第80話
パチパチ、と何かが燃える音が聞こえる。周囲は赤に染まり、周囲を見渡しても何も見えなかった。
「――――」
誰かの声がする。燃え盛る炎のせいでよく聞こえず、その声の主がどこにいるかもわからない。
「――――」
また、誰かの声がする。その声はどこか悲しそうであり、苦しそうだった。
「――……――――」
誰かの声がする。でも、さっきまで聞こえていた声とは違う。悲しそうなのは同じだが、苦しそうというよりも何か探しているような声。
そして、気づいた。この声の主は――私だ。
「――――」
私は苦しそうな声の持ち主を探しているのだろう。今も燃え続けている炎の中、声をかけながら歩き続けていた。
「――……」
そして、見つけた。相変わらず、炎のせいで何も見えないが確かに私はその誰かを見つけたのである。
「――――」
手を伸ばす。炎に右手が焼かれ、チリチリとした痛みが走る。それでも、私はその探していた人に向かって手を伸ばし――躊躇うように一瞬、その手を引いた。
ずっと、探していたのだろう?
どんなに痛くても見つけたかったのだろう?
やっと見つかって嬉しかったのだろう?
だが、私は確実にその手を引いた。手を伸ばすことが間違いであると言わんばかりに。
「―――――」
しかし、引いた私の手をその誰かが掴んだ。もう離さないと言うようにその手には力が込められていた。
嬉しかった。悲しかった。泣きそうだった。申し訳なかった。
その手を掴まれた瞬間、私の胸が締め付けられる。これは――罪悪感?
「…………ごめんね」
そんな赤に染まった夢が覚める直前、幼い私の舌足らずな声が聞こえた。
「……」
目が覚める直前の微睡。ああ、最近は色々あってあまり寝つきが良くなく、こんな風に目が覚めるのは久しぶりだ。
ふかふかのベッド。心地のいい鳥の鳴き声。カーテンの隙間から射す朝日。そして、仄かに香る私以外の匂い。
「……ん?」
吸血鬼だと自覚してから異様に鋭くなった嗅覚が捉えたその匂いに私はゆらゆらとした微睡から一気に覚醒する。そして、体を起こして周囲を見渡した。
(ここは……教室?)
体を起こしてすぐ目に入ったのは黒板だった。他にも天井の蛍光灯や部屋の隅にいくつかの机と椅子が置いてある。おそらく、ここは北高の教室なのだろう。
しかし、私の知っている教室ではない。まず、私が寝ているベッドは教室にはないものだし、誰かの私物らしきものが床に散乱していた。目の前に広がる黒板などがなければすぐにここが教室だとはわからなかっただろう。それに普通の教室よりも広いような――。
「ん……」
「ひっ」
あまりの事態に混乱していると隣から少しだけ艶っぽい誰かの吐息が聞こえた。思わず、悲鳴を上げてその場で肩を震わせる。
視線は黒板から隣へ。そこには少しだけ膨らんだベッド。
誰かそこで寝ている。それは間違いなさそうだ。問題はその人が誰か、ということである。
「……ふわぁ」
今の状況を整理する前にもぞもぞとその誰かが動き、ベッドからぼさぼさの金色が生えてきた。
「……先輩?」
あまりにぼさぼさだが、こんな綺麗な金髪を持つ人物を私は一人しか知らない。この人は音峰先輩で間違いないだろう。
「んー? あー……すぅ……」
私の声が聞こえたからか、ベッドから顔を出した彼女はぼーっとした様子で私を見上げ、すぐに目を閉じてしまった。その姿に昨日までのカリスマ力はない。むしろ、ぽやぽやしていて可愛らしかった。おそらく、呑気にそんなことを考えている私もまだ寝ぼけているのだろう。
「……んん!?」
「おは、おはよう、ございます……」
しかし、目を閉じたはずの先輩はがばりと体を起こして私の方を振り向いた。目を見開いて驚く姿に少したじたじとなりながらも朝の挨拶を口にする。
「よ……」
「よ?」
「よかったああああああ! 目が覚めたんだあああああぁ……」
「え、ええええ!?」
音峰先輩は私に抱き着き、わんわんと泣き出してしまった。教室で寝ていたことよりも彼女の豹変っぷりに目を白黒させてしまう。
「し、死んじゃったかと思ったぁ!」
「死んじゃった?」
そうだ、私は昨日の夜に肥満体系の鶏から逃げていたはず。廊下を曲がり、鶏を壁に激突させたところまでは覚えているがその先の記憶がない。つまり、あの瞬間、私は気を失ってしまったのだろうか。
「あ、あの……昨日、何が――」
「――うええええええん」
駄目だ。私の声が先輩の泣き声にかき消されてしまう。しかし、振りほどこうとしたら余計に泣いてしまうだろうし、どうしたものか。
「失礼します、お嬢様。そろそろ……あ」
その時、教室の内側にある扉がノックされ、長谷川さんが顔を覗かせた。そして、ベッドの上にいる私と先輩の姿を見て体を硬直させる。
「……失礼いたしました」
