第88話
「はぁ……」
私の覚悟を見極めると言われた三日間。その初日が過ぎ、今は5月4日の午前11時過ぎ。私は当てもなく校内を歩きながらため息を吐いた。因みに本日の講義はお休み。昨日の時点で最低限のことを教えたということもあり、私の様子を見た長谷川さんはそう告げてどこかへ行ってしまった。
「……」
ゴールデンウィークということもあり、校内はほぼ誰もいないが休日でも活動している部活があるのか、グラウンドや空き教室からたまに掛け声や話し声が聞こえてくる。
入学して一か月ほど経つが休日でも特別な手続きなく、生徒が校内に入れるとは思わなかったため、昨日もお昼ご飯を食べに食堂(北高は部活動などで休日でも学校に人がいることが多く、食堂も解放されている)へ行った時、私以外にも利用している人がいたので少しだけ驚いてしまった。
(ううん、今はそんなことより……)
少しばかり思考が脱線してしまったため、首を振って気持ちを切り替える。昨日の夜、予想はしていたがやはり鶴来君のことが気になってしまい、判断ミスをしてしまった。それも普段の私なら間違えないような失敗。
西棟三階の生徒会室前にヤツラが出現した時、真上を見ずに長谷川さんの手を取ってその場から離脱するのが最前手だった。前日に巨大な体を持つヤツラを目撃していたため、出現した瞬間にその大きさによっては天井や床が崩壊する可能性があることぐらい、簡単に予想できる。だからこそ、集中力を欠いて真上から聞こえた異音に気を取られるべきではなかったのだ。
その尻拭いをしてくれたのが音峰先輩だった。長谷川さんの声を聞きながらすでにお面を準備し、それを装着して真上に向かって巨大な火炎弾を放ったのである。火炎弾の直撃を受けたヤツラは私たちを押し潰すことなく、そのまま焼失してしまった。
(すごかったなぁ)
一夜経った今でもあの光景を思い出せる。床が抜けるほどの巨大なヤツラの落下を本来、質量を持たない炎で押し返した、と言えばわかるだろうか。つまり、彼女の火炎弾は放った時に生じた風圧――この場合、熱風と表現するべきだろう。それだけでヤツラの落下を防ぎ、数秒ほどで焼き尽くしてしまったのだ。それどころから西棟三階の床と天井すらも溶かし、気づけば巨大な穴から夜空が顔を覗かせていた。
――大丈夫かしら?
パラパラと小さな校舎の破片やヤツラだった煤、火の粉が舞い落ちる中、音峰先輩は私に声をかける。茫然としていた私はゆっくりとそちらを見やると『狐』のお面を付けた彼女が立っていた。そして、その頭には大きな狐耳とお尻には抱きかかえるほどの大きな黄金色の尻尾。
「狐、か」
正直、天狗のお面を付けて戦っていた音峰先輩はそこまで強いとは思えなかった。もちろん、私と比べるのはおこがましいのだが、私の中でトリガーといえば幻影さんとシノビちゃんだ。やはり、二人と比べてしまうと音峰先輩の実力は劣っているように見えた。
――まずは私の能力を見てもらうわ。もしかしたら、これで終わってしまうかもだけれど……とくとご覧あれ。
でも、違う。私は何もわかっていなかった。
ヤツラは夜間の間に一体~三体ほど出現する。私が肥満鶏にまんまと爆破された時は合計で二体。昨日は先輩が焼き尽くした一体で終わってしまった。
つまり、一昨日の音峰先輩は私にヤツラと戦う空気を感じて欲しくて瞬殺せずに遊んでいたのだ。だからこそ、長谷川さんも呆れていた。ヤツラ相手に舐めプしていたのなら当たり前である。
だが、昨日の音峰先輩は違った。たった一撃でヤツラを倒した。その衝撃は今でも抜け切れていない。きっと、これが『能力の練度』が高い、ということなのだろう。天狗の先輩も本気を出せばあんなものではないはずだ。
「……はぁ」
今更ながら自分が恥ずかしくなった。
少しでも役に立てるように頑張る?
やれることは少ないかもしれないが考えることは止めない?
こんな私でもできることはあるはず?
