第98話
「……」
校舎や中庭、窓から見える廊下にヤツラが次々と現れる。その光景を前にしてこの場にいる全員が言葉を失ってしまった。あの飛来森で日頃からヤツラを相手にしているシノビちゃんですら目を鋭くさせ、沈黙している。
(これ、は……)
昨晩、ヤツラは出現しなかった。たったそれだけで音峰先輩は非常事態だと判断し、何が起こってもいいように警戒した。だからこそ、幻影さんに協力を求め、時間がない中、できる限りの準備を済ませた。
でも、これはマズイ。このまま放置すれば取り返しのつかないことになる。まだ混乱している頭でもそれだけはすぐにわかった。
「お待たせしました」
誰も動けない中、私の隣に誰かが降り立つ。それはシノビちゃんのもう一体の分身だった。
「さっと見てきましたがヤツラは校舎だけでなく、グラウンドでも大量に出現してます。中には飛行能力持ちもいましたのでここにいればいずれ見つかります」
どうやら、彼女は見つからないように偵察してきてくれたらしい。だが、冷静に報告しているように見えるがござる口調で話す余裕はないらしく、状況は一刻を争うことは明白だった。
「更にヤツラの一部が隔離世の外周へ向かっています」
「なんですって!?」
追加の情報にずっと黙っていた先輩が声を荒げる。隔離世の外周――もしかしてヤツラは学校の敷地外へ向かっているということだろうか。
「外周ってどうなってるんですか?」
「隔離世は結界の一種です。そのため、物体を通しません。それはヤツラの体も例外ではなく、ちょっとやそっとの攻撃で壊れないでしょう。更に人払いの効果もあり、一般人は無意識に近寄りませんので通常であればヤツラを隔離世内に隔離すれば何も問題ありません……しかし、いくら隔離世が頑丈な結界だとしてもこれだけのヤツラが一斉に隔離世の外周を攻撃した場合、5分と経たずに隔離世は崩壊します」
「そんなっ……」
5分。それは幻影さんが飛来森からここまで来るのにかかる時間。つまり、このままヤツラを放置すれば幻影さんが到着する前に隔離世は崩壊し、ヤツラが外へ出てしまう。そうなれば少なくない被害が出てしまう上、目撃者が多くなり、ヤツラを隠蔽できなくなってしまうかもしれない。
(何としてでも止めないと!)
そう、止めなければならない。それはわかっている。
でも、どうやって?
ここにいるのは私、音峰先輩、長谷川さん、シノビちゃんの分身が二体。それに対し、ヤツラは今もなお、増え続けている。明らかに戦力が足りない。真正面からぶつかってもすぐにヤツラの波に飲まれ、全滅してしまうだろう。
――被害を最小限に食い止めるためにも直感的かつ冷静な判断が必要です。今日、この戦場にいる中でその判断をするのに一番向いているのはあなたでしょう。
「ッ――」
ああ、そうか。幻影さんの言葉はそういう意味だったのか。
てっきり、私の判断力を高く評価してくれただけだと思っていた。
しかし、彼女が評価したのはそこじゃない。当たり前だ。どんなに判断力があったとしても戦いに慣れていない私よりも経験豊富な音峰先輩やシノビちゃんの方が的確に判断できるに決まっている。
じゃあ、幻影さんがこの戦場で私が一番向いていると思ったのはどうしてか。
直感的かつ冷静な判断が必要になる状況はおそらく幻影さんが駆け付けるまでの5分で私たちが全滅するか、世界が滅ぶ可能性が起こる事態が発生した場合だ。
すぐに動かなければ終わる。そんな危機的状況では考える時間すら惜しい。そうなってしまった場合、はたして直感的かつ冷静な判断ができるだろうか?
「すぅ……はぁ……」
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。目を閉じて意識を集中する。そして、すっかり慣れてしまった時間が引き延ばされる感覚――そう、これが幻影さんが私を見出した理由。
思考時間の延長。
この場で私だけが考える時間を捻出できる。無限、とはいえないが考えをまとめるには十分すぎるほどの時間を私は自分の意志で掴み取れるのだ。
(でも、時間がないのは事実)
だから、考えろ。
この状況を打破するために何が必要か。何を優先するべきか。何を捨てるべきか。
一番の問題はヤツラが隔離世を破壊し、外へ出ること。
それを避けるためには外周へ向かったヤツラを討伐、もしくは足止めしなければならない。
私たちの中でそれができるのは音峰先輩とシノビちゃんだけだ。
しかし、シノビちゃんは分身体のため、一撃でも受けたら消えてしまう。いくらシノビちゃんでも無数のヤツラを同時に相手にして被弾を0に抑えるのは難しいだろう。
じゃあ、音峰先輩に外周を守ってもらう?
いいや、駄目だ。偵察に向かったシノビちゃんはヤツラが外周へ向かったと言っていた。おそらく一か所ではなく、四方八方へ散らばったのだろう。つまり、外周担当に求められるのは四方へ散らばったヤツラを対処できるほどの機動力だ。
でも、音峰先輩の能力を全て知っているわけではないが私が見た中で機動力に長けているのは天狗だけだった。だが、天狗は調子に乗りやすい性質があるため、フォローする人が必要。フォローする余裕がない現状、極力音峰先輩を外周担当にするのは避けた方がいいだろう。
じゃあ、外周担当はシノビちゃんしかいない。
さて、問題となるのはシノビちゃんが攻撃を受けないようにする方法だ。
外周をシノビちゃんだけに任せた場合、ヤツラはシノビちゃんへと一斉に襲い掛かる。そうならないためにシノビちゃんへ襲い掛かるヤツラを減らすしかない。
そのために必要なのは――囮役だ。北高は敷地内のど真ん中にグラウンドがあるため、そこで暴れたらヤツラもグラウンドへ引き寄せられるはずだ。そんなことができるのは残った私たちの中で音峰先輩しかいない。
それでは私と長谷川さんも一緒についていって音峰先輩のフォロー?
いや、駄目だ。音峰先輩がどんなお面を付けたとしても周囲をヤツラに囲まれた状態で私と長谷川さんを守りながら戦うのはほぼ不可能である。いない方がマシだ。
なら、どうする? 私と長谷川さんはどうすればいい? 私たちはどうするべきだ?
「……」
そして、その答えに行きついた。
ああ、そうだ。きっと、それが最適解だ。
できるか?
わからない。
でも、やらなきゃここにいる人だけでなく、音峰市に住んでいる人々が、世界が滅ぶかもしれない。
なら、やるしかない。時間を稼ぐ妙案も一つだけ思いついた。絶対にやり遂げてみせる。
「……シノビちゃん、幻影さんを呼んでいて」
「……生き延びるでござるよ」
目を開けた時、引き延ばされていた世界が元に戻った。いきなり話し始めた私に皆はぎょっとした様子で目を向けたが時間を引き延ばして考えをまとめたと察したのか、すぐに表情を引き締めた。
偵察に向かったシノビちゃんの分身がそう言って煙と共に消える。今から5分、私たちは何としてでもヤツラを外に出さず、生き延びなければならない。
「残ったシノビちゃんは外周へ向かったヤツラの討伐、少なくとも足止めをお願い」
「さすがにこの数を一人で相手にするのはきついでござるよ?」
「だから、音峰先輩、グラウンドのど真ん中で暴れてください。できそうなお面はありますか?」
「……ええ、一応あるわ」
頷いて彼女が取り出したのは真っ赤なお面。頭部には鋭い二本の角。大きなキバが生え、今にも人を食い殺しそうな恐ろしい顔をしている。そう、それは――鬼のお面。
「これなら大勢のヤツラを相手にしても生き延びられるし、注目も集められる」
「なるほど、それであれば拙者が会長殿に引き寄せられなかったヤツラを倒していけば5分程度なら時間を稼げるでしょう」
「でも、このお面を付けると冷静な判断ができなくなって敵味方関係なく攻撃するわ。だから、あなたたちが近くにいると巻き添えを――」
「――いえ、私と長谷川さんは先輩にはついていきません」
「なっ」
鬼のデメリットを語る音峰先輩の言葉を遮って断言する。まさか一緒に来ないとは思っていなかったらしく、彼女は目を見開いた。
「お、鬼のお面が危険だと思ったの? なら、別のお面に……」
「いえ、違います。最初からついていくつもりはありませんでした」
そもそも、そのデメリットがなくても私と長谷川さんは先輩の傍にいるべきじゃない。彼女が私たちを気遣い、ヤツラを十分に引き付けられず、シノビちゃんが倒されてしまったらおしまい。だから、どんなお面を出したとしても私たちは別行動するしかないのだ。
「……影野様、私たちはどうするのですか?」
どこか覚悟を決めた声音で長谷川さんは私にそう問いかけた。彼女の行く末を勝手に決めてしまった罪悪感で顔が歪みそうになるが、必死に抑える。
「私たちは5分間、校舎内を逃げ回ります」
そして、捻出した時間の中で導いた答えを口にした。




