汚部屋探偵~有村ありすの事件簿~
「うわ、汚い」
開口一番に呟いたのは悲しい現実だった。
大学入学後、ろくにいいバイトにありつけなかった俺が見つけたのは特殊清掃の仕事だった。金払いはいいが、労働環境は厳しく、普通の人間なら二日で辞めると言われるほどだ。
「寒川パイセン、そんなこと言ってもねえ。ここは私のお城だよ? 」
アパートの向かいの部屋から依頼があった。なんでも業者に頼めないほどのいわくつきの仕事らしい。ショートボブの少女がにこりと笑いかける。
「って有村ありす、いつ俺の後輩になったんだよ? 」
彼女は大学を中退し、一人探偵業を開いていた。大学では品行方正、可憐なお嬢様だったはずだが。
「ふふん、寒川パイセンこそ、大学続いているんですね」
「有村に言われたくない」
お互い苦労はしていたが、どこで道を違えたか。
「とにかく、お掃除してください。お・ね・が・い」
「若干言い方が古い」
探偵の仕事はこれでできているのだろうか。不安がよぎるが、あくまで他人。余計なことに口出しはしない。
「これ何日前の冷凍食品だよ」
「洗濯物くらい畳んでくれ」
「本棚から雑誌が溢れているぞ」
覚悟が甘かったのか、思わず愚痴がこぼれる。
「寒川パイセン、根性ないなあ」
「根性でどうにかできるレベルではない」
言い返しても暖簾に腕押し。なんだか途方もなく大変な仕事になりそうだ。
「有村、いつか絶対痛い目に遭うぞ」
「今現在痛い目見ているのはパイセンですよ」
そしてふふんと得意げに胸を張ると、彼女は回覧板を渡してきた。
『謎の窃盗犯に注意! 女性の下着が盗まれています』
事件じゃないか。有村ありすのアパートの住人が被害に遭っているのか。
「寒川パイセン、今事件の香りで少し喜んでいますよね。いやあ物騒な世の中だなあ」
「違う。アパート全体で問題があるなら、解決しないといけないと思っただけだ」
「真面目ですねえ」
彼女はやれやれと肩をすくめて、異常に服が積まれたソファに横たわる。
「ともかく、お掃除が終わったら起こしてください」
「甘えるな」
俺は有村ありすの首根っこを掴み、歩かせる。やっていいことといけないことがある。
「自分の部屋の掃除なんだから、責任持ちなさい」
「ううっ。パイセンが鬼だあ」
洗濯機をガンガン回し、掃除機で埃を吸い取り、ごみを分別する。途方もなく困難な道を歩いている気がしてめまいがする。
そして半日が過ぎたころだった。
「寒川パイセン、事件ですっ」
なぜか探偵である彼女から報告があった。
「私の一万円超えの下着が盗まれています」
「ほかの服に紛れてないか」
「ううっ何回も探したけど見つからないんだよお」
整理整頓ができないからこうなるんだ。その時の俺はまともに相手をする必要もないと思っていた。
「もう一回探したらどうだ」
「もう無理……」
あらかた片付いた部屋を眺め、有村ありすはため息をつく。
「あーあ、高かったのに。正直寒川を雇うより、ずっと価値のあるものだったのに」
「さりげなく俺を貶めるな。あと呼び捨てになっているぞ」
「だってもう先輩じゃないし」
自分で言っていることと矛盾してないかと突っ込みそうになる。
「分かった。まずは警察に行こう」
「嫌ですう。パイセンは私に被害を説明しろと言うんですか」
「じゃあどうする」
あれも嫌、これも嫌では話にならない。
「ここは探偵の腕の見せ所だよ」
ふふんと得意げに笑うと、彼女は眼鏡をかける。
「ついて来れるかな、ワトソン君」
「俺は助手じゃない」
いつだって損をするのは探偵のそばにいる人間だ。
隣人その一~田中平助の場合~
「困るんですよ、そういう疑い持たれるの」
有村ありすの隣人、独身サラリーマンの田中はぼやいていた。
「大体、結婚してないだけで、変な目で見られるのは本当に勘弁」
田中はイライラした声で続ける。
「僕のお嫁さんは、二次元ですから。リアルの下着見たくらいで興奮する変態じゃありません」
重度のオタクだったかと少ししょっぱい気持ちになる。
「では昨日から何をしていたか教えてください」
淡々と有村ありすは聞き取りを始めた。
