10.人喰いの正体
「おい、ありゃいったいなんだ? 人なのか……?」
「……そんなの、私に聞かれてもわからないわよ」
木々の間に隠れながら、盗み見るようにしていた僕たち。
僕の後ろにいたベテラン冒険者の二人は、戸惑ったように小声で話していた。
「おい、リル。おめぇさん、なんだかあれのこと気にしてたみてぇだが、知り合いか何かなのか?」
「そうじゃないけど……でも、ある意味そうかもしれない」
「なんだそりゃ……?」
敢えて曖昧な言い方をした僕に、狐につままれたような声を発する大男。僕は振り向かずに後ろの二人に言った。
「とにかく。僕が彼女と接触を試みるから、二人はそこにいて。いい? 絶対に彼女を攻撃しないで。刺激も与えないで」
僕はそれだけを言って一歩前に踏み出した。
「お、おい……!」
それを制止しようとルードが声をかけてくるけど無視した。
僕は黙ってゆっくりと前へ前へと歩いていった。高鳴る鼓動を懸命に抑えながら、彼女を説得するために近寄っていった。しかし、僕の歩みはすぐに止められることとなった。
「誰……!?」
五、六歩前へ歩いた辺りで突然歌が止み、それまで奏でられていた調べとよく似た、綺麗だけど刺すような鋭い声が、静謐な森の中に木霊した。
僕はそこから一歩も動かず、二フェラーム(約三メートル)ほどはあろうかというほどの巨大な岩の上に座っていた彼女へ笑顔を向けた。
「僕は怪しい者じゃありません。行方不明になった村人を探しにこの森に入ってきた、ただの冒険者です。ですが、あなたたちにも話したいことがあって――」
まるで敵意がないことを示すために両手を広げて、極めて友好的に接したつもりだった。しかし、彼女は僕の話を最後まで聞いてくれなかった。
空を飛ぶように一気に岩から右手方向の森へと跳躍すると、そのまま無言で走り去ってしまったのである。
「ちょ、ちょっと待ってっ。僕の話を聞いてくれ! とても重要な話なんだよっ」
しかし、懸命に叫ぶ僕の訴えはまったく聞き入れてもらえなかった。
「くそっ。やっぱりこうなるのかよっ」
本来の歴史でも同じように逃げられている。やっぱり、滅びの運命は変えられないということなのだろうか。
「ルード! ベネッサっ。彼女を追いかけるよっ」
「あ……?」
事の展開についていけてないらしく、二人は呆けていたけど、彼らに説明している暇なんかない。
彼女を追いかけないと、大変なことになる。
僕は返事も待たずに、すぐさま、彼女が消えた森の中へと走り始めた。
「おい、バカっ、リル! どこ行きやがる!」
「待ちなさいっ。無闇やたらと奥に入ったら、取り返しのつかないことになるわよっ」
背後から二人の声が追いかけてくる。おそらく、追い付かれたら説教どころじゃすまないだろうな。
だけど、それでもいいと思った。その程度で彼女を助けられるんだったら、いくらでも耐えて見せる。
「二人とも! とにかく急いで! 彼女と、それからこの森に住んでいる彼らを僕は助けたいんだっ」
「あぁ!? 助けるだぁ? てか、彼らってなんのことだっ」
「行けばわかる! それから、この先で何が起こっても、決して負けないで! 何を見ても絶対に驚かないで! 彼らを攻撃しないで!」
「あぁ!? おめぇさんは、さっきから何わけのわかんねぇこと言ってんだっ」
ルードの怒気をはらんだ声が飛んできたけど、僕は気にせず森の奥へとひたすら走り続けた。
奥へ行けば行くほど、巨木がどんどん密集してきて、更にそこら中に生えていた草や巨大なシダ植物のような葉っぱが、行く手を遮るように邪魔してくる。
それらをなんとか切り開きながら、彼女が消えたと思われる方向へと走り続けた。
そして――
「ばかな……なんじゃこりゃっ」
突然、目の前に広がった光景に立ち止まった僕に、同じように背後で立ち止まったルードが素っ頓狂な声を上げていた。
幻妖。自然の摂理なんかまるで無視したかのような光景が目の前に広がっていた。
それまで闇一色だった密林が、突如、赤や紫、青や黄色といった雑多な色合いの原生林へと姿を変えていた。おかしな光に発光した大樹や、そこからうねり狂うように生えた枝葉。
これまで見たこともないような、巨大で毒々しいキノコのような植物まで無数に生え、鱗粉のようなものが舞い飛んでいた。
宙を踊り狂う夜光幻虫の姿や光まで、怪しげな赤紫色に発光していた。
「これは……」
僕は自分に起こる未来の歴史を知っていたから、こういう景色が目の前に現れるということを事前にわかってはいたけど、知識として見るのと実際に見るのとでは大違いだった。しかも――
「なん……なんだっ……この頭痛はっ」
「くっ……何が……起こったのよ……」
背後のルードたちが突然、苦鳴を漏らし始めた。
呆然とその場に立ち尽くし、周囲を眺めていた僕は二人の声で我に返ったものの、彼ら同様、いきなり吐き気を催す強烈な頭痛に襲われてしまい、地面にうずくまってしまった。
万力で頭が押し潰されそうになっているかのような、強烈な痛み。
鋭い針で貫かれ、中身をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているかのような、そんなおぞましい痛みだった。
そのあまりにも常軌を逸した激痛が原因か、視界まで歪んできた。
「ぐっ……これほどとはっ……。こんな痛み、本当に耐えられるのかよっ……」
たまらず苦鳴を漏らしながら、背後を振り返った。既にルードもベネッサもその場に倒れ伏していた。
まずい。このままだと、僕たちは何もなさずに死んでしまう。
