第74話
「因果律……」
聞き慣れない言葉とその内容に私は茫然とそれを繰り返すことしかできなかった。ヤツラに出会ったら狙われ続ける。なら、私はどうなる? 吸血鬼である私に関わった人たちは他のヤツラにも? もし、それが本当なら――。
「ご安心ください。貴女様の正体を知らなければ影響はございません」
「え?」
――そんな私の思考を読み取ったように長谷川さんは補足する。しかし、私がヤツラであることには変わりない。何か根拠でもあるのだろうか。
「ここで思い出していただきたいのがヤツラの発生条件です。信仰心とお伝えしましたよね?」
「は、はい……人の『存在する』っていう信仰心が――あ」
――信仰、心……でも、私のように実際に見なければそう思わないですよね?
そうだ、私自身がそう言ったのだ。実際にヤツラを見なければ『存在する』と思わない、と。逆説的に一度でも出会ってしまったらヤツラがどこかに潜んでいると警戒する。考えてしまう。心のどこかで――また出会ってしまうかもしれないと恐怖してしまう。それがヤツラを発生させてしまう条件だと知りながらも止められない。
「ヤツラの習性の一つにヤツラの存在を認めている人を狙う、というものがあります。そして、回数を重ねれば重ねるほどヤツラに対する信仰心が増加しますのでどんどん狙われやすくなります」
だからこその『因果律』。一度、出会ってしまったら――ヤツラの存在を知ってしまったら最後。ヤツラからは逃げられない。ヤツラが逃がさない。
「でも、私が吸血鬼だと知らなければ……」
「信仰心はないため、『因果律』が発生しません。もちろん、貴女様の正体がバレたら知った人たちはヤツラに狙われることでしょう。『吸血鬼がいるのだから他の人外も存在しているかも』という信仰心によって」
「……」
もちろん、私が吸血鬼であることは隠すつもりだった。だが、そんな事情があるのなら正体がバレないように注意しよう。私のせいで皆を巻き込むわけにはいかないから。
「以上、ヤツラの説明でございました。何か質問はございますでしょうか」
改めて決意すると長谷川さんが淡々と問いかけてきた。正直、衝撃的な事実が多く、今の説明だけでもお腹いっぱいだった。
(でも、ここでギブアップしたら音峰先輩に認めてもらえない)
「大丈夫です。続きをお願いします」
「……かしこまりました。また、同級生である私に対して敬語は不要です」
「へ、あ、うん……ありがと」
「それでは次の項目、『相棒システム』について説明させていただきます」
いきなり敬語はいらないと言われ、戸惑ってしまったが彼女はそれを無視して説明に戻ってしまう。長谷川さん本人は敬語を崩さないのは音峰先輩の従者であるからだろうか。私としては彼女とも仲良くしたいところなのだが、なかなか難しそうである。
「影野様、貴女様は幻影様の相棒でございます。それは自覚なさっておりますでしょうか」
「……一応、そのつもりだけど」
「断言させていただきます。今の貴女様は幻影様の相棒にはふさわしくありません」
「うぐっ……それは、知ってるよ」
幻影さんの相棒にふさわしくない。そう言われたのはこれで3回目だ。いや、きっと幻影さん本人もそう思っているだろう。
だからこそ、長谷川さんの言葉に頷いたのだが、彼女はジッと私を見つめ始めた。私の心を見透かそうとするその黒い瞳にゴクリと生唾を飲み込む。
「では、幻影様の相棒にふさわしくなるためには何が必要だとお考えでしょうか?」
「え? それは……力?」
思い出すのは先日の森の中で見た幻影さんとシノビちゃんの戦い。あの2人こそ、相棒と呼べるべき関係だった。私もあんな風に肩を並べて戦いたい。それこそ、幻影様の相棒にふさわしい姿。
「不合格です」
だが、私の答えを聞いた長谷川さんはきっぱりと否定した。ぱっと見、いつもの無表情に見えるがほんの少しだけ怒りの色が見えたような気がする。いや、怒りじゃない。これは――軽蔑?
