貴女だけを見つめる花となる
「申し訳ありません…セルビア様」
「なんで…なんで裏切ったのよ!アンドリュー!」
大切な大切なセルビア様。大好きで貴女のためなら僕はなんだってしてみせる。そう幼い頃に誓ったことを僕はしっかりと覚えている。
そんなセルビア様が僕の目の前で血を吐き倒れている。僕のことを裏切り者と叫びながら。
「僕は裏切ってなんかいません」
「…は?」
「僕はずっと、貴女の…貴女だけのアンドリューです、そう…誓いましたから」
それがたとえ貴女の命を終わらす事でも。僕は貴女の為ならなんだって。
「だから、大丈夫ですよ」
「なにを…」
あぁ、僕は今笑えているだろうか。目元はきっと赤くなって擦りすぎて血が滲んでいるかもしれない。それでも貴女の前で僕はしっかりとした姿で居たい、貴女の目に映る最後の存在が僕なことは、きっとご褒美なのだろう。
「…ゴホッ」
セルビア様の吐く血の量が増えてきた。そろそろ死ぬのだろう。僕がそうしたのだけれど。
床に手をついてだらしなく突っ伏していくセルビア様を僕は追うようにその横に横たわる。僕だっておなじ毒を飲んでいるからもう終わりが近いのは一緒だ。
僕の最後に見る人は貴女で、貴女の最後に見る人は僕、それが僕ができる精一杯の贈り物だった。ぼんやりとして記憶に落ちていく。あぁ、これが走馬灯というやつなのか。
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僕はアンドリュー。ただの、貴女のアンドリュー。セルビア様に手を引かれ、アンドリューと名前を呼ばれた瞬間にそうなった。
幼い頃のセルビア様はそれはもう美しい人形の様だった。周りに期待されそれに応えることに喜びを感じる美しい人形。
そんなセルビア様が僕を従僕として選び、僕はパン屋のアンドリューから従僕のアンドリューになった。
先輩方に厳しく仕事を仕込まれながら過ごす僕の元にセルビア様はいつも来てくれて青い日傘を買ったのだと傘に合わせた青いワンピースを翻しながら見せてくれた。
金の髪に青い瞳は貴族には珍しくない色らしいけど、僕にとっては特別な貴女の象徴だった。
いつも笑顔な貴女。いつもアンドリューと呼んで僕の手を引いてくれた。ほかの貴族や父親である公爵様の前だとすんとしていて、僕の前だと暴れん坊。
そんな特別な貴女に呼ばれるとアンドリューというなんでもない名前がとても特別に思えた。
だから周りに何を言われても何をされても僕は貴女のアンドリューでいようと決めたのだ。
笑顔いっぱいに幸せそうな貴女が泣きじゃくったのは婚約が決まったあの日だった。
いつもは明るく笑顔を向けてくれるのに、僕に抱きついて声を殺し泣く貴女の背中に手を回すことを許されないともう既に知ってしまっている僕はただ見ることしかできなかった。
そんな僕をセルビア様はなんと思ったのか、聞けばよかった。
セルビア様の婚約者は王子だと言う。とても厳しい人で、その婚約者であるセルビア様の勉強の量は凄まじかった。そうまでして嫁がないといけないセルビア様が可哀想だった。
セルビア様の笑顔はどんどん減っていった。お気に入りの青い傘はホコリを被り、婚約者の瞳の色という黄色い傘に変わって。青いワンピースもやめて、婚約者の髪の色に合わせたという重そうな赤いドレスを着るようになった。
セルビア様がどんどんとセルビア様じゃなくなった。それなのに成長すればするほどセルビア様は美しくなっていく。
何年も名前を呼ばれなくなって、あの日。セルビア様が真っ青な顔で僕に会いに来た。酷く怯えたセルビア様はそうして口にした。
「私の中に悪魔がとりついた」
僕以外に言っていたならきっとそれはただの妄言と取られるかもしれない。でも僕は、セルビア様を絶対に信じると決めていた。それをセルビア様も知っていて僕に言ったのかもしれない。
「どのような悪魔ですか?教会に…ああ、でもそんなことすればセルビア様を公爵様は許されない…」
「アンドリュー」
「はい」
「私の、アンドリュー」
「はい、セルビア様の…セルビア様だけのアンドリューです」
「貴方は私だけを見ていてね、もう、それだけで私は生きてゆけるから」
セルビア様はそうやって笑って。
今日はもう寝ると僕の前から居なくなって。そのまま消えてしまったのかもしれない。
朝が来ると僕の知っているセルビア様はいなかった。もう消えたはずの晴れやかな笑顔を浮かべ僕の名前をにこやかに呼ぶセルビア様は居た。けれど本能のようなもので察してしまった。
