第86話
「それでは次の講義に入ります」
上手く表情は誤魔化せたようで私の様子に気づくことなく、長谷川さんは話題を変えた。あの頃のことはすでに過ぎたことだ。今更気にしても意味はない。今は講義に集中しよう。
「『トリガー』に関するお話ですが……すでに少しお話させていただきましたのでその補足から」
「補足?」
「ええ、先ほど影野様に支給される装備はない、とのお話でしたがすでに貴女様はトリガーアイテムを所持しています」
「え!?」
私がトリガーアイテムを持っている? パッと思いつくのは幻影さんから貰ったミサンガ。しかし、あれは榎本先生の靄によって消滅してしまった。他に何か貰っていただろうか?
「……実は今、貴女様が着用している制服こそ、トリガーアイテムでございます」
「この制服が?」
視線を落としてすっかり着慣れた制服を見やる。観察しても普通の制服に見えるのだが、どんな効果があるのだろうか。それにこの制服は二代目である。ドッペルとの戦った時点ですでにボロボロにされ、最終的には駄目になってしまったのだ。そこで幻影さんに新しい制服を――。
「ッ! もしかして、幻影さんが……」
「ご名答。彼女はこれからも貴女様が何かに襲われることを予測し、そちらの制服を用意していたようです。一見、普通の制服に見えるので私たちも気づきませんでした」
「そっか……これはどんなトリガーアイテムなの?」
幻影さんが私のために用意したと聞き、ちょっとだけ嬉しく思いながら長谷川さんに質問した。もし、この制服の機能があれば私でも戦える可能性がある。
「そちらの制服に備わっている機能は『自動修復』のみでございます。また、通常の制服よりも頑丈にできているため、防御面では優れております」
「『自動修復』……もしかして、昨日の爆破に巻き込まれた後?」
「はい、倒れ伏す貴女様とゆっくりと修復されていく制服を見てその制服がトリガーアイテムなのだと判明いたしました。なお、この制服はお嬢様や私も着用しております」
なるほど、トリガー能力で生み出された素材を使って作られた特殊な服なのだろう。長谷川さんたちも着ているということは他のトリガーたちにも同じような服が支給されているはずだ。
「あ、そういえば昨日、音峰先輩も天狗に変身した時、翼が制服を突き破ってたけどいつの間にか直ってたような……」
「そうですね。お嬢様の場合、付けたお面によっては体の構造が変わるものがありますので大変、重宝しております」
それもそうだ。お面を付ける度に破けてしまったら何枚、服があっても足りない。ましてや、ヤツラとの戦いは苛烈そのもの。きっと、服もすぐに駄目になってしまうだろう。
「以上が補足でございます。何か質問はございますか?」
「……ううん、大丈夫。次に行っていいよ」
少しだけ考えたが特に質問は思いつかなかったので続きを促した。彼女もコクリと頷き、すぐに話し始める。
「では、次のお話は『抵抗力』についてです」
「抵抗力?」
「はい、トリガー能力には様々なものがある、と説明させていただきましたが、その中には相手に直接、干渉するものもございます」
「干渉……」
思い出すのは音峰先輩の圧倒的カリスマ力。あれはもはや洗脳に近い。私も何度も目の当たりにしているのであれの強制力の恐ろしさはわかっているつもりだ。
「その干渉系の能力ですが、人によりけりですがトリガーに対しては効きづらい傾向にあります。それを我々は抵抗力と呼んでいます」
「じゃあ、音峰先輩のあれもトリガー相手にはあまり効かないんだ?」
「相手の抵抗力にもよります。お嬢様の場合、能力の練度が高いため、抵抗力の低いトリガーは一般人と同じように魅了されてしまうでしょう」
「……」
能力の練度。気になる単語は出てきたが、今は抵抗力の方が先だ。一点だけ、確認しなければならないことができたから。
「その、抵抗力って一般人は皆、持ってないの?」
「それも人によります。トリガーではない人でも並みのトリガー以上の抵抗力を持っていることもあります。本当に稀ではございますが……その逆も然り。トリガーでも一般人でも抵抗力が低ければ干渉系の影響を大いに受けてしまいます」
