなところは見当たらないし、これ以上ここにいてもなんの収穫もなさそうだから、別の場所に移動しようか」
「そうですか。それがいいかもしれませんね」
いつも何かに怯えたような儚げな表情を浮かべていたオルファリアが、珍しくクスッと微笑んだ。そのあまりにも可愛らしい笑顔に思わず見とれそうになってしまったけど、そこへどうやら集中力が切れたらしいカャトとアーリが僕たちの腰に飛びついてきた。
「姉ちゃん! おいら腹減ったよぉ~!」
「アーリもお腹すいたのです!」
服を掴んでその場を飛び跳ねるちびっ子二人。僕たちは互いに顔を見合わせつつ、苦笑した。
「とりあえず、少し休息を取ろうか」
「そうですね」
その一言を待っていたかのように、ちびっ子二人が「やったぁ~~!」と叫んで大はしゃぎとなる。
僕たち四人は、大分日も暮れかかってきて薄暗くなり始めていた湖の上の道を、仲良く引き返していった。
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