12.魔の領域1
案内された場所は、丁度閉じ込められていた小屋から見えていた、ツリーハウスの正面に設けられた広場だった。
その中央に、大木の切り株で作られた直径三フェラーム(約四メートル)ほどの丸テーブルが設置されていて、その周囲に、やはり小さな切り株で作られた椅子が十数個置かれていた。
そこに着席した僕たち三人。
対して、あの女の子はテーブル挟んだ僕の真正面の椅子に腰かけ、その隣に緑色の髪を生やした人間の子供のような小人が座った。
小屋で見かけた長身の白毛木人は椅子に座らず、僕から見てあの子の左側に立つ形となった。
それ以外の者たちは各々、テーブルの周囲を取り囲むように、遠巻きに集まっている。
更に、この集落に住む他の者たちも大勢集まってきているようで、次から次へと数が増えてきていた。
彼らから向けられる好奇の眼差しや、それ以外の明らかに敵意や殺気とわかるような、肌にピリつくような感覚のせいで、異様なまでに居心地が悪くなってくる。
十中八九、僕ら人という生き物は歓迎されていないということなのだろう。
確か、僕が持つ知識でもそうなっていた気がする。
「ではまず、端的に状況だけ説明しよう――オルファリアよ」
そう第一声を発したのは小人のような髭を生やした者だった。オルファリアと呼ばれた隣の女の子は、小人と目を合わせて軽く頷いたあと、僕たちに視線を向けてきた。
「それではご説明いたします。どうしてあなた方を助けることになったのか。まずはそのいきさつからお話しいたします」
愁いを帯びた表情を浮かべる彼女の水色の瞳は、どこか寂しげな光を宿していた。
「いつの時代からなのかは、はっきりとしていません。ですが確かなのは、この広大な森には、空も大地も樹林の中にも、魔の領域と呼ばれる人族だけを殺める結界のようなものが半球状に張り巡らされているということ。あなた方は不幸にもそれに捕まり、命を落としそうになってしまったのです。そのため、普段であれば決して助けたりなどしないのですが……」
どこか感情を抑えたような、抑揚のない静かな声でそう告げたオルファリアは、なぜかそこでいったん、口をつぐんでしまった。
彼女はどこか、ためらうように微かに唇を開けては閉じてを繰り返したあと、再び、伏せ目がちだった眼をこちら側へと向けてきた。
「……あなた方とあのような出会い方をしたとは言え、気が動転してしまった私は慌ててその場から逃げ出してしまいました。その結果、何が起こったのかはご存じの通りです。追いかけてきたあなた方が悪いと言えばそれまでですが、それでも、私のせいで誰かが死ぬ姿など見たくはありません。ですから、無理を言ってみんなを説得し、ここへとお連れしたのです」
そう言って、彼女は俯いてしまった。
そんな彼女にルードは、
「なるほど、つまり意味もわからず俺たちがあんなところに押し込められてたっていうのは、何も閉じ込められていたわけじゃねぇってことか。本来なら、生きるも死ぬも俺たちの自己責任だったつーのに、親切にも負い目を感じて助けてくれたと」
そう確認するように、眉間に皺を寄せながら声をかけた。
オルファリアは再び微かに顔を上げると、上目遣いにじっと僕たちを見つめてきた。
「……はい。治療する必要もありましたし、あのまま放っておいたら命に関わりますから」
彼女はそう締めくくるように言った。
一通りの事情を説明されたルードは、腕組みしながら難しい顔をした。
「なるほどな。大体の事情はわかった。しかも、なんか迷惑かけたみたいだし、一応、礼だけは言っておかないとだな。何しろ、どっかの誰かさんのせいで、危うく死ぬところだったわけだし」
そんなことを言いながら、なんか知らないけど、意味深な視線を僕に向けてきた。
ぐうの音も出ないとは、まさにこのことだろう。
後ろめたさからか、頬が引きつるような感覚を覚えて居心地が悪くなってしまった。しかし、そんな僕とは対照的に、ルードはそれ以上突っ込んだことを言う気はなかったようで、空を見上げた。
