第78話
能力を見せると言って取り出した天狗のお面を音峰先輩はゆっくりと顔につけた。そして、吹き荒れる突風。そのあまりの風圧に私は思わず腕で顔を庇ってしまう。
「ぅっ……え!?」
腕の隙間から前を覗くとそこには真っ黒な翼を生やした音峰先輩が立っていた。また、彼女の右手にいつの間にか巨大な羽の団扇――羽団扇を握っている。その後ろ姿はまさに天狗そのもの。
「さぁ! 後輩にいいとこ、見せねぇとなぁ!!」
あまりの事態に言葉を失っていると音峰先輩はしゃがれた声で叫び、黒い翼を大きく広げて飛ぶ。そう、飛んだのだ。
「でえええええええいい!」
そのまま、彼女は二階の渡り廊下へと突っ込み、ヤツラへと突っ込む。そして、反対側の中庭に叩き落した。慌てて一階の渡り廊下を通り抜け、反対側の中庭へと向かう。
「これ、は……」
その奥にいたのはうねうねとした12本の腕を生やしたイカに似た化け物。だが、大きく違うのは体の色が紫であり、イカの耳の部分が鋭いギザギザした突起物で覆いつくされているところか。腕もそうだが、あの突起物が体に掠っただけでもズタズタに引き裂かれてしまうだろう。
「はは、当たらぬわ!」
しかし、それ以上に驚かされたのは音峰先輩が何本もの腕を空中で回避しながら笑っている姿。あれは完全に飛行している。風貌もそうだが、あれでは本当に天狗になったような――。
「お嬢様の二つ名を覚えていらっしゃいますでしょうか?」
その光景に茫然としているといつの間にか私の隣に立っていた長谷川さんがいきなりそんな質問をしてきた。あまりに唐突だったので反応するのに1秒ほどかかってしまう。
「え? あ、えっと……確か、『仮面舞踏会』だったような?」
「ええ、その通りでございます。影野様、しかと目に焼き付けてください」
そう言いながら長谷川さんはジッと飛んでいる音峰先輩を見つめる。その目に宿す意味はゴーグルのせいでわからない。
「そぅら! これでも喰らいなぁ!」
「――――――――――――――――!!」
音峰先輩は右手に持つ巨大な羽団扇を一振り。その瞬間、イカの化け物の体から青い液体がまき散らす。まるで、何かに切られたような傷跡がいくつもその体に刻まれている。あまりの激痛に化け物はつんざくような悲鳴を上げた。
「風の刃?」
吸血鬼のおかげなのか私の目は一瞬だけ、彼女と化け物の間の空間が歪んだのを捉える。あれはおそらくドッペルと同じような攻撃。不可視の刃だ。
「お嬢様のトリガー能力……それは『付けたお面によって力を得る』というもの」
「お面……じゃあ、あの天狗以外にも」
「はい、彼女は敵の性質に合わせ、いくつものお面を付け替えて戦うトリガー」
だからこそ、『仮面舞踏会』。たった独りで成立する舞踏会。確かに空を自由に飛び、イカを風の刃で切り刻む姿は踊っているようだった。
「はっはっは! そんなもんかぁ? 張り合いねぇな!!」
「で、でも……あの、性格が……」
しかし、それ以上に気になるのが音峰先輩の豹変具合だった。お面を付けるまではカリスマに溢れたお嬢様だったのに今はそれがガラリと変わっている。声も凛としたまさか暴走してしまった?