"あぁ、セルビア様は悪魔に負けてしまわれたのだ”と。
セルビア様は勉強を投げて好き勝手動くようになった。公爵様は最初こそ怒っていたのにいつの間にかそんなことを言うことも無くなり、婚約者の王子も厳しい人だったのにセルビア様にのみ微笑むようになったのだと言う。
あんなに、あんなに貴女は頑張っていたのに。自分の好きなものを我慢して、周りの期待に答えようと、足掻いて泣き喚いて、それでも立つほど気高かった貴女が。
もうどこにもいなくて、もうそれを知るのも僕しかいなくて。
みんなが口を揃えて、今のセルビア様の方が好きだと言った。そんなことないのに、貴女こそがセルビア様だったのに。
“アンドリュー、私のアンドリュー”
セルビア様は僕だけのセルビア様になってしまった。
失意の中、不意に貴女が僕に昔言っていた言葉を思い出した。日記を書き始めることにしたと言っていたのだ、ならばどこかにあるはずだと思った。
部屋にバレないように入って、こっそり教えてもらった秘密の隠し場所から日記を取って、自分の部屋で読み始めた。
最初は僕の知るセルビア様だった。青いものが好きでそれについて語ってたり僕について語ってたり。
でも婚約者が出来てからやはり落ち込んでいたようだった。何度も怒られるのは怖いし、好きでも無い王子はひたすら冷たくあたってくる。そんなただ辛い日記が、突然おかしくなり始めた。
始まりは声だった。自分じゃない誰かの声が頭にこもるような感覚がしたそうだ。
次に記憶だった。見たことも無いはずの光景が何故かふとした時に頭に流れるのだという。
そして日記は恐怖を綴り始めた。自分の知らないことが増えたそうだ。最初は一刻、次は二刻。どんどんと伸びるそれにセルビア様は悟ったらしい。
自分の中に悪魔がとりつき、それが自分となり変わろうとしているのだと。
そして毎日、日記の最後に一言書いて残してある言葉を指でなぞって僕は声を殺して泣いた。こんな残酷なことがあるだろうか。こんな孤独なことがあるだろうか。
“助けて、アンドリュー”
セルビア様はずっと怯えていた。僕の知らぬ所で、誰も知らぬ事で、僕に助けを求めていた。
それに僕は気付けなかった。
誰も彼もがたった一人の少女のことを救ってやれなかったのだ。
もう、生きなくてもいいと思った。もとより、貴女なしでは生きれない僕だから。
貴女がいないと何もかもがどうでもいい僕だから。
貴女の居場所を奪った悪魔を殺して僕も死ぬことにしたのだ。
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もう、手足に力が入らなくなり、やがて僕も死ぬだろう。僕は貴女の願った通り行動できただろうか。今度こそ貴女を助けることが出来ただろうか。
「アンドリュー」
名を呼ばれ振り向いて、僕は涙が止まらなくなる。目の前の貴女も泣いて僕の胸に飛び込んできて僕も貴女も一生分泣いて。
手を取り笑う。
もし、次があるなら貴女と同じ場所に産まれ貴女とまた育ちたい。
それが叶わぬならばせめて貴女のことを笑わせれるような綺麗な青い花の一輪となって、ただあなただけを見つめる花となりたい。
そう言えば貴女は笑って
いっしょね、とまた泣いた。
要らないかもしれないキャラ紹介
セルビア
公爵家の令嬢、15歳没
金髪に青い瞳の小柄で可愛らしく美しい少女。
5歳の頃にアンドリューを街中で見かけ従僕したいと駄々をこね、従僕にすることが出来た。
青色が大好きで、王子と婚約するまでは青色を常に身につけていた。貴族にしては気弱だったが、気高く周りの期待に応えようと必死だった。
アンドリュー19歳没
茶色の髪に深い藍色の瞳。
9歳の頃にセルビアと出会い、従僕になることを願われ貴女が望むならと了承した。セルビアの為なら本気でなんでもする。もしも王子との婚約が嫌だ逃げたいと弱音をこぼしたならきっと昔とは逆に手を引いて逃げてくれただろうが、セルビアはその言葉を口にすることはなかった。
王子17歳
セルビアの2個上。
とにかく自分にも周りにも厳しく、婚約者であるセルビアに完璧を強要した。
公爵
セルビアの父親、セルビアのことをちゃんと愛しているが、貴族として政略結婚は当たり前だと思っており、頭のいいセルビアなら完璧になれると期待した。
悪魔
セルビアの中にいる“なにか”。アンドリューは知らなかったが王子へ媚びを売るだけでなく同年代位の他の男性にもいいよっていた。