「――しっかし、あのおかしな場所の正体が、まさか死をもたらす魔の領域だかっていう、ご大層なもんだったとはな……」
「そうね……しかも、人族って……それって私たち人間だけを殺すってこと?」
ルードもベネッサも互いに渋い顔を浮かべる。
オルファリアはそんなベネッサの問いかけには答えず、何やら辛そうに顔を曇らせるだけ。そのため、代わりに小人があとを継いだ。
「言葉通りだ。あれはお前たち人間だけを喰らう。なぜあんなものがこの森の中に生じているのかはわからんがな。何しろ、我らがあれを作ったわけではないゆえ。だが、あれの効果が及んでいる領域に人が立ち入れば、必ずや早晩、死に絶えることだけは確かだ。現に、これまであそこに入って死んだ奴らは計り知れん。お前らも死にかけていたわけだしな」
仏頂面で腕組みしながらそう答えた小人の言葉を受け、何かに気が付いたようで、ルードが双眸を大きく見開いた。
「ちょっと待て。まさかとは思うが、もしそれが本当なら、この森が人喰いと呼ばれているのは……」
「ふむ。人喰いか。お前ら人間どもがここをどう解釈しているのか知らんが、まぁ、この森を人喰いの森と呼んでいるのであれば、おそらくはそうなのであろうよ」
入ったが最後、生きて帰ることはできず、みんな行方不明となってしまう。この森が人喰いと呼ばれているのは、この森を半球状に覆い尽くしている魔の領域と呼ばれる不可視の殺人境が存在しているからだった。
おそらく、半球状とは言っているけど、地上だけでなく地下にも似たような領域があるんだと思う。
僕は予備知識として知っていたからそこまで驚くことはなかったけど、それでもあの魔鏡を思わせる歪みきった空間で味わった苦痛を思い出すと、全身から力が抜けていくような感覚に襲われてしまう。もう二度と、あんな思いはごめんだった。
ただ、そんな魔の領域だったけど、唯一の救いと言えば、森全体があの領域に覆われていないということか。
魔の領域の外縁部からどのくらい内側までが、死をもたらす領域になっているのかわからないけど、空から見下ろした時、有効範囲が帯状になっていることだけは確かである。
「ともあれ、先程説明した通り、お前らは不用意にも魔の領域へと足を踏み入れ死にかけていた。本来であれば、今まで通りお前ら人間を助けるような真似はせず、息絶えるまでそのまま放置しておくつもりだったのだが、今回ばかりはさすがに事情が違った。それゆえ、助けた。ただそれだけのことだ」
小人はつまらなさそうにそう吐き捨て、そっぽを向いた。
ルードとベネッサはそんな彼の反応を見て、互いに顔を見合わせ、困ったような表情を浮かべる。
「なんだかよくわからねぇが、厄介なところに足を踏み入れちまったことだけは確かみてぇだな。しかも、あんたら幻生獣、だったか? どうやら俺たち人間は、あまり歓迎されてねぇみてぇだしな。本当なら、人間なんか助けないとまで言ってたぐらいだし」
呟くようにそう言った彼の言葉に、緑の小人がすかさず反応した。
「当たり前だ。人間など、元来助けるに値しない生き物なのだからな」
そう言って、僕たち一人一人を睨み付けてきた。
「人は今も昔も変わらず、己が欲望のためだけに平気で他者を害するような生き物だ。我ら幻生獣と違い、同族同士でも平気で相争うことが多い。そうだろう?」
どこか憎しみすら感じさせる口調で問い質してくる。
あの口ぶりからすると、おそらくこれまでにもいろいろと人間たちとの間に少なからぬ諍いを生じさせてきたのだろう。それこそ、僕が知らない大小様々なもめ事や、殺し合いに発展するようなものまで。
周囲で遠巻きに見ていた他の幻生獣たちも、小人の言葉に同調したのだろうか。皆一様に怒気をはらんだ視線を向けてきていた。
もしここでこれ以上彼らを不快な気分にさせようものなら、おそらく僕たちは八つ裂きにされてしまう。そんな気さえした。
