竜巻の中
小学一年生の時にこの町に越してきて、約十年。
今年の春から町を出て大学生になるというのに俺、死んだ。
いや、正確には生きているが死ぬ。間違いなく数秒後、あるいは数分後に。
わからない。わかるはずがない。
大竜巻に飲み込まれた人間の寿命など。
ここ数年の気象の荒さといったら半端なものではない。
まさに気性があら……これは言うまい。
数日前に県内に発生した大竜巻が急遽、進路変更。町を襲った。
学校の帰りに足を伸ばし、買い食いした駄菓子屋も
シャッターだらけの駅近くの商店街も比較的新しいコンビニも全て飲み込まれていった。
思い出も心残りも全てすべて飲み込んで
かくいう俺も今、必死に逃げようとしているのだが自転車が浮き、上が、り……
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
死、死、死、死、死ぬう! 右、左、右、左、前向け前!
後ろ、下、上、どこを見ている! わかりません上官!
死にます! 自分死にますから! お許しを!
あはははははははああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!
ああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!
おおおおおお、おおおお!?
ちゅううう、ううう!
ちゅううしんは!
おおお、中心は……意外と……安定しているようだ。
だが、そんなことがあるのか? いや、現に……。
「おおおおーい!」
え、この声は……。
「こ、小竹!?」
「よー、草野! お前も気づいたか。あ、ほら、とにかく足伸ばせ。
そうそう、その調子。気流に乗るんだよ。あ、ちょっと曲げて、おお、うまいぞー」
幻覚、ではなさそうだ。竜巻の中で出会ったのは小学校時代の同級生の小竹。
仲は良かったが奴は別の中学に行き、自然と疎遠になった。
それはそうと、シェイクされていた体と脳が次第に安定してきた。
まるでスカイダイビング。そう思う余裕が出てきたのはありがたいが
しかし、ここは間違いなく竜巻の中。一体どうして。
「どうしてって顔してるな! お前、竜巻の中が実際どうなってるか知らないよな?
ま、俺もだけどさ! 意外と中心部は安全みたいだなあ!」
「そういうものなのかあー!」
安定しているとはいえ、気が抜けない上に風の音で聞こえにくいので
会話は大声でする必要があった。
「で、最近お前、どうしてたあー!?」
「俺は大学近くのアパートに引っ越し間近だったあ!
その前にちょっと自転車でこの町を見て回ろうかとぉ!」
「あー! そいつはまさに災難だったなああぁ!」
「はははははは! お前はどうだあ!」
「親父の借金が発覚してなあああぁ!
学校辞めてここ、駅前のパチンコ屋でバイトしてるんだああああぁ!」
「そうか大変だなああ! ちなみに駅前のってどれえぇぇ!?」
「あのでっけービルのとこぉぉぉ、クソ客も多くてええぇ
でもそいつらも巻き込まれてなあああああ!
ははははははははははははあああああああああ!」
安定していた中心部だったが風の音と流れが激しくなった。
と、どうやら知らず知らずの間に位置がずれていたらしい。
俺は体勢を整えようと、小竹から視線を外しバランスを取った。
その直後、悲鳴が上へ左へそして下へ、さらに外へと
便器の中で踊る大便のように移動し
そして気づいた時にはもう小竹の姿はどこにもなかった。
体を安定させることに気を注ぎつつ、目で小竹を探す。
その時だった。
「あああああおおおぉぉ!? くさあああのかあああ?」
「あああ! せんせぇぃ!」
「ふ、ぬううううう! よおお、草野おぉぉ」
「お久しぶりです! 先生ぇ!」
「おおお、おおお、元気そうでなによりだあぁ!」
「この竜巻ほどじゃありませんがねえ!」
「はっはっはっは! まったくだぁ!」
頭上から現れたのは中学時代の恩師。中木先生。
先生の英語の授業は面白かったなぁ。
「まだあの中学でご指導をおぉ!?」
「おおおお、そうともおぉ、まあぁ、たったいまぁ吹き飛ばされたがなぁ!」
「それは、ご愁傷さまです!」
「まったくだああああぁぁ!」
「先生の授業! 楽しくて! それに、担任じゃないのに
進路の相談にものってくれて、嬉しかったです!」
「おおおお! いいいんだあぁ! それでえええ
お前は元気かあああああ!? ハアアウアアアユウウウウ!?」
「アイムゥ! ファイン!」
「グウウウウド! プロナンシエーションウウンンンンンンンン!」
「せ、せん、中木ティーチャアアアアァァァ!」
この竜巻の中、バランスを取るのはかなり難しい。
中年で小太りの先生は限界だったようだ。
グッバイ中木先生。フォーエバー母校。
と、あ、あれは、駄菓子屋のおばあちゃん! まだ生きて――
「ひゃあああああああああああ!」
ああ、あの分だと、こっちまでは来れそうにないな。でも……。
「あのお! 駄菓子屋のおばあちゃんですよねえ!」
「ひゃあああああはあああああああいいいいい!?」
「俺! 小学生の頃! 十円ゼリーを万引きしました!」
「ひゃああああああこのおおおおおおおお!」
「ごめんなさああぁぁい!」
「ううううううゆるうそおおおおおおおううううう! あああああああああ!」
駄菓子屋のおばあちゃんは俺の周りを三周ほどした後、悲鳴も姿も消した。
「おおおおおおおいいいい!」
と、なんだこの声、上……あれはヤンキーの大林。
「おおおおおい! お前ええええ草野おお」
「お、おうぅ……」
「ふうううう、てめえ、元気してたかよぉ」
「ああ、うんんん……」
「あああ!? 声、小さくて聞こえねえぞ!」
「元気さあぁ!」
「あああん? お、バウムクーヘンじゃねえか! ラッキィィー!」
目の前に飛んできた袋入りのバウムクーヘンを掴んだ大林はそう言った。
「甘いものおお好きなのぉぉ?」
「おうよ。コンビニのやつが好きでなぁ。お、見ろよ!
