第71話
「こちらです」
西棟三階、一番奥の教室。その前で案内してくれた彼女はそう告げながらその教室の扉の前で立ち止まる。
「ここは?」
「生徒会室です」
「生徒会室……」
私はその言葉を思わず繰り返してしまう。室名札には何も書かれておらず、扉の周囲を見渡してもどこにも『生徒会室』とは書かれていなかった。家に帰ったら学校の案内図を確かめてみよう。
「お嬢様、影野様をお連れ致しました」
「どうぞ」
「ッ――」
数回のノックの後、扉の向こうからあの凛とした声が聞こえる。たったそれだけであの悪寒に似た感覚に襲われ、自然と背筋が伸びてしまった。
「……失礼します」
でも、ここで怖気づくわけにはいかない。私を呼びに来た女子生徒に視線で促され、扉を開ける。そして、覚悟を決めていたはずなのに息を飲んでしまった。
「いらっしゃい、こうして話すのは二度目ね」
扉の先にいたのは目が眩むほどの金色だった。その人は生徒会長席に座っており、私を見て優雅に微笑んだ。しかし、それがどこか作られた物のように思えて少しだけ不気味だった。
「急な呼び出しでごめんなさい。どうぞ、そちらの席にお掛けになって」
「……はい」
促されるまま、私は生徒会室の中央に並べられている席の一つに座った。会議をするためなのか6個の机を合体させているため、生徒会長――音峰先輩を見るには横を向く必要がある。体を正面に向けていないだけで特に敵意を向けられていないのに緊張してしまう。
「長谷川、お茶を出して」
「かしこまりました」
音峰先輩の指示に私をここまで案内した女子生徒――長谷川先輩は頷き、部屋の隅に準備されていた茶器の方へ向かった。
「まずは改めて自己紹介をさせてもらうわ。私は『音峰 恵玲奈』。市立音峰北高等学校の2年生で生徒会長を務めているわ」
「あ、えっと……1年生の『影野 姫』です」
「ふふっ、そんな緊張しなくてもいいわ。それとあっちでお茶の準備をしているのは長谷川。あなたと同じ1年生よ」
「1年!?」
あの貫禄で同い年だとは思わなかったため、声を荒げてしまった。その反応に音峰先輩はくすくすと笑い、長谷川先輩――いや、長谷川さんに『言われているわよ』と声をかける。しまった、今の反応では完全に勘違いしていたと言っているようなものではないか。
「あ、す、すみません……」
「いえ、慣れていますのでお気になさらず」
慌てて謝ると彼女はこちらを振り返り、無表情のまま許してくれた。多分、怒ったような気配はしないので本当に気にしていないのだろう。心の中でホッと安堵のため息を吐く。
「お熱いのでお気を付けください」
それから手早く準備を終えた長谷川さんは私にお茶を差し出し、その足で音峰先輩の後ろへと控えた。
「その様子だとまだ自己紹介していないのでしょう? 名乗りなさい」
「はい、かしこまりました。影野様、申し遅れました。私はお嬢様の従者であり、1年F組の長谷川です。以後お見知りおきを」
「……え、あの……下のお名前は?」
「長谷川で構いません」
「あ、はい」
少しだけ気になったので質問してみたがぴしゃりと断られてしまい、おずおずと引き下がった。そんなやり取りをしながら少しだけ生徒会室を観察する。
私が座っている6個の机が部屋の中央にあり、窓際に生徒会長席。他にもいくつかの本棚が並んでおり、その中にはいくつものファイルや本が収まっている。また、会議に使うためのホワイトボードが部屋の隅に置かれ、その近くに長谷川さんが使った茶器が乗った机と道具一式を仕舞うための小さな棚が設置されていた。
(でも、一番気になるのは……)
私から見て生徒会長席の左。部屋の奥に隣の教室と繋がっている扉がある。理科室と理科準備室を繋ぐ扉のようなものだろう。しかし、ここは生徒会室。あの扉の向こうには何があるのだろうか。