「お嬢様のトリガー能力の都合により、付けたお面によって性格や言動が変化いたします。現在、天狗なのであのような少々乱暴な性格になっておられます」
「少々?」
長谷川さんの言葉に首を傾げながらもう一度、音峰先輩を見上げる。そこには上空から一方的にイカを切り刻み、高笑いをあげている彼女の姿。少々どころではないと思うのは私だけだろうか
「ですが、天狗、ですか……」
そんなことを考えていると長谷川さんは独り言を呟き、ごそごそと着ている上着の懐から何かを取り出した。何だろうと見ていると彼女の手に握られていたのは黒光りする拳銃だった。
「は?」
あまりにスムーズに顔を覗かせたそれに私は目を疑ってしまう。
銃刀法違反。日本では規格外の刃物や銃器の所持を認められていない。だから、長谷川さんの手にある拳銃も偽物、だとはこの状況ではさすがに思えなかった。
「ああ、安心してください。こちらは『ストライカー』で支給されているれっきとした装備です」
そんな私の視線に気づいたのか、長谷川さんは拳銃のセーフティを外しながら口早に説明する。それなら安心とはならないのは私の心にすっかり日本人としての常識が植え付けられているからだろう。
「では、話に戻りましょうか。お嬢様のトリガー能力にも欠点がございます」
準備が整ったのだろう。彼女はいつでも撃てるように拳銃をイカに向けながら口を動かす。その銃口は微動だにせず、たったそれだけで相当な訓練を受けたのだろうと容易に想像できた。
一方、上空にいる音峰先輩を捕まえようと触手を伸ばしているイカだが、音峰先輩の動きが速く、なかなか捕まえられないでいる。だが、その反面、風の刃で受けた傷をある程度なら再生できるようで音峰先輩も攻めきれないでいた。それでも羽団扇を振り続けているのは近づけば触手に捕まってしまう可能性を考慮し、このまま一方的に切り刻んで再生限界が来るのを待っているのだろう。
「その一、お面を付けるという過程が発生するため、不意打ちに弱いこと」
確かに常日頃からお面を付けてはいられない。準備をしていない時に襲撃されたら反撃するのにワンテンポ遅れてしまうのは当たり前だ。
「その二、諸事情によってお嬢様は起きている間、ほぼ能力を使用しています。そのため、適度な休息が必要となります」
「起きている間、ずっと?」
つまり、あのカリスマに溢れた生徒会長としての姿もトリガー能力の一つなのだろうか。
「その三――」
そう言いながら長谷川さんの右手は少しずつ上に上がっていく。その動きに合わせ、銃口も上を向いていき、照準が羽団扇を振りまくっている音峰先輩に向いた。
「え、はせ――」
まさか、と思い、彼女に声をかけようとする。だが、その前に長谷川さんは引き金を引き、イメージよりも乾いた音が学校に響いた。
「ッ……」
その音で音峰先輩は羽団扇を振るのを止める。そして、彼女の背後から密かに忍び寄っていた触手が長谷川さんの銃弾によって軌道を逸らされた。軌道の逸れた触手は音峰先輩のすぐ右を通り過ぎ、難を逃れる。長谷川さんが銃弾を放っていなければ捕まっていただろう。
「その三、付けたお面の諺や逸話に引っ張られやすくなる。つまり、今のお嬢様は――」
「――天狗になる。調子に乗りやすいため、フォロー必須なのです」
「信じておったぞ! 長谷川ぁ!!」
発砲音が校内に響く中、それを上書きするように音峰先輩が叫んだ。その直後、今まで羽団扇を振るだけだった彼女はその漆黒の翼を一気に羽ばたかせ、イカへと突っ込んだ。
もちろん、そんな天狗を捕まえようと傷だらけのイカは全ての触手を勢いよく伸ばした。触手は12。天狗の飛行能力でもあの触手の壁を無傷で抜けるのは難しいだろう。
(でも、再生も止まってる)
だからこそ、音峰先輩は勝負を仕掛けた。問題はあの触手の壁をどうするか。私も加勢した方がいいか。何ができるかわからないけど、壁ぐらいには――。
「はぁ……」
しかし、そんな私の思考を遮るように隣に立つ長谷川さんは呆れたようなため息を吐き、銃口を向ける。そして、三発。立て続けに銃弾を放った。それらはイカの触手の三つにぶつかり、僅かに押しのける。先ほどもそうだが、長谷川さんの銃弾では触手の軌道を逸らすことしかできないらしい。
「ははっ!」
でも、たったそれだけ。たったそれだけで音峰先輩は一直線にイカの懐へと潜り込んだ。その光景はまるで触手たちが自ら音峰先輩を避けたように見えた。
違う。これも長谷川さんの銃弾だ。あの三発の銃弾で音峰先輩の道を作ったのだ。
「――――――」
まさかイカも簡単に触手の壁を突破されると思わなかったのだろう。悲鳴のような声を上げ、咄嗟に頭を音峰先輩に突き出した。あの鋭い突起物が並んだ耳で彼女を殺すつもりなのだ。
「……はっ」
それを見た音峰先輩は鼻で笑い、軽く羽団扇を仰ぐ。その直後、音峰先輩の体が不自然に浮き、イカの頭の上を縦に回転しながら通り過ぎた。今までは風の刃で攻撃していたが、今は自分の体を浮かせる上昇気流を吹かせたのだ。
「終わりだ」
そして、イカの背後を取った音峰先輩はもう一度、羽団扇を振るう。すると、イカを中心に小規模な竜巻が発生し、ヤツの全身をズタズタに切り裂いた。そのままイカはその場に倒れ、消滅してそれを見届けた音峰先輩が天狗のお面を外してこちらを振り返る。
「……さて、どうだったかしら?」
天狗のお面を外したことにより、私の知っている彼女に戻ったようで音峰先輩は微かに笑みを浮かべた。