人間だけを抹殺する魔の領域。ここへと侵入した人間は、一時ともたずにおそらく死んでしまうだろう。
この森が人喰いと呼ばれる所以。今僕たちが踏み入った領域は、まさしくそんな場所だった。
――だけどっ……。
僕は信じていた。彼女のことを。
薄れ行く意識の中、完全にうつ伏せに倒れ込んでしまった僕の頭の向こう側から、何かが近づいてくるような幻聴が聞こえてきた。
一つや二つじゃない。大勢の足音が。
そう認識した瞬間、僕は完全に意識を失った。
◇◆◇
どこからか、微かな話し声が聞こえてきたような気がした。
真っ白い世界。上も下も、右も左もわからない、何もない世界。
だけどはっきりとわかる。僕という存在が今、そこにあるということが。
「ここは……?」
白い靄がかかったような周囲の光景。辺りをきょろきょろしていたら、どこかから、僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきたような気がした。
ときが経つにつれて、どんどん声が大きくなってくる。そして、
「誰だ……?」
そう声を発した瞬間、僕は目を覚ました。
「おい、リル。しっかりしろっ」
異常なまでに重い瞼をゆっくりと開けていくと、霞んだ視界の中に大男と色っぽいお姉さんの姿が飛び込んできた。どうやら仰向けに倒れていたらしい。
「ここは?」
「わからん。そんなもん、こっちが聞きたいぐらいだ」
徐々に回復してきた視力によって映し出されたルードの顔は、酷く不愉快そうな色に染まっていた。
「起きられるかしら?」
「う、うん……なんとか……」
全身を襲う強烈な倦怠感のせいで手足に力が入りづらかったけど、心配そうに僕を見ていたベネッサに背中を支えてもらいながら、なんとか上半身を起こした。
「ここは……部屋の……中……?」
周囲を見渡す僕の視界には、どこか懐かしさすら感じる光景が広がっていた。
無骨な太い木の枝や幹で、無造作に組み上げられた天井や梁。板状に製材された年季の入った黒い床板。壁は丸太小屋を思わせる凸凹した作りとなっていて、家具調度品の類いは一切なかった。
そんな何もない、小屋のような広い一室には、格子窓のようなものが設けられていて、そこから日の光が差し込んでいた。
僕たちはどうやら、そんな伽藍堂な床の上に寝かされていたらしい。
当然と言うべきか。携帯していた武具の類いは一切見当たらなかった。
「ちっ。本当に意味がわからん。森の中で見たあの異常な光景もそうだが、そのあとに起きたあの頭痛もまるで理解できん。しかも、目が覚めたらこんな場所にいて、外に出ようにも、ノブがまったくびくともしねぇとか。いったい全体、何がどうなってやがるっ……」
部屋の中央辺りで仁王立ちになって舌打ちしているルードを一瞥しながら、ベネッサに肩を貸してもらい、なんとか立ち上がった。
その状態のまま、僕は左手にあった窓から外を眺めた。
そこから見える景色の中には、いくつもの建物が森に溶け込むような形で姿を覗かせていた。どれもこれも、粗末な掘っ立て小屋のような作りの簡素な家だったけど、その周辺には人の気配はまるでなかった。
目に入る家の前は広場のような開けた地面になっていたから、多分だけど、ここが何かしらの村落のような場所なのだろうということは容易に想像がつく。
一人で立てるようになり、ベネッサとルードが何やら話し込み始めたのを見て、僕は窓へと近寄っていった。
格子窓は丁度僕の胸辺りから頭の天辺までの大きさで作られていたから、格子にへばりつくように外を眺められた。
向かって右手側には樹林が密集していた。左手側には、先程見た家々と似たような作りの建物が無数に建ち並んでいる。前方にも二、三棟が建っていたけど、その奥は樹海となっていた。
そして、左手上方には――この森に入ってから初めて見るような巨大な樹木が天へと伸びていた。おそらく大人十数人が手を繋いでもあまりある太さ。通常の大樹が五十フェラーム(約七十メートル)ぐらいだとして、それの優に三倍以上はありそうだった。
そんな大樹の上方にはツリーハウスのようなものが作られていて――
と、そんなときだった。そこまで認識したとき、僕はふと、妙な視線を感じて下を見下ろし――思わずぎょっとしてしまった。
緑色の髪を生やした小さな子供が、くりっくりの眼で下から僕をじ~っと見つめていたからだ。
「き、君は……」
しかし、その見覚えのある風体に生唾を飲み込み声をかけた途端、少年は逃げるように走り去ってしまった。
「ま、待ってっ」
慌てて叫ぶも戻ってくる気配はまるでなかった。
「どうした、リル」
僕の反応を不審に思ったらしいルードが、声をかけながら近寄ってくる。
「い、いや。今、子供がいて……」
「子供だと?」
「それって、この集落みたいな場所に住んでいる住民ってことかしら?」
すぐ背後にいたルードとベネッサが、振り返った僕の目の前で互いに難しい顔しながら首を傾げたときだった。
ガチャ。
何かが外れるような音がして、数秒後、ギギギと、この小屋に設けられた唯一の扉がいきなり外へと開いた。
薄暗かった室内に、開け放たれた扉から昼の明るい陽光が入り込んでくる。
そして――
「なっ――」
ルードとベネッサがあからさまに愕然として声を失った。
僕は、中に入ってきたそれらをただじっと眺めるだけだった。
――まさしく異形。そうとしか形容できない者たちが目の前に現れた。
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