「さて、本題に入りましょうか」
「ッ……」
その声で扉から音峰先輩の方へ強制的に視線が移る。その感覚に少しだけ嫌悪感を覚え、それを誤魔化すように長谷川さんが淹れてくれたお茶を飲む。匂いから紅茶だと思うのだが、緊張のせいで味が全くわからなかった。
「……へぇ」
「えっと?」
たったそれだけのことなのに何故か音峰先輩は私を興味深そうに見つめていた。どうしてそんな目で見られているのだろうか。
「いえ、入学式でも確認していたけれどあれはまぐれではなかったと思って」
「入学式……」
「その様子だとすでに気づいているのよね? では、もう一度、自己紹介からやり直しましょうか」
そう言って音峰先輩は席を立ち、その場で優雅に頭を下げた。その一連の動作はまさにお嬢様と呼ばれるべきものであり、改めて私は紛い物だったのだと思い知らされる。
「『ストライカー』所属、トリガーネーム『仮面舞踏会』。市立音峰北高等学校の守備を任されているトリガーです」
トリガー。彼女ははっきりとそう言った。予測していたとはいえ、こうもあっさりと告げられるとは思わなかったため、私は生唾を飲み込んだ。
「そして、こちらが私の相棒よ」
「お嬢様の相棒を務めさせていただいています、長谷川です」
「相棒……じゃあ、長谷川さんもトリガーなんですね?」
相棒は『ストライカー』の仕事をする時に組む相手。それなら長谷川さんもトリガーなのだろう。そう考えるのは自然のことだ。
「いえ? 彼女はただの人間よ」
「……え?」
だからこそ、特に隠すことなくそう答えた音峰先輩に目を白黒させてしまった。
「人間……ですか?」
「ええ、そうよ。何かあった?」
「え、いや……えっと……」
どう説明したらいいかわからず、しどろもどろになっていると私の反応が意外だったようで音峰先輩と長谷川さんはキョトンとした様子で顔を見合わせた。
「……ごめんなさいね。まずは確認させてちょうだい。あなた、幻影様の相棒になったのよね?」
「そう、です」
「もう一つ。あなたは人間ではないのよね?」
「……はい」
彼女は『ストライカー』に所属していると言っていたため、すでに私の情報は手に入れているだろう。下手に嘘を吐いても無駄なので素直に頷いた。
「それなら相棒についても説明があったわよね?」
「はい、『ストライカー』の仕事を一緒にする仲間だと聞きました」
「……それだけ?」
「は、はい」
「えぇ……」
肯定した私を見て音峰先輩は何故か頭を抱えてしまう。おそらく、相棒システムを利用している人なら知っているはずのことを知らないようだ。幻影さんは私に『ストライカー』の仕事に関わってほしくないようだったので説明もほとんどしなかったのだろう。
「そうね……幻影様からどんなお話しをされたの?」
「……」
正直、ほとんど聞かされていない。病室で話した時も事件のことだけで『ストライカー』やトリガー、相棒について触れられなかったからである。
「……これは、想像以上に厄介なことになっているわね」
何も答えられずにいると優雅な笑みを崩さずに顔を引きつらせる音峰先輩。そして、彼女は小さく息を吐いた。
「では、ひとまずこちらの要件を伝えるわね」
「要件? それって――ッ」
その瞬間、これまでにない強烈な威圧に体を押し潰されそうになる。いや、これは音峰先輩が時々、使っているあの悪寒に似た何かだ。普通の人ならば疑問に思うことなく頷いてしまい、抵抗しようとしても強制的に跪かされてしまうカリスマ力。きっと、それが音峰先輩のトリガー能力なのだろう。
「あなたの命は保証するわ。だから、幻影様との相棒契約を解除しなさい」
フラフラと顔を上げると音峰先輩は優雅な微笑みを消し、背筋が凍りつくほどの冷笑を浮かべていた。