「まぁ、あんたが言う通り否定はしないさ。人間は結局のところ、争い事が好きな生き物みたいだからな。そのことについてとやかく言うつもりもないし、弁明するつもりもない。俺たち人間が嫌いだから、今すぐここから出ていけって言うなら、大人しく従うさ。それがお互いのためだろうしな。ただその前に一言だけ、改めて礼を言わせてくれ。助けてくれて感謝する」
ルードはそこでいったん言葉を切り、深々と頭を下げた。僕やベネッサも、慌てて頭を下げる。
「ふんっ。殊勝な心がけだな」
「そりゃぁ、まぁな。恩義に報いるのが正しい人間のあり方だしな」
そう言ってニヤッと笑ったあと、表情を戻した。
「――で、だ。結局のところ、俺たちゃこれからどうすりゃいいんだ? 助けてくれたことには素直に感謝もするし、出ていけと言うなら今すぐにでも出ていくんだが、普通にここから元いた場所へと戻れるのか?」
平凡な人生を歩んでいれば、決して会うことのない幻生獣という名の異形なる者たちに囲まれているというのに、既にこの状況を受け入れてしまったのか。
ルードは気圧されることなくそう返していた。
それに対して小人はつまらなさそうに鼻で笑う。
「お前の言う通り、本来であれば今すぐにでもこの森から出ていってもらいたいところなのだが、そうも言っておれん事情がある――オルファリアよ」
緑の小人はそう言って、隣を見た。名前を呼ばれた彼女は軽く頷き、遠慮がちに僕たちを見る。
「オーバルザーラの族長様もおっしゃっていましたが、本来であれば今すぐにでもあなた方を解放したいところなのですが、諸事情によりそれができない状態にあります。一つは私たちの存在を外へと口外する恐れがあること。もう一つは魔の領域の存在です」
そのあとを、オーバルザーラの族長と呼ばれた小人が、さも残念そうに続けた。
「知っての通り、魔の領域は人を殺す場所だ。外からうちに向かって通り抜ける分には死をもたらす力のかかり方が弱いらしいから、俺たちが引っ張りさえすれば、死ぬ前になんとか領域を突破することもできるかもしれんが、その逆はかなり難しくなる。流れに逆らう形になるからか、負荷がかかり過ぎて、短時間で抜けきらないと高確率で命を落とすことになるらしい。大昔、実際に似たような事例を経験しているから既に立証済みだ。それゆえに、俺が記憶する限り、生きて森の外へと帰還した人間は誰もおらん」
「……なるほど。そうだったんですか」
そんな仕組みがあっただなんて知らなかった。族長は呟くように返した僕の言葉に頷いた。
「あぁ。それゆえ、本当なら今すぐにでも追い出したかったところをぐっと堪え、お前たちが目を覚ますまで小屋で軟禁しつつ、処遇について協議を続けておったのだ。そして、その結果、二つの結論を出すに至ったというわけだ」
「結論? 二つ?」
僕の問いに、族長が頷く。
「うむ。即ち、この森のことを口外させないようにするために記憶を消去した上で、無理を通してでも魔の領域外へと連れ出す方法。それが一つ目の結論だ。運がよければ生きて外へ出られるだろうが、高確率で死亡するだろう。まぁ、死んでくれた方が手間が省けるが、オルファリアが助けろとうるさいからな。ゆえに、この方策は却下した」
意味深に鼻で笑う小人族長に、隣で儚げな表情を浮かべていたオルファリアの双眸がす~っと、細くなったような気がした。僕はそれを見て苦笑しながらも、
「死亡……はちょっと、ね」
そう呟き、愛想笑いを浮かべた。
個人的には、今すぐこの森から出ていきたいとは思っていない。
僕の目的はあくまでもこの森そのものにあったからだ。
幼少の頃からずっと思い描いてきたオルファリアとの出会い。それがようやく叶ったのだ。なのに、何もせずにいきなりさよならなんて、できるはずがない。
もしそんなことをしたら、彼女が死んでしまう可能性が高いし、何より、僕が記憶する未来の歴史通りの事件がこの森で起こった場合、おそらく、彼女たちは元より、この周辺一帯の生き物すべてが死滅することになる。
そんなこと、絶対にあってはならなかった。
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