「いや、助けて! お願いだから!」
「冗談でございます」
扉を閉めようとする長谷川さんを必死に止めたが彼女はあっけらかんと答えて教室の中に入ってきた。もしかしたらこの教室は生徒会室と繋がっている音峰先輩の寝室なのかもしれない。
「影野様、ご気分はいかがでしょうか?」
「あー、うん。とりあえず、大丈夫だけど」
「それはよかったです。あれほどの大怪我をされたので一時はどうなることかと」
「大怪我?」
やはり、あの時に何かがあったのだ。おそらく、あの鶏の攻撃。だが、吸血鬼特有の頑丈な私を一瞬で気絶させるほどの攻撃をあの一瞬で受けたとは考えにくい。
「えっと、もうちょっと詳しく――」
「――うえええええええん!」
「……ひとまず、このポンコツを黙らせましょうか」
「ぽ、ポンコツ?」
先輩が泣き続けているせいで情報を聞き出せないのは確かだ。しかし、これほど大泣きしているこの人をどうやって落ち着かせるのだろうか。
「失礼します。えい」
「きゃああああ――おはよう、影野さん。いい朝ね。気分はどう?」
「えぇ……」
今もなお、私から離れようとしない音峰先輩を簡単に引き剝がした長谷川さんはそのまま彼女を横抱きにして開けっ放しにしていた扉から生徒会室へ投げ捨てた。投げられた直後、悲鳴をあげた先輩だったが生徒会室に入った瞬間、空中で態勢を立て直して華麗に着地。そして、顔を上げた頃にはあの凛とした姿に戻っていた。ぼさぼさだった金色もすっかり綺麗になっている。あまりの変わりように思わずドン引きしてしまった。
「長谷川、毎朝言うのだけれど主人を投げるのは止めなさい」
「そうでもしなければ一生、ベッドに引きこもっていますよね?」
「え、えっと……先輩?」
いつものカリスマに溢れた姿に戻った先輩が長谷川さんを咎めるものの当の本人は気にした様子もなく、寝室の片づけをし始めてしまう。さすがにこのままでは置いてけぼりになってしまうと思った私は先輩に声をかけた。
「ああ、ごめんなさい。みっともない姿を見せてしまったわね。気にしなくていいのよ」
「いや、でも……さすがに気にしないわけにも……」
「そうですよ、お嬢様。天狗の姿をお見せになったのですから通常時の姿もお見せするべきです」
「嫌よ」
私の味方をしてくれた長谷川さんだったが先輩はそっぽを向いて拒絶する。そんな様子を見た長谷川さんは小さくため息を吐き、手に持っていた洗濯物を近くの机の上に置いた。
「ほら、早くお見せください」
「嫌よ! 引っ張らないで!」
そして、音峰先輩の手を掴み、寝室の方へと引っ張る。もちろん、先輩も全力で抵抗するため、教室の境目でキャットファイトが始まってしまった。私はそんな二人を黙って見ていることしかできない。
「……仕方ありませんね。ふぅー」
「ひゃん」
だが、そんな戦いも長谷川さんが一瞬の隙を突いて先輩の懐に入り、右耳に息を吹きかけたことによって終幕。耳が弱点だったのか、音峰先輩は力が抜けてそのまま寝室へと引きずり込まれてしまった。
「……」
寝室に入った先輩からあの威圧にも似たカリスマ力が霧散する。そして、彼女の表情も少しずつ弱々しくなっていった。
「せ、先輩? 大丈夫ですか?」
さすがに心配になったのでベッドから降りて先輩の方へ歩み寄りながら声をかける。だが、その声にビクリと肩を震わせた彼女は長谷川さんの後ろへと隠れてしまった。
「ぁ、えっと……ごめんなさい」
「い、いえ……こちら、こそ……」
「……」
「……」
後輩から隠れてしまったことに気づき、長谷川さんの肩から少しだけ顔を覗かせた先輩は小さな声で謝った。こちらとしては何がなんだかわかっていないため、それを受け入れるしかない。
「……影野様、昨日お伝えしたお嬢様の能力は覚えていらっしゃいますでしょうか?」
「え、う、うん……『付けたお面によって力を得る』っていうトリガー能力だよね」
「ええ、その通りでございます。ですが、あの天狗のように付けたお面によって性格も変わります。それが――お面ではなくても」
「……は?」
お面じゃない? それはどういうことだろうか。
疑問に思いつつ、先輩に視線を向ける。それだけで彼女は顔を強張らせ、長谷川さんの後ろで縮こまってしまった。
「つまり、お嬢様は外面がいいのです」
「……ん?」
外面。確か、親しい人に対する態度は素っ気ないのに他人に対して愛想よく接することだった気がする。それと先輩の能力に何の関係が――。
「……え、まさか?」
「ええ、そのまさかでございます」
「ひっ」
長谷川さんが後ろに手を伸ばし、先輩を捕まえて私の方へ差し出す。差し出された彼女は顔を伏せて震えていた。
「お嬢様はこの寝室以外では音峰市長の娘、そして、『市立音峰北高等学校』の生徒会長として仮面を被っているのです」