パンと飲み物、おお雑誌も飛んでやがるよ! コンビニを巻き込んだんだな!
はははは! いいぞ! もっと壊せ! こんなクソな町、壊しちまえ!」
「あ、あはは、地元が好きだと思ってたよおおお!」
「ああああ!? 好きなもんかぁ! クソさクソ!
そら、お前ももっとこっち来いよ! 聞こえねーぞ! たくっ、付き合いわりーな!」
「……そ、そっちが」
「あああん!?」
「ちゅ、中学時代、いつも威張り散らして歩いていたじゃないかぁ!
ガラの悪い仲間連れて! 小学校の頃は一緒に遊んだのに!」
「はははは! そう見えたか! 別に俺は変わったつもりはねーよ!
ただ、あいつらみんな親に難ありだ! だから自然とつるんでたんだ!」
「そうかぁ……」
「ははっ! 声ちいせーぞ! 大学行くんだろ! そんなんで大丈夫かよ!」
「なんで知って!?」
「さっきいい聞こえてたああああ! んでここまで来たあああ!」
「そうか、俺は大丈夫だ! いや、まさに今はやばいけど!」
「だなああああ! ははははははは!」
「ははははははははは!」
「元気でなあああああああああ!」
「ああ、ああああ!」
風に飛ばされ消えた大林のエールはしばらくの間、この竜巻の中で木霊し続けた。
いや、木霊していたのは俺の中でだったのかもしれない。
俺はやつを見倣い、飛んできたヤキソバパンをキャッチし、袋を開けて食らいついた。
しょっぱかった。
よくよく目を凝らせば他にも何人か見知った顔があった。
多分中学の同学年のやつ。
朝、いつもなぜか道を全速力で走っているサラリーマン。
近所のアパートに住んでいた人。
ドラッグストアの可愛い店員。
不愛想な歯医者の受付の女。
みんな竜巻に巻き込まれた家の破片や車の破片とぶつかり
ジグソーパズルを壊すように血飛沫を上げて散っていった。
それでもどうにか耐えなければならない。
竜巻はパチンとマジシャンが指を鳴らすように一瞬で消えるわけじゃないはずだ。
徐々に弱まり、そして地上に下りられる……はず。
それしか希望はない。それに縋るしか……でも……ん、あれは?
「あああああああ!」
「広森さん!? こっち! こっちだ! 手を伸ばして!」
「ううううううああああ!」
「う、くううううそそおおおお!」
「おおおおいぃぃくさああああのおおおおおお!」
「おおおおばやあああしいいい!?」
「おおおれのおおお! ばいいいくううう! つかあああえやあああ!」
「ありがああとおおお! でえええもおおいみないいかもおおお!」
俺はどこからか聞こえた大林の声、その気持ちだけ受け取り、竜巻の中を泳いだ。
ほとんどただ流されるだけだがそれでも体は、手は彼女に近づきつつあった。
「ああああああ!」
「ああああああああ!」
「あああああああああううううう!?」
「俺だああああ! ひいいろおおもおおりいいさんんんんん!」
「くさあああのおおおくうううううん!?」
「まあああああえええかあああらああきいいみいいがああ
すきいいいだぁあああったああああ!」
「あああああいぃぃまああああ!?」
「あああああうううううんんんんん」
「このおおおおじょううううきょおおうううでえ!?」
「だああかああらあああこそおおおお!」
「このおおおおおおきいいいい」
「ううううんんん!?」
「きしょううううがああああらいいいたつううまきいいのなああかあああでえええ!?」
「それえええおれもおおおお! おもおおったあああ!」
「あああはははははははははは!」
「ああはははははははははははははは!」
俺たちは手を繋ぎ、笑いあった。
けどそれは少しの間だけ。
抱きしめ、キスで笑い声に蓋をした。
洗濯機の中の衣類。
ミキサーの中の果物。
木やブロック塀、車に屋根などが飛び交う、この大竜巻の中、生存は絶望的。
数秒後にはポーンと外に放り出され、グチャッ! となるかもしれない。
でもどこか心地良く、恐怖心もそんなになかった。
強がりじゃない。
だって心残りはもう全部、吹き飛んだのだから。