第91話
5月5日、子供の日。特に休暇を取っていなければGW最終日である今日は音峰先輩が私を見極める最後の日でもある。
「長谷川、先生方に連絡を入れて。そうね……突然の改修工事が入ったから誰も学校に来させないようにして」
「かしこまりました」
時刻は午前5時。日が昇り始めたばかりの校内で音峰先輩は早歩きで生徒会室に向かいながら長谷川さんに指示を出した。それを受けた長谷川さんも特に何も言わずに承諾し、職員室へと向かうためか近くの階段を降りて視界から消えてしまう。そんな鬼気迫った彼女たちの様子に私は戸惑うばかりだった。
数時間前、これまで通りに校内を巡回してヤツラの出現を待っていた私たちだったが、何故か今日は一体も現れなかった。
そう、ただそれだけ。
それだけで音峰先輩は普段の冷静さが嘘のように動揺していた。今もぶつぶつと呟きながら歩いており、私は黙ってその後ろを付いていくことしかできない。
「影野さん、頼みごとをしてもいいかしら?」
「は、はい! なんなりと!!」
「東棟の教室、全てを見回ってきて」
「見回り、ですか?」
「ええ、教室の様子はもちろん、机の中、教壇の下、ロッカー、ゴミ箱。とにかく思いつく限りのところを片っ端から見て」
いきなり話しかけられて驚いてしまったが、先輩の指示に私はただ困惑するばかりである。おそらく長谷川さんのゴーグルに備わっているレーダーに引っかからないヤツラが潜んでいないか確認するためだと思うがそんな細かいところまで見る必要はあるのだろうか。
「ヤツラの中にはとても小さいのもいるの。それこそ掌に乗るほどに、ね。長谷川も後で向かわせるからとにかく見てきて」
「わ、わかりました! ただ……その、どうしてそこまで? 昨日までここでしていませんでしたよね?」
レーダーに引っかからないヤツラを警戒するのなら初日やその前の日も同じように見回っているはずだ。だが、あの巨大なヤツラを消し炭にした後、ヤツラが出現せずにそのまま解散になった。これまでと二日目の違いはヤツラが出現したか、していないかだけ。
「影野さん……よく聞いて」
私の質問を受けた音峰先輩は立ち止まり、こちらへ振り返った。その目は鋭く、自然と背筋が伸びてしまう。
「長谷川から話は聞いたと思うけどこの学校は飛来森のサブ。あの森の負担を減らすためにヤツラを少しだけ引き寄せて撃退するための施設よ」
「は、はい……確か一日に一体から三体ほどのヤツラが現れるんですよね?」
「ええ、そこよ。少なくとも必ず一体は出現するの。例外はないわ」
「……でも、昨日は」
「そう、一体も出現しなかった。この北高が建ってから……いえ、その前から一度もそんなこと起こったことがない」
北高が建つ前、という言葉が少し引っかかったが今はそれどころではない。これまで一度も起こらなかったことが起きた。それはつまり――。
「――これは緊急事態なの。下手をすれば世界が滅亡する可能性だってある」
「ッ……い、行ってきます!!」
「ええ、お願いね」
凛とした声音で話すにはあまりに物騒な物言いに私は生唾を飲み込み、慌てて東棟に向かって走った。
あれから長谷川さんと合流して手分けして東棟を見回ったが何もいなかった。その間、音峰先輩はトリガー能力を使って西棟を探したが成果はなし。見落としがあったら困るので担当を入れ替えて念入りに確認したがそれでもヤツラを見つけることはできなかった。
「……ここまで探していないとなると昨日の夜、ヤツラは出現しなかったと考えていいでしょう」
時刻は午前10時。約5時間にも及ぶ捜索を終えた私たちは生徒会室に集まり、会議を始めた。
「見落としはない、と断言できませんがこのゴーグルのレーダーとお嬢様の能力ですら探知できないほどの力を持ったヤツラは確実に飛来森へ引き込まれます」
「引き込まれる?」
「はい、飛来森は力が強いヤツラを優先的に引き寄せます。そのため、サブである四つの施設に出現するヤツラはそこまで強くありません」
あれで弱いのか、と私を爆破した黄色い鶏を思い浮かべながら顔を引きつらせる。そもそも、長谷川さんのゴーグルは探知できないこともあるが北高に出現するレベルのヤツラはほぼ確実に捕捉できるらしい。だからこそ、これまで校内を見回ったりしていなかったそうだ。
「……ふぅ」
不意に音峰先輩はため息を吐いた。そんな彼女の様子はあまりに弱々しく、トリガー能力でカリスマ溢れる生徒会長としてあまりに似つかわしくない姿。それほど今回の一件は大事件なのだろう。
「……長谷川、市長に連絡するわ」
長い沈黙の後、彼女は市長――先輩のお母さんに報告すると決めた。それを聞いた長谷川さんは目を細め、小さく息を吐く。北高の異変を上司であるお母さんに報告するのは当たり前だと思うだが、何か事情があるのだろうか。
「よろしいのですか?」
「ええ……背に腹は代えられない」
「では、影野様に説明してください」
「ッ!?」
不意に自分の名前が出てきたため、ビクッと肩を震わせてしまう。もしかして、音峰先輩はお母さんに報告するのを渋っていたのは私のせい?
「ッ……でも――」
「――影野様はきちんと話を聞いてくださります。むしろ、事情を知らずにお嬢様が罰せられた方が怒るでしょう」
「罰せっ……先輩!」
「……わかった、ちゃんと話すわ。長谷川、お茶を用意して」
さすがに私のせいで先輩が罰を受けると聞けば黙っていられない。説明してほしいという意味を込めて彼女に視線を送ればどこか居心地が悪そうにしていた彼女が観念したように肩を落とし、長谷川さんに指示を出した。
「影野さん、今回の件について貴女は何も悪くない。それだけは最初に言っておくわ。全部、私の判断よ」
そんな前置きをした後、彼女は目を閉じて深呼吸する。それほど重要なことを私に隠していたのだろうか。ドキドキと鼓動を打つ心臓に嫌気を刺しながらも先輩の言葉を待った。
「まず、私はお母様から貴女に幻影様の相棒を辞めるように説得――いえ、脅すように指示を受けたわ」
「……」
それがGWに入る前の日、5月2日のこと。脅す、という言葉は言い得て妙だ。あれほどの威圧を放ちながら辞めるように言われたら怖気づいて頷いてしまうだろう。
でも、私はそれを拒否した。そして、GWの間に私を見極めると言ってくれた。
そして、それは上司である市長の指示を無視したことに他ならない。
「GWの三日間でお母様を説得できる何かが欲しかった。ドッペルと同じように吸血鬼である貴女がストライカーで活動できる何かが……」
「先輩……」
「そのためにあえて報告しなかった。これまで私はお母様の指示に従ってきたわ。もちろん、報告も、ね。初めての反抗期ねって……長谷川と笑ったわ」
「どうぞ」
「ありがとう」
音峰先輩は自虐的な笑みを浮かべたところで長谷川さんが温かいお茶を彼女に差し出す。たったそれだけで彼女たちの信頼関係を見て取れる。
「それぐらい……私が初めてお母様に反抗しようと思えるぐらい、貴女の覚悟には好感を持てた。ああ、きっと、私と同じなんだって」
「……」
「でも、こんな事態になってしまった以上……報告しなければならない。そうなれば私が貴女の説得に失敗したこと。それどころか、協力したこともばれるわ」
「……そうなった場合、先輩はどうなってしまうんですか?」
「何かしらの罰はあるでしょうね。軽くても今の立場は剥奪される」
「なっ!?」
想像以上に重い罰だったため、私は声を漏らしてしまう。確かに上司の命令を無視したことは罰せられてしまうだろう。だが、たったそれだけでこれまで先輩が努力して築いた全てを奪われるのは納得できない。
(しかも、それで軽いなんて!?)
「……影野さん、心して聞いてね」
私の怒りが伝わったのか、音峰先輩はどこか嬉しそうに笑みを浮かべた。だが、その顔に諦めの色が見える。
「私は貴女を人間と同じように扱うと決めたわ……でも、他の人からすれば貴女はヤツラなの」
「……まさか」
ヤツラである私に協力した音峰先輩はストライカーからすれば裏切り者になる。化け物である私に手を差し伸べた異端者。それがバレたら――。
「――少なくとも反省文なんて軽い罰ではないでしょうね。最悪、処刑されるわ」
そう言って長谷川さんのお茶を口にする音峰先輩は儚げであり、とても綺麗だった。