「田中平助さん、39歳独身。家族ナシ。趣味はゲーム実況と、アニメ鑑賞。事件があった時間帯は部屋で配信していたと」
アリバイとしては薄い。誰か証人がいるわけでもない。
「疑うなら証拠集めてきてから言ってください。証人でないけど、その時間帯の配信があるので、僕は犯人ではありません」
部屋は雑然としているが有村ありすほどではない。時折アニメのフィギュアがあるくらいだ。
隣人その二~桜井梓の場合~
「ええ、ありすさん。それは大変だったよね」
大学の同期である梓は被害にあったことに同情していた。今時の女子大生らしく、フリマアプリで稼いでいるのか、部屋には小さな段ボール箱が並んでいる。
「もしかしたら犯人は男性かも」
ほかに怪しい男がいるそうだ。
「五十嵐徹って人が隣にいるんだけど、今謹慎中の刑事らしいの」
なんでもおとり捜査で処分されたらしい。多くの事件に関わると、何が犯罪か分からなくなる警察官もいると聞く。
「ありすさんの下着はもう返ってこないと思った方がいいかも。可愛い下着が盗まれたのは悲しいだろうけど」
サイズも大して大きいわけでもないし、代えはある。俺が脳内でフォローしていると、ギロリと睨みつけられる。
「どうせ、私は貧乳ですよお」
桜井梓と比較すると天と地ほどの差がある。なんというか世の中は残酷だ。
彼女は男性受けのするふわふわのニットと、スタイルが強調されるスカートを纏っていた。どこにでもいる普通の女子大生だ。
「次行くか」
これ以上話しても新しい情報は入ってこない。俺たちは桜井梓の情報をもとに、最後の容疑者の部屋へ向かった。
隣人その三~五十嵐徹の場合~
「へえ、学生さんは俺を疑っているのか」
謹慎中の刑事というから手負いの獣のようだった。目つきは険しく、ビール片手に詰問してくる。
「そもそも俺はそんなへまはしねえ。ばれるような犯罪は素人のやることだ」
いうことは尤もだが、態度が悪すぎる。
「一番疑うべきは、赤の他人っていう考え方が甘いな」
「それは同感ですねえ」
今まで静かだった有村ありすがニッと笑う。なんだか小ばかにされているようだった。
「寒川パイセンは相変わらず助手止まりだなあ。いつまでも使われる身分になってしまいそうで心配だよお」
見下ろしているのか心配しているのか微妙なラインだ。少し腹が立つが、俺では解決できそうにない。
「お掃除の腕は一級品だから、何事も適材適所なのかなあ」
彼女はそう呟くと、共同コインランドリーに人を集めるよう指示してきた。
「これからがショータイムだからねえ」
ニヒルな笑みを浮かべる有村ありすの推理劇が始まるのだった。
人生は小説より奇なり~推理時間は突然に~
「ということで皆さんお待たせいたしました」
黒ぶち眼鏡をかけた有村ありすが語り始める。周囲には隣人三人と俺の姿のみがあるだけだ。
「下着ドロボーの犯人、わかっちゃいました」
ニヤリと笑う姿はすっかり探偵のもので。
「まず、第一容疑者の田中平助さんですが」
アリバイとしていたゲーム実況のデータは確かに存在していた。状況証拠としては弱いかもしれないが、容疑は晴らせるかもしれない。
「次に、第二容疑者の桜井梓さんですが、」
彼女にアリバイはない。その時間帯は友人と喫茶店でお茶をしていたというあいまいな情報だけだ。だが女性がわざわざ下着を盗むだろうか。
「最後に第三容疑者の五十嵐徹さんですが」
刑事なだけあって、全てはぐらかされてしまった。もし犯人だとしたら、容疑を認めさせるのは難しいだろう。
俺が脳内で思考を巡らせていると、有村ありす劇場が始まった。
「まず、可能性として下着を盗んで何をするか考えてみました」
普通は女性の下着で興奮するためだろう。それ以外に使い道があるのか。
「男性が下着を盗む、それが定石のように思えますが」
少し視点を変えて考えてみたと彼女は続ける。
「盗まれた下着が見つからないのが不自然です」
もしあるのならば、捜査の段階で見つかるはずだ。だからもう一つの可能性が生まれたのだ。
「下着を利用して、利益を得ている人間がいるということです」
利益? そんなものあるのか。
「もう、寒川パイセンは頭が固いなあ」