「貴女様から見て幻影様はどのようなお人でしたか?」
向けられた感情に困惑している私に気づいていないのか、彼女は更に質問を重ねる。どんな人、か。それはすぐに答えられる。
「とても強い人。いつも堂々としていて、こんな私を助けてくれた人。恩人、だよ」
「……」
「でも……きっと、それと同時に弱い部分もあると思う。ううん、もしかしたら私の想像以上に苦しんでるのかも」
――簡単な話です。私は私の能力を嫌ってるからです。それこそバーストを起こしてしまいそうになるほどに。
幻影さんが外套を着て正体を隠している理由。それはきっと、過去に何かがあってそれがトラウマになっているからだ。それなのにあの夜、彼女は外套を脱ごうとしてくれた。今でも震える手を外套に伸ばす彼女の後ろ姿を思い出す。
だから、私は幻影さんの力になりたい。一緒に戦いたい。そして、隣で――。
「あ、そっか……私、幻影さんを支えたいんだ」
ずっと、燻っていた違和感。これまで彼女の役に立つために知識や力を求めていたが、そうじゃない。私が本当にやりたかったことは彼女の助けに、支えになりたかったのだ。強くて、優しくて、自分が苦しくても誰かを助けるためだったら犠牲にしてしまう、どこか弱い部分もある、あの素敵な憧れの人の支えに。
「……合格です」
「へ?」
「相棒に必要なのは力ではございません。本当に必要なものは助け合う、という心です。もちろん、共に戦うと決意したのなら力は必要でしょう。ですが、幻影様はすでに『ストライカー』――いえ、歴代のトリガーの中で最も強いお方。もし、彼女にふさわしい相棒となるならば力ばかりを求めてもあまり意味はないと私は考えます」
「……」
私が無意識に零した言葉。それこそ長谷川さんが求めていた答えだった。でも、確かにそうだ。幻影さんは強い。私が力をつけたとしても彼女には到底、及ばないだろう。それなら私にしかできない方法で彼女を支える。今はその方法を模索した方が有意義だ。
「あの、一ついいですか?」
「……」
「……あ、一ついい?」
「なんでしょう」
思わず敬語で話してしまい、慌ててタメ口に戻すと長谷川さんがコテンと首を傾げる。もしかして、想像以上に面白い人なのかもしれない。
「長谷川さんはどんな風に音峰先輩を支えてるの? 人間、なんだよね?」
「ええ、私は人間でございます。トリガーですらありません。護身術は身に着けておりますので一般男性程度であれば対処可能でしょう。しかし、ヤツラやトリガー相手ならきっと一瞬で殺されてしまいます」
そう言いながら彼女は持っていたペンを置き、お茶のお代わりを淹れ始める。部屋の中にお茶特有のいい匂いが広がり、私は自然と笑みを浮かべた。
「なので、私はお嬢様の傍にいることで支えております」
「傍にいる?」
「はい、このようにお茶を用意したり、事務仕事……また、ヤツラと戦う時はオペレーターの真似事をしておりますね」
私の前にお茶を置いた彼女は奥の部屋に繋がる扉へ視線を向けた。あの部屋には音峰先輩がいる。彼女が支えたいと願った相手がいる。だからだろう、彼女の表情はいつもより柔らかく見えた。
「貴女様はこちらの世界を知ったばかり。まだ支え方はわからないでしょう。ですが、先ほどの気持ちを忘れなければきっと、幻影様の相棒だと胸を張って言える日が来るでしょう」
「……ありがとう、長谷川さん」
彼女の言葉に少しだけ目頭が熱くなる。1日でも早く幻影さんの相棒にふさわしくなれるよう、頑張ろう。そう思いながら長谷川さんが淹れてくれたお茶を一口だけ口に含んだ。




