第76話
「あの森が……飛来森」
私がこの街に来るきっかけとなり、榎本先生に追いかけられ、彼が消滅したあの森。そして、幻影さんがいつも戦っている場所。それが飛来森。
「でも、どうしてそんな名前が付いたの? 飛来森って……文字を見ないと避雷針を勘違いしちゃいそうだけど」
「それが答えです」
「え?」
「避雷針なのです、あの森は。この世界を守るための」
世界を守るための避雷針。つまり、避雷針が雷を引き寄せるのと同じような役割を担っている?
「……まさか、ヤツラを?」
これまでの話を考慮し、私はありえないと思いながらも長谷川さんにそう聞いた。だって、ヤツラをわざわざ一か所に集めるメリットが浮かばない。むしろ、数の暴力で森に入った人たちが蹂躙されてしまう。
「ええ、その通りでございます」
しかし、長谷川さんはコクリと頷き、私の答えを肯定する。そのまま、ホワイトボードをひっくり返した。そう、ボードの裏側にはこの講義が始まる前に彼女が書いていたものが――。
「……これって」
ひっくり返されたボードには音峰市の簡易的な地図が描かれていた。中央には広大な森、飛来森。そして、その森から少し離れた東西南北の位置に一つずつ小さな四角が書かれていた。それらは等間隔に配置されており、明らかに意味がある場所なのがわかる。
「これが音峰市の俯瞰図でございます。影野様、見覚えがありますか?」
「うん、何度か音峰市の地図は見たことがあるから……って、あれ」
小さな四角が具体的に何の場所なのか。そういった記載はなかったが飛来森の真上。おそらく北にある四角がある場所には覚えがあった。
「もしかして、北の四角はここ?」
「そう。この四角こそ、今我々がいる『市立音峰北高等学校』でございます」
私の言葉に頷いた彼女はペンを持って可愛らしい文字で北の四角の近くに『市立音峰北高等学校』と書き込んだ。
「更に他の三か所もお伝えします」
そう言いながら続けて他の四角にも文字を刻み込んでいく。
東の四角には『音峰市立東町図書館』。
西の四角には『音峰市立西町美術館』。
そして、南の四角には私も入院した『音峰市立南町総合病院』。
「全部、市立……」
ホワイトボードに書かれた文字を見て無意識に言葉を零していた。『市立』。つまり、音峰市が管理している施設、ということになる。そして、音峰市のトップである市長は――。
「はい、逆に言えばこの四か所の施設以外に市立は存在しておりません。すでに感づかれておられる様子なのでお答えしますがこの四か所の施設は通常の運営のほかに『ストライカー』が常に配備されています」
例えば、学校。生徒会長である音峰先輩は『ストライカー』だ。また、私が入院した『音峰市立南町総合病院』は『ストライカー』の息がかかっている。
「でも、音峰先輩もさすがに家に帰ってるよね?」
「はい、その時は代理の『ストライカー』に学校を任せて帰宅されております。頻度は月一程度ですが」
「……は?」
家に帰るのが月一? じゃあ、ほぼ毎日、学校にいるということになる。でも、どうやって? だって、ここは学校だ。食事はともかく、お風呂や寝る場所はどこにある?
「ッ……」
そこで私は咄嗟に生徒会室の奥の部屋に通じる扉を見る。そうだ、あそこだ。あの部屋は音峰先輩の部屋だと言っていたが、そういった理由があるのなら納得できる。
「さて、話を戻しましょうか。そもそも、飛来森とは何か? 先ほどもお伝えしましたがヤツラを引き寄せるための巨大な結界でございます」
「結界……」
「そして、四か所の『市立』。そちらがこの結界のサブであり、飛来森だけでは必ず引き寄せるヤツラに漏れが生じるため、それをカバーしています」
「えっと……そもそも引き寄せるってどうやって?」
長谷川さんの説明を遮って質問する。飛来、というのだからヤツラが飛んでくるのだろうか。でも、ゴブリンとかサイクロプスに飛行能力はないはず。
「引き寄せるのはヤツラが出現するポイントをあの森に絞り込むということです。そうすることで一般人にヤツラを目撃される可能性を著しく低下させ、処理もしやすくなります」
確かにヤツラの出現場所を森の中に固定化することができれば誰かに見られる心配はないし、ヤツラを探す手間も省ける。増えすぎたら幻影さんたちがやっていたように間引きすればいい話。もちろん、森の中に入れば常にヤツラから襲われる危険が伴うので幻影さんたちのような強い人たちじゃなければすぐに殺されてしまうだろう。榎本先生に襲われたあの夜、ヤツラに遭遇しなかったのは運がよかったのだ。
「じゃあ、他のところにも飛来森のような場所があるってこと?」
「いえ、ヤツラを引き寄せる結界は飛来森しかございません」
「? あ、日本にはってこと?」
「世界中です。この地球上に飛来森のような結界は音峰市にしかなく、世界中のヤツラがあの森に集まります」
「……は?」
気になったので聞いてみたのだが、予想外な答えが返ってきたのでキョトンとしてしまう。飛来森はヤツラを引き寄せる結界。おそらくこれまでヤツラの存在が世間にばれていないということはヤツラの出現頻度はさほど高くないはずだ。
だが、引き寄せる範囲が世界だとしたら? たった33平方kmしかない森の中に世界中で出現するはずだったヤツラが集められる。それは一体、どれほどの規模となるのだろうか。
「もちろん、あの森に全てのヤツラを収容するのは簡単ではありません。結界内にいるヤツラの数を把握するのは不可能ですから」
「それは……そうだよね」
「だからこそのサブです。飛来森がヤツラで溢れそうになった場合、一時的にサブの方へヤツラの出現ポイントが移ります。そうすることで飛来森がヤツラで溢れるのを防ぐとともに溢れそうになっているサインにもなります」
「……え? それってもしかして、ここにヤツラが現れるの?」
「はい、通常であれば一日に一体ほどしか出現しませんが飛来森が溢れそうになった時はそれなりに出現します」
いや、待ってほしい。私が北高に通うようになって1か月ほど経つがヤツラに出会ったことはない。一般人に気づかれないように密かに倒しているのだろうか。
「ヤツラの出現する時間帯は基本的に夜です。そのため、夜までここで待機し、ヤツラが出現したら討伐する。それがお嬢様のお仕事です」
「そう、だったんだ」
そんな疑問を長谷川さんにぶつけると彼女は少しだけ誇らしげにそう答えた。茫然としながら私は再び音峰先輩が休んでいる部屋の扉を眺める。この1か月、この学校でそのようなことが起こっていたとは知らなかった。きっと、大変な仕事だろう。だって、学校でヤツラと戦って――。
「……え、もしかして実践って」
「? はい、今日から影野様にも実戦に参加していただきます」
「……は?」
長谷川さんは何を今更と首を傾げながら答え、私は間抜けな声を漏らしてしまった。
実践って実戦ってこと!?