やれやれと肩をすくめる彼女に俺は少し苛立つ。
「説明してくれよ」
「簡単に言いますね。犯人はフリマアプリで女性の下着を売っていました」
それもかなりの高値で。
「そして出品者情報を見たらすぐにわかりました」
花柄のアイコンに『Catalpa』の文字。
「梓の英語名ですよね」
つまり犯人は大学の同期の桜井梓だと言いたいらしい。
「ほかに証拠はあるの」
「状況証拠はこれだけですが、あなたの発言にも証拠はあります」
懐からボイスレコーダーを取り出し、有村ありすが語る。
『可愛い下着が盗まれたのは悲しいだろうけど』
この言葉に引っかかりを覚えた。どうして彼女は下着の情報までわかったのだろうか。
「それは実物を見ているからですよね」
その瞬間桜井梓の顔が強張る。
「あくまで想像の話じゃない」
「悲しいことに証拠があるんですよ」
コインランドリーからネットに入った洗濯物を取り出す。
「これはあなたの下着ですよね」
「だから疑う意味ある? 」
焦る彼女を見て、有村ありすは愉快そうだ。
「みんなサイズがバラバラなんですよ」
自分が着用するものなら、サイズが揃っていないとおかしい。つまり桜井梓は確実に黒だということだ。
「犯人はあなたですね」
桜井梓に向かって指を指し、事件は収束する。
「どうして、自分だけひどい目に遭わないといけないの」
彼女は開き直ったように怒りをぶつける。
「大学に行くのだってお金がかかる。可愛い服を着て、コスメを買って、みんなと同じように楽しく過ごしたいだけ」
「それを言っても、あなたのしたことは変わりませんよ」
淡々と諭されると彼女も改めて自分の犯した罪を自覚したようだ。
「本当はお金が欲しかった。バイトなんて大して稼げないし、こうするのが一番だったのよ」
「寒川先輩を見てくださいよ。いつも古着だし、ジーンズは痛んでいるし、食事はおにぎり一個だし、なかなかの苦学生だと思いません? 」
有村ありすが俺のことを茶化さずに話す。
「バイトは特殊清掃だし、大学生続けるのもしんどいはずなのに」
それでも俺は卒業したい気持ちがあるのだと気付いてくれたようだ。
「私は大学はもういいやと退学してしまいました。でも今の探偵業を生半可な気持ちでやっているわけではありません」
犯罪とは身近にあるものだと彼女は笑う。
「簡単なことだから。少し魔がさして。みんな気づいてないから。最初のきっかけはそんなものです」
小さいから気づかないけど、それは人の大事なものを傷つけているのだと有村ありすは語る。
「世の中では犯罪が悪いと言うけど、何故だかまでは教えてくれません」
理由がわかる頃には罪を犯しているものだと悲しそうに呟く。
「だから、被害者の方に謝罪し、償ってほしいと思います」
真面目な声で諭すと桜井梓は泣き崩れた。彼女に手を差し出す勇気が俺にあるだろうか。
「人はやり直せるとかいうけどさ、やっぱりそれは人次第なんだよな」
でも彼女にはそうあってほしいと願ってしまう。
「やっぱりワトソン君はお人よしだな」
寂しそうに笑う有村ありすに何も言えなくなった。彼女だって分かっているはずだ。あえて言わないだけで。
「だって憎まれ役は探偵だけで十分だろう」
そして幕は閉じた。
「寒川パイセン、今回の特殊清掃、高すぎだよお」
「あんなに汚かったから当然だ」
事件が終わり、俺たちは平穏を取り戻しつつあった。有村ありすは掃除ができない。家事もできない。彼女にできることは推理だけだ。
「うう。その罪憎んで人は憎まず、だよお」
「言い訳は結構」
その後女子大生の中でも噂された下着泥棒の話はなくなり、小さな過去の事件という認識に変わった。
世の中事件はたくさんあるけれど、平和な日常の中に消えてなくなる。
「寒川パイセン、一限目から授業でしょ。早く行きなよお」
「都合が悪くなるとすぐにこうだな」
俺が苦笑すると、有村ありすは肩を叩く。
「ファイトだよ」
「ありがとうな」
時折働くのは嫌になるけれど、こうした日常も悪くない。
事件を忘れて、しばらくは平和に過ごして。
たまに有村ありすに付き合う。
事件に探偵はつきものだし、探偵に助手はつきものだから。
【終】