「……」
稀ではあるが、抵抗力を持っている人もいる。それで安心できるほど私は楽観的ではない。
どうする? 長谷川さんに聞いてみる? でも、それが藪蛇になる可能性だってある。もし、私が質問して彼女が彼のことを調べる可能性だって――。
「――鶴来様のことでしょうか?」
そんな思考を遮るように長谷川さんはいきなり核心を的確に射抜いた。あまりにドンピシャだったため、私は反応すらできずに彼女の顔を凝視してしまう。
「入学式の際、お嬢様の影響を受けていなかった。また、ある程度、抵抗していたのは二名。貴女様とその隣で爆睡していた鶴来様のみです」
「そ、れは……寝てたからじゃ?」
「いえ、他にも寝ている方はいましたが、お嬢様が壇上に上がっただけで目を覚まし、声を聴いた瞬間、完全に吞まれていました」
そうだ、私もそれを見ていたはずだ。そして、あんな状況で寝ていられる鶴来君に慌てたことも思い出せる。なにより、そんな彼と彼を起こそうとする私を音峰先輩に見られていたことも、知っている。
「お嬢様はあの日からお二人に注目しておりました。共に飛来森のサブであるこの場所を守る仲間を探しておりましたから。特にお嬢様の能力を完全に無効化していた鶴来様に対してはその日にすでに接触しております」
「はっ!?」
入学式の日に音峰先輩は鶴来君に会っていた。でも、鶴来君はそんなこと、一度も言っていなかったはず。それにあの日は二人で帰ったから音峰先輩が彼に接触したのなら私もわか――。
――まぁ、色々な。
そうだ、あの日、苗を中庭に植えた時、帰ったはずの鶴来君と渡り廊下でばったり再会したのだ。あの時、彼にははぐらかされたが音峰先輩たちと会った後だったのだろう。
「それで……何かわかりました?」
「一般人にトリガーのことを知られるわけにはいかないため、直接的な話をしたわけではございません。鶴来様本人も特に何も言いませんでした。ですが、お嬢様を前にしてもなお、態度が変わらなかった点を含め、あまりに肝が据わっておりました。その観点から彼は十中八九、トリガーであると確信しております」
「ッ……」
長谷川さんの言葉に私は思わず、唇を噛んだ。
正直、否定したかった。こんな恐ろしい世界に彼がいるかもしれないと思うと怖かった。友達になりたい人がヤツラに殺される可能性があると考えただけで体が震えそうになる。多分、それだけ私にとって鶴来君は大きい存在なのだろう。その理由は、まだよくわかっていない。
でも、納得してしまっている自分がいた。だって、彼がクラスメイトや私に対して威嚇するように威圧しているのを何度も見たから。
全ての人間を魅了してしまう音峰先輩のカリスマ力。
自分以外は全て敵であり、近づくモノを八つ裂きにしてしまいそうな鶴来君の威圧。
全く正反対であるはずの二つはどこか似ている。両方とも、真正面から受け止めたことのある私だからこそわかった。
その似ている理由こそ――トリガー。
「ですが、お嬢様は鶴来様に対してこれ以上の接触はするつもりがないようです」
「え?」
音峰先輩は仲間を探していると言っていた。だから、てっきり鶴来君を勧誘すると思っていたので少しだけ拍子抜けしてしまう。
「未熟な私ではわかりませんでしたが、初めて彼と話した時、お嬢様は何かを感じ取ったようです。きっと、トリガーだからこそわかる何かがあるのでしょう。きっかけがない限り、鶴来様を勧誘することはありません。ストライカーにも彼のことを報告するつもりはないようです」
「……そっか」
長谷川さんの言葉に私は安堵の溜息を吐く。よかった、これで鶴来君に――。
「……」
鶴来君に、なんだ? 今、私は何を考えた? 何に安心した?
「では、能力の練度についてですが――」
長谷川さんの言葉に耳を傾けながら私は僅かに震える体を必死に抑える。
――鶴来君に私が吸血鬼だと気づかれなくてよかった。
そんなことを一瞬でも考えた自分があまり情けなく、己の心の弱さが恐ろしかった。




