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例えば、海の中にはもう一人自分がいること

作者: タナカラボタモチ

「引いていく波はとってもきれいだ。でも、寄せてくる波は僕には魅力的に感じない。」


彼は海の向こう側を見つめてそう言った。僕には彼の言っていることがたいして良くわからなかったが、彼の眼はきっと嘘なんかついていない眼だった。


「僕はここにいるといろんなことを思い出すんだ。いろんな失敗とか、いろんな成功とか。でも特に色の強いのは失敗のほうだ。僕という人間は失敗でできている。しっぱいしたぶんだけ僕が形成されていって、最後にはきっとそれは僕になる。」


彼の言葉は潮風に待ってふらふらと揺れた。さわさわと鼓膜を刺激する彼の言葉がまとわりつく。僕は彼がいったい何者なのか理解できない。


「でも僕は僕が僕として出来上がってしまう前に、一度だけ海の底を見てみたいんだ。僕は思うんだ。きっと、海の底にはもう一人自分がいて、それは海の底から引きずり出されるのをじっと待ってる。」


彼は海の底のほうを指さして言った。彼の言葉を理解するより先に、僕は僕自身が引いていく波よりも寄せてくる波のほうが魅力的に感じるということに気が付いた。そのことに気が付いてから僕の思考ははやかった。僕という人間は成り損ないだ。僕は自分を見つけることができなかった。海の中にいるなんてのはきっと子供が考えるイマジンに過ぎなくて、僕という人間の根底はきっともっと奥深く、でも絶対に手の届く位置にいたはずなのに、僕はそれに手が届かなかった。僕は海の中にとらわれてしまったのだ。


「僕はきっとこの海の底にいる彼を引きずり出す。それはもしかしたら僕になってしまうかもしれない。このまま失敗を積み重ねてできる僕とは違う、もっと完ぺきに近い人間に。僕はそれをつかまないと。」


彼がしゃべっている間、かなりの時間が流れた。彼の表情は次第に曇っていき、次第に大人になっていく。僕は彼に言うべき言葉がわからずにいた。ずっと、ずっと、長い間。だけれど私はやっと彼に特別な言葉などいらないのだということに気が付いた。彼はこの一言を待っていたのだ。


「大丈夫。僕は君を許してあげよう。」


彼は顔を隠して泣いた。体育座りのまま。僕の隣で。僕は彼の肩を抱き、一緒になって泣いた。


僕らはどちらも僕であり、どちらか一人だけが僕ではない。僕は今まで海の中にいた。

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