第93話
シノビちゃんの分身が消えてからどれほど時間が経っただろう。生徒会室は沈黙に包まれ、息が詰まりそうだった。元々、長谷川さんは自発的に話さない上、音峰先輩も少しだけ疲れたような顔で黙っている。
(まだ10分か……)
ちらりと壁にかけられた時計を盗み見れば思った以上に時間が進んでいないことに驚いてしまった。
「……」
いつもの私なら重苦しい空気に耐えられず、なんとか話題を出そうと悶々と悩んでいただろう。しかし、今はどうやって幻影さんに説明するか必死に考えていた。いや、正直に話すのは確定しているので説明の仕方、というより私の今後がどうなるか、という見つからない答えを探していると言った方がいいかもしれない。
(大丈夫……私の判断は間違ってない)
心優しい幻影さんは音峰先輩を犠牲にすることは許さないだろう。いや、そうじゃない。私がそれを許せないだけだ。そんな状態で幻影さんの隣に立っても意味がない。
そう言い聞かせる度、胸の奥で痛みが走る。間違っていないはずなのに歯を食いしばりそうになる。
もし、幻影さんに何もしなくていいと言われなければ。
もし、この数日で音峰先輩に私の覚悟を認めてもらっていれば。
もし、こんなイレギュラーが起きなければ。
もし、私に力があれば。
もし、もし、もし。
「ッ――」
その時、私の思考を遮るように生徒会室の窓がコンコンとノックされた。そちらへ視線を向けると同時に誰も触っていないのに窓が開き、黒い人影が室内に侵入してくる。
「ぁ……」
輪郭がぼやける漆黒の外套。昼間なのにそこだけ闇に染まってしまったかと錯覚してしまうほど吸い込まれそうになる何かを纏った存在――幻影さんがそこに立っていた。その姿は翼を広げた真っ黒なカラスのようで少しだけ見惚れてしまう。なお、シノビちゃんも窓から入ってきて音もなく、彼女の後ろに着地した。
【お待たせしました】
「きゃああああ!」
「せ、先輩!?」
この部屋にいる自分以外の4人の前に文字を浮かべた彼女だったが、何故か音峰先輩は絶叫――いや、黄色い悲鳴を上げてそのままひっくり返ってしまった。まさかの事態に私は目を丸くして立ち上がってしまう。
「……申し訳ございません。お嬢様は生粋の幻影様ファン。心労もあり、本人を前にして気を失ってしまったようです」
「えぇ……」
長谷川さんが音峰先輩の容態を確かめると申し訳なさそうにそう告げた。そんな先輩の姿にシノビちゃんはドン引きである。
「あの仮面舞踏会がこんな人だとは……」
「有名なの?」
【彼女は市長の娘ですから有名ですよ。それに加え、『ストライカー』の中でもかなりの実力者とも言われていますから】
どうやら、幻影さんたちも音峰先輩のことを知っていたようで長谷川さんの手によって寝室へ運ばれる彼女を見て驚いた様子だった。
「お嬢様は少し休ませていただきます。その間に話し合いを進めてよろしいでしょうか?」
【そうですね。時間もありませんので手短に状況説明をお願いします】
「はい、では――」
「――待ってください」
話を進めようとした長谷川さんを止める。その拍子にここにいる全員の視線が私に集まり、少しだけ怖気づいてしまうが気を奮い立たせて幻影さんの前に立った。
「私から話をさせてください」
彼女の隣に立ちたい。そんな私の我儘から始まったのだ。残念ながら実力不足のせいで何もかも駄目になってしまったがせめて自分の手で終わらせたかった。
【わかりました。では、お願いします】
「では、お二方はこちらへお座りください」
数秒ほど私を見つめた幻影さんだったがコクリと頷き、それを見た長谷川さんは先ほどまで私が座っていた席の正面へ二人を案内した。
「……最初は、幻影さんに何もしなくていいと言われたことでした」
私は幻影さんとシノビちゃんにこれまで起きたことを話した。
何もしなくていいと言われたけど、どうしても諦めきれなかったこと。
音峰先輩に呼ばれ、幻影さんの相棒を解消するように言われたこと。
そんな彼女に諦めきれないことを伝えたところ、協力してくれることになったこと。
この数日、長谷川さんからトリガーやヤツラのことを教わったこと。
夜の学校でヤツラと対峙し、何もできないままやられてしまったこと。
そして、昨日の夜、ヤツラが一体も出現しなかったこと。
「……以上です。勝手な行動をして申し訳ございませんでした」
私が余計なことをしなければ音峰先輩は市長に報告して『ストライカー』の協力を得られたのだ。こんな複雑な状況にしたのは私なので最後に頭を下げて謝罪する。幻影さんの文字が見えるように目を開けたままなので視界いっぱいに机の天板が広がった。
「……」
話し終えると再び、生徒会室に沈黙が流れる。時計の秒針が時を刻む音が異様なほど大きく聞こえた。
【話はわかりました】
頭を下げている私にも見えるように文字を浮かばせる位置を調整してくれたらしく、点だけだった視界に青白いそれが現れる。咄嗟に顔を上げると彼女はジッと私の方を見ており、外套のフードに広がる闇に思わず生唾を飲み込んでしまった。
【結論から言います。市長に報告は必要ありません】
「なっ!? 姫、正気でございますか!?」
幻影さんの答えに反応したのはシノビちゃんだった。もちろん、私も彼女と同じ気持ちである。
今回の騒動は世界の滅亡に繋がるかもしれないと音峰先輩は言っていた。シノビちゃんの様子を見てもそれは間違いないのだろう。
それならば市長に報告して『ストライカー』の力を借りた方がいいに決まっている。失敗は許されず、もしもの場合、個人の力で対処できない可能性が高いからだ。
【すべての責任は私が負います】
「……お言葉ですが幻影様ですら対処できないようなことが起きた場合、どうなさるおつもりでしょうか」
さすがの長谷川さんも無視できなかったらしく、目を細めて幻影さんに質問する。しかし、幻影さんは特に動揺した様子もなく、すぐに文字を浮かばせた。
【私ですら対処できないようなことが発生した場合、『ストライカー』もすぐに察知するでしょう。『ストライカー』が対策案を考える間、私が食い止めます】
「……貴女様ほどの実力ならそれも可能なのでしょうね。私からは以上です」
食い止める。そう言っただけで長谷川さんは納得してしまった。シノビちゃんもそれに関しては特に言うこともなさそうで腕を組んで黙っている。
「でも、やっぱり何かしらの報告は必要じゃないでしょうか。たとえ、この騒動が解決したとしても音峰先輩が市長に黙ってたのは事実ですし……」
私が最も避けたいのは音峰先輩に処罰が下ることだ。そのためなら私の立場が悪くなるのも構わない。
【勝手に動いたのは向こうです。私から言えば彼女が処罰されることはないでしょう】
そんな覚悟を決めた上での発言だったのだが、幻影さんはあっけらかんとした態度でそう言いのけた。『ストライカー』の最高権利者である市長相手にそう言える人はほとんどいないだろう。
【そもそも何もしなくていいとは言いましたがあなたとの相棒を解消するつもりはありません】
「そう、なんですか?」
【ええ、きっと『ストライカー』が私の代わりに守ると言えばあなたが折れると思ったのでしょう。そこは完全にあの人の誤算ですね】
(幻影さん、ちょっと怒ってる?)
負の感情に慣れているからだろうか、青白い文字の節々に怒りの色が見えた。しかし、それを指摘する前にその文字は消えてしまう。
【それに『ストライカー』が謎の組織に狙われているあなたを守り切れるとは思えません。いえ、最初から守り切るつもりはなかったのかもしれませんね】
「それってどういう……」
【そのままの意味です。あの人が吸血鬼であるあなたを守ろうとするとは思えませんから】
彼女の少しだけ棘のある表現に私は何も言えなくなる。だが、どうやら今ここで幻影さんの相棒を解消されることはなさそうなので情けないが安心してしまった。
【ですが、問題もあります】
そんな私の甘さを指摘するように幻影さんが文字を浮かばせる。そして、その答えは幻影さんの代わりにシノビちゃんが答えた。
「拙者たち、すでに別の依頼を受けてるでござる。そのため、今宵はこの学校にいられません」




