まだまだいきたい!未知の道に咲く花をみに
『今からやっても遅いかな、って思う事があっても。今始めれば1年後には歴1年。10年後には歴10年、立派なキャリアよ。あとになってあの時始めてれば…って後悔するよりずっといいわ』
テレビ対談で黒柳徹子さんが確か、ご自身のピアノ歴に関して語られた言葉だ。幼いころ習ったものの諦めてしまった、大分お年を召してから再挑戦されたという話だったと思う。
学ぶに遅すぎることなし、思い立ったが吉日、色んな名言や言い回しはあるけど。自分にはどんな有名な格言よりも心に響いた一言だった。
新しい世界へ一歩踏み出すか迷う背中を、ポンと押してくれた。
そうか そうなんだ。どんな熟練者だって最初はだれもが初心者なんだよな。目から鱗とはこのことだ、と思った。
じゃあ今これを始めれば。続けて行けば1年後、3年後、5年後・・・どんなふうになって居るだろう?
真っ白どころか存在すらして無かったはずの無色透明だった場所。心の隙間に新しく、白いページが出来ていく。そこにひとつ、またひとつ。紡ぐ言葉が入りだす。
昨日できなかったことが今日は出来た、ひと月前には全然歯も立たなかった事が、今は普通に出来るようになってる。ほんの些細なステップだけど、自身の変化や進歩を実感できる手ごたえはとても楽しい。
道中の思いもよらない出来事や素敵な人たちとの出逢いもまた、大きな喜びをくれる。感動や気づきが生まれ、時に共感共有したり、学び合ったり励まし合ったり。
そういうのに出くわすたび、最初基本3色すら無かったパレットに新色が加わる。
ちょっとずつちょっとずつ彩りあるページが厚みを増し、未知の道の傍らにいつしか、小さな花が育ち蕾が膨らんでいく・・・。
いくばくか時が流れ、ふと立ち止まって周りを見渡してみたとき。なあんにもない殺風景な一本道だったものが、いつの間にか豊かな景色の中へ差し掛かってたりして「あれっ?こんなところまで来てたんだ…」
そんな瞬間を想像するだけでワクワクしてくる。道の先にどんな出会いがあって、どんな自分がそこに居るのか。先は何も見えてなくてもその分、道々おこる変化や進歩で先の楽しみも日々更新されていく面白さ。希望の光というか、綺麗な小石を拾い集めるような嬉しさ、喜びがある。
もちろん、思ったように行くものではないし想像を越える現実は幾らでも立ちふさがる。妥協もする、諦めもする、ふがいない自分にガッカリも、する。
「これでいいか」「まあしょうがないや」うやむやに誤魔化してやりすごす溜息の数なんて、数えきれないし数えたくもない 笑。
けどそんな現実・やらねばならぬことの中にも「好き」や「知らずにいた可能性」が潜んでる事だって決して少なくない。
例えば仕事。毎日追いまくられてあーあ、と思いながらも一つ一つ向き合い乗り越えていくうちに、いつの間にかいろんなことが身につき進化した自分に驚いたりして。あとから面白さや手応えに気づき、好きや遣り甲斐、自信になっていくこともある。
「あれをしたいこれをしたい」と「あれをしなきゃこれをしなきゃ」
それが一致してたらもちろん一番理想的なんだろうけど。大概そううまくはいかない、甘くない。やりたいこととやらねばならぬこと、やれることとやれないこと。常に心と体と時の狭間でせめぎ合う。
細い一本橋の上をゆらゆらと、やじろべえみたいに両手を広げバランスとりながらいつまで経っても覚束ない足取りで、自分の歩幅で一歩一歩進むのだ。
家族の笑顔と健やかな日々を支えることは何より大事な役割で、そう有れることは幸せに他ならない。ただそれとは別に自分だけの大切な場所を持つことが、相互に支え合う複数柱の強さになると思っている。
か細い橋の上で幾度足を滑らせ冷や汗を掻いても、また顔を上げ次の一歩が出せるのは、曇った心をスッと晴らしてしてくれるひととき・大切なものや繋がりがいつもそこに在ってくれるおかげだ。
リセット&リフレッシュだけじゃなく。俯き立ち止まりそうな日々があってもまだ、自らにバージョンアップの余地はあるぞきっとこの先に何か面白いことがまってるぞ、と思わせてくれることも大きな癒しと励み・力になってくれてるって事は、微塵も疑う余地がない。
誰かと比べてどう、とかじゃなく私が「ただのわたし」であることへといつも立ち還らせてくれる、新たなワクワク・先へと進む意欲をいつもいつまでも、産み出してくれるところ。
直面する現実に立ち向かうためのエネルギーを静かに、豊かに、産み出し続けてくれてるパワーステーション。
それは大切な大切な、わたしの宝物だ。
好きなことのための苦は厭わないというのは人間のサガであると日々、実感する 笑。
まだまだ、進化を諦めたくない。できうる限り沢山面白がってドキドキハラハラ、ウキウキワクワクしながら。この凸凹な道を大好きな歌を聴きつ口ずさみつ、歩いて行きたいものだ。
まだまだ やれることはきっとある。
まだまだ、やりたい事がある。
まだまだ 行こうぜ!
黒柳さんのこの言葉、実はもう少し詳細なものがあった記憶があります。
確か「70歳の今始めれば、10年後にはピアノ歴10年の80歳。でも始めなかったら、10年後も ”ピアノの弾けない80歳”でしょう?」というようなものだったかなと。
今般エッセイに纏めるにあたり、他人様の大事な言葉を引用させて頂くのに曖昧なままではいけないな、とあちこち調べてみたのですが、当該の記述は今では見当たらなくなってしまいたどり着けませんでした。
とはいえこの言葉のインパクトは大きく、知った当時より年齢を大分重ねた今でも燦然と心に光り輝いています。