第72話
「ッ……」
音峰先輩の冷笑に私は奥歯を噛みしめる。長谷川さんに呼ばれた時点で幻影さんの相棒を辞めるように忠告されることは何となく予想はしていた。私は吸血鬼であり、『ストライカー』の――人類の敵だ。こうやって、彼女たちの前で生きていられるのも幻影さんの相棒になったからであり、私の存在を赦されたわけではない。きっと、シノビちゃんや音峰先輩以外にも私をよく思っていない人は数多くいるだろう。
「こちらの事情を何も知らないあなたからしたら初耳かもしれないけれど私は『ストライカー』の最高責任者兼市長である『音峰 クレア』の娘よ。母から直々にあなたに伝言を頼まれたの」
『市長の娘』。きっと、その言葉は『ストライカー』に所属しているトリガーにとってとても重いものなのだろう。それを実感できるほど私は何も知らない。
「そもそもあなたはつい先日、自分がヤツラだと自覚した例外。監視はつきますが以前と同じような日常に戻るのなら見逃す、と言っていたわ」
音峰先輩の威圧のせいで何も反応できない私を見ながら彼女は淡々と話を続ける。おそらく、私の意志は関係ない。そう説明するように言われたから伝えているだけ。だから、こうやってトリガー能力を使い、強引に頷かせようとしているのだ。
「だから、いいわよね? あなただってこんな危険なことにこれ以上、関わりたくないでしょう?」
そう言い切った途端、威圧が重くなった。少しでも気を抜けば頷いてしまいそうになる。少し前までの私ならこの重さに耐えきれず、頭を垂れていただろう
「……嫌です」
だが、ほんの少しだけ遅かった。私はすでに覚悟を決めてここに座っている。血反吐を吐いてでも縋りついてやるつもりなのだ。こんな威圧に負ける程度では幻影さんの役に立てるはずがない。
「……榎本の件についてこちらとしても不手際があったことは認めるわ。だから、すぐに信じられないのも理解できる。でも、あなたの身の安全が守られることは本当なの」
まさか私が反抗――抵抗できるとは考えていなかったらしく、数秒ほど硬直した先輩だったが私を説得しようと言葉を重ねる。
おそらく、音峰先輩の話は本当なのだろう。仮に幻影さんの相棒を解除した後、私を殺したとしたらその話は幻影さんの耳にも届くはずだ。吸血鬼である私を殺すためとはいえ、約束を破って手をかけたという事実は変わらない。それは組織の信用問題に関わってくる。幻影さんに一目を置いているであろう『ストライカー』が彼女の信用を損なうようなことはしないだろう。
「違うんです。そういう問題じゃないんです」
しかし、音峰先輩は根本的に勘違いをしている。私が幻影さんの相棒という立場に縋り付いているのは保身のためではない。
「私は幻影さんにすら望まれていなくても相棒として彼女の役に……傍にいたんです。それが……彼女の迷惑になるのなら潔く諦めます。ですが、まだ私は諦められるほど先輩たちがいる世界のことを知りません。だから、私は自分が納得できるまで足掻き続けます」
「本気、なのね?」
「はい」
こちらの真意を確かめようとまっすぐに見つめてくる音峰先輩。私はそれから目を反らさず、はっきりと頷いた。
「……最後に聞かせて。どうして、あなたはそこまで幻影様の傍にいたいの? 命の恩人だから?」
「それもあります……ですが、その……」
そこで私は思わず口を噤んでしまう。返答に悩んだわけではない。この話はおじさんやおばさんにすらしたことがなかったので少しだけ躊躇ってしまっただけ。
「何か話せない理由があるのかしら?」
「……いえ、そういうわけじゃないんです」
「なら、話して」
音峰先輩は無表情のまま、私に続きを催促する。私の覚悟を見極めようとしているのかもしれない。
「……幻影さんに恩があるのは本当です。それも理由の一つです」
確かに先輩の言うとおり、私は幻影さんに一生をかけても返せない恩がある。それを少しでも返したいという想いがないわけではない。
しかし、それ以上に私を付き動かす理由は――どうしても彼女の傍にいたいのは――。
「幻影さんは私の憧れの人でした」
そう、それは『憧憬』だ。
「憧れ……でも、あなたと彼女が出会ったのはほんの1週間前の話では?」
「実際に会ったのはあの夜が初めてだったんですが……私は一方的に幻影さんを知ってました」
「ッ!? 一体、どこで!?」
ガタ、と音を立てながら立ち上がる音峰先輩。あれだけ表情を変えなかった長谷川さんも少しだけ目を丸くしているように見えた。
「……夢、です」
「夢?」
「はい、小学校の頃からずっと……暗い森の中で幻影さんが歩く夢を見てました」
小学校の頃から見続けていたあの不思議な夢。あの夢を見ていたから私は音峰市に引っ越してくる決意をした。運命、と自分で言うのは少し恥ずかしいけど、あの夢が私と幻影さんを繋いでくれたのだ。
「その夢の中で幻影さんの背中を見続けて……私もいつかこんな人になりたいとずっと思ってました。いつか会いたいと夢を見てました」
「……」
「でも、夢は夢で……ありえないと思いながら心のどこかでは期待していて……もしかしたらとこの街に引っ越してきて」
そして、あの満月の夜に私たちは出会った。
「だから、少しでも憧れの人に近づけるように私は……最後まで諦めません。それが理由です」
「……夢で、あの方を」
「ぁ、す、すみません……こんな突拍子もない話をしてしまって……」
気づけば夢中になって話をしていた私はそんな呟くような音峰先輩の声で正気に戻った。いきなり夢の話をされたら困惑してしまうに決まっている。
「……いえ、十分です」
「え?」
「憧れは……誰にも止められないものね」
そう言いながら音峰先輩は静かに席に座った。彼女の表情はどこか柔らかく、先ほどまでの威圧はいつの間にか消えている。
(もしかして……認めてくれたのかな?)
「でも、言葉だけでは足りないわ。本当にあの人の相棒にふさわしいかどうか……試させてもらうわね」
一瞬、期待したのだが現実はそこまで上手くいかないようで音峰先輩は口元を緩ませながら長谷川さんに目配せを送る。たったそれだけで長谷川さんはコクリと頷き、ホワイトボードをカラカラと動かし始めた。
「影野さん、ゴールデンウィークの予定はあるかしら?」
「え? あ、その……体を鍛えようとは思ってましたが」
「なるほど、とにかく行動をしようという心意気は素晴らしいわ。でも、あなたには何もかもが足りない」
その言葉に『うぐっ』と顔をしかめてしまう。それは私だって知っている。しかし、私ができることはそれぐらいしかなかったのだ。
「そこでこのゴールデンウィークの3日間であなたの覚悟を見極めるわ」
長谷川さんがホワイトボードに何かを書き込む音が聞こえる中、音峰先輩は立ち上がって私にそっと手を差し出す。その所作があまりに洗礼されており、私もつられて席を立ってしまった。
「そのためにあなたを――『生徒会庶務』に任命します。もちろん、あなたに拒否権はありません。さぁ、忙しい3日間になるわよ?」
「……へ?」
あまりにも唐突な命令に私は間抜けな声を漏らしてしまう。
『影野 姫』、生徒会庶務になりました。




