第66話
なんとか泣き喚くシノビちゃんを落ち着かせ、私たちは街の中央にある森に到着した。もちろん、吸血鬼の身体能力を持っている私よりもシノビちゃんの方が速いので私は彼女の背中に捕まって移動。その間、何も会話はなく、とても気まずい時間を過ごした。たまに鼻をすする音が聞こえるせいで余計に私から話しかけづらかったのだ。
「こちらでござる」
「う、うん……」
深い森の中へ足を踏み入れ、シノビちゃんの後ろをついていく。風が木々を揺らす音、私が小枝を踏み折る音。それぐらいしか聞こえない、不気味な森。
榎本先生と戦った時は必死だったため、あまり森を観察することはできなかったが立ち入り禁止エリアに指定されるほどこの森は鬱蒼と生い茂っている。きっと、シノビちゃんがいなければすでに帰る方向を見失い、永遠と森の中を彷徨うことになるだろう。なにより、私は吸血鬼の力で夜目が効くのでまだマシだが、普通の人がこの森の中へ入ったら昼間でもよく見えずに動けなくなってしまいそうだ。
そんな深い森の中をシノビちゃんは何の迷いもなく、進んでいく。あの夜、幻影さんも同じように歩いていたので彼女たちは頻繁にこの森へ出入りしているのだろうか。
「あそこでござる」
「ぁ……」
どれほど歩いただろうか。時間的にはさほど経っていないと思うのだが、景色が変わらないせいで長く感じた移動も不意に終わりを告げる。シノビちゃんが指さした方へ視線を向けると少しだけ開けた場所に出た。そして、そこに佇む漆黒の外套を身に纏ったあの人。
「幻影さん……」
【随分、時間がかかりましたね】
無意識に彼女の名前を呟く。しかし、そんな私のことは特に気にしていない様子でシノビちゃんに声をかけた。相変わらず、文字でのやり取りなので私とシノビちゃんの前に文字を浮かばせただけなのだが、彼女の顔の向きは完全にシノビちゃんの方を見ていたのである。
「あー、色々ありまして……連れてきたでござる」
【ありがとうございます】
シノビちゃんにお礼を言った後、幻影さんはこちらへ視線を向けた。思わず、ビクッと肩を震わせてしまうが小さく息を吸って心を落ち着かせる。
「お久しぶりです、幻影さん」
【ええ、そうですね。体調はいかがですか?】
「怪我は治りました。吸血鬼だって自覚したおかげで治りが早くなったみたいで……」
【そうですか】
そこで会話が途切れる。彼女と出会ってからこうして顔を合わせるのは3回目だし、どんな話をしていいかわからない。表情が見えない相手との会話がこんなに難しいとは思わなかった。まぁ、顔が見えたからと言って多少マシになったとはいえ、コミュニケーションを取るのは苦手なのだが。
「えっと……幻影さんの方は、大丈夫ですか? 調子、とか」
【はい、あの夜以降、特にありません】
「そう、ですか……それならよかったです」
そういえば、私を助けてくれた時は不調だったのに彼女はどうして急に調子を取り戻したのだろう。しかし、あれから調子を崩しているわけでもなく、完全に復活したようなのであまり心配するようなことでもないかもしれない。
「……」
「……」
「……あの、姫。話の続きを」
【そうですね。では、今後について話しましょうか】
そこから再び、沈黙してしまった私たちだが、さすがに見るに耐えかねたのかシノビちゃんが幻影さんに話しかけ、本題に入る。今後のこと。予想していたとはいえ、少しだけ緊張してしまう。果たして、私は何をすることになるのだろうか。
【結論から申し上げます。あなたは何もしなくていいです】
「……え?」
だが、彼女の文字が綴ったのはそんな予想外の内容だった。何もしなくていい。彼女は確かにそう言った。相棒になった私に、そう言ったのである。
「あ、あの……それってどういう……」
【そのままの意味です。あなたはこれまで通り、平和な日常を過ごしてください】
「……」
絶句。きっと、今の私の様子を表すのならそれが一番わかりやすいだろう。
あの夜、私のような人ならざる存在がこの世界には蔓延っており、幻影さんたちがそんなヤツラを排除して平和を守ってくれていたことを知った。そして、そんなヤツラと同類である私を彼女は救ってくれた。
だからこそ、幻影さんのために役に立ちたいと願うのは自然のことだろう。救われた命、少しでも彼女のために使いたいと思うのは当たり前のことだろう。少なくとも、私はそうなりたいと強く思った。
それなのにその本人から何もしなくていいと言われた。はっきりと拒絶されてしまった。
あまりのショックに呆然としてしまったが、このまま引き下がるわけにもいかず、慌てて口を開く。
「で、でも……相棒になったからには何かやりたくて……」
【何かって何をですか?】
「そ、れは……」
そうだ。私は何も知らない。ヤツラのことも、『ストライカー』のことも、相棒のことも、幻影さんのことも。
だから、教えてもらおうとしていた。今日、そのために呼ばれたと思っていた。
でも、違う。そうじゃない。そういう問題ではない。
彼女は最初から私に期待などしていなかった。私に頼るつもりはなかった。ただ、私を助けるためだけに相棒になってくれた。ただ、それだけ。
「ッ……」
歯を食いしばる。そうか、私はただ思い上がっていたのだ。榎本先生を倒すため、二人で協力して戦ったと思っていた。ほんの少しだけ貢献できたと思っていた。
だが、改めて考えてみれば幻影さんは私を生かすために動いていただけ。私を助けるためにあんなに頑張ってくれていただけ。最初から協力などしていなかったのだ。前提から違ったのだ。
彼女は私を助けるために不必要な戦いをしてくれただけなのだから。そんなの協力とは言わない。ただの救助活動だ。
相棒は助け合う、対等の存在だ。今の私では彼女と対等になれるはずがない。だから、幻影さんも私には期待しない。最初から頼るつもりがない。
「それでも……私は、あなたに恩を返したいんです」
両手を握りしめ、私はいつの間にか俯いていた顔を上げた。対等になれないのは知っている。シノビちゃんの言う通り、私では彼女の相棒になるには力不足にもほどがある。
だが、ここで引いたら駄目だ。ここで諦めたらそれこそ私と彼女の関係は終わってしまう。だから、みっともなく食い下がった。
「……」
震える声で訴える私に幻影さんは何も答えない。ジッと私の方を見つめ続けている。私の覚悟を確かめるように、ただ真っ直ぐ。
【わかりました】
「ッ! それじゃ――」
【なら、見学してください。私たちが生きる世界がどれほど残酷なものなのか】
「……え?」
私の言葉を遮るように文字を浮かべた幻影さんは私の横を通り過ぎ、シノビちゃんと並