ふざけるな。自惚れるな。勘違いするな。
私はただ身体能力がちょっと高く、傷の治りが早いだけの化け物。
それに対し、長谷川さんがサポートしていたとはいえ、これまでたった独りで北高を守っていた生徒会長。
そんな状態で鶴来君のことが気になって集中できておらず、あまつさえ見学だけでもしたいと駄々をこねた自分を殺したくなる。
最弱の化け物風情が一体、何様のつもりだ。
「……」
ふと顔を上げると私は食堂の前に立っていた。どうやら、色々と考えている間に偶然、辿り着いたようだ。
(考えるっていうよりも……嘆いてるだけか)
こんな状態になっても油断すると鶴来君の顔が思い浮かんでしまう。これでは今日で私は音峰先輩に見放される。
「……それも――」
「――あれ? ひーちゃん?」
「……あやちゃん?」
無意識に何かを言いかけたその時、それを止めたのは――普段から使っている通学カバンではなく、トートバッグを肩にかけたあやちゃんだった。
「いただきまーす」
いつものきつねうどんを頼んだあやちゃんはニコニコと笑いながらちゅるちゅると食べ始める。それに続くように私も日替わり定食に箸を伸ばす。因みにメニューは生姜焼き。
「でも、ひーちゃんが学校にいるとは思わなかったなぁ。何か用事でもあったの?」
「う、うん、ちょっとね……あやちゃんは?」
「アタシは図書館でべんきょー」
「図書館?」
トートバッグから参考書を出した彼女を見て首を傾げてしまう。彼女のことだから知り合いに何か頼まれ、それを手伝うために学校に来ているのだろうと思ったのだが、違ったらしい。
「そー、アタシの家って兄弟多いから全然べんきょーできなくてさ」
「あー、弟さんがいるんだっけ?」
「そうそう、三人。最近、一番下の妹もお兄ちゃんたちと一緒に大騒ぎするの。マジで大変!」
ため息交じりに呟くあやちゃんだったがその口元は緩んでいた。兄弟のいない私にはわからないがあやちゃんが弟さんたちを愛しているのはそれだけで伝わってくる。
「だから、わざわざ図書館でべんきょーしてるってわけ……こうやってきつねうどんも食べられるし」
「そうだったんだ……弟さんたちは?」
「お母さんがお休みだから押し付けてきた。ゴールデンウィークが終わったら中間テストがあるでしょ? アタシ、あんま要領よくないから早めにべんきょーしないと間に合わないんだよねー」
そう言った後、あやちゃんは油揚げにかぶりつき、汁がびちゃびちゃと器へ落ちていく。それを見ながら『テストかぁ』と呑気に考えながら生姜焼きを口に運んだ。あまり味がしないのはどうしてだろうか。
「それで? ひーちゃんは?」
「へ?」
「だって、ゴールデンウィークだよ? バイトを探したいって言ってたのに何の用事もなく、学校に来るわけないよね。多分、それなりに大事な用事なんじゃないの?」
「え、えーっと……そうでもないよ」
正直に答えるわけにはいかず、そう言って逃げるようにご飯をかきこんだ。しかし、そんな私の態度にあやちゃんは少しだけ不満げに目を細めてしまう。
「……ねぇ、ひーちゃん。何か悩んでる?」
「え」
「だって、食堂の前で会った時、すごく落ち込んでたからさ。アタシでよければ話、聞くよ?」
あやちゃんは食べている途中なのに箸を置いた後、頬杖を付いて笑う。行儀が悪いはずなのにその姿がどこか格好よく見えた。
「……あの、ね」
その姿を見てしまったからか、私の口は勝手に動き出してしまう。一般人である彼女を巻き込むわけにはいかない。だから、私が悩んでいることをそのまま話せないのはわかっている。
(そもそも、私は……)
何を悩んでいる? 何を考えている?
鶴来君のことが気になってしまうこと?
覚悟を見せると言っておきながら自分にできることがないこと?
それとも、もう――。
「わた、し……」
「……あ、このままだとおうどんが伸びちゃう! ごめん、先にお昼食べちゃおっか。話を聞くのはそれからでいい?」
言葉を詰まらせる私を見てあやちゃんは少しわざとらしく、そう言いながらうどんを食べ始めた。食べている間に話す内容を整理して、ということだろう。
「……うん」
彼女の提案に頷きながら私も残っている生姜焼きを食べる。あまり味がしなかったのにさっきよりもちょっとだけ美味しく感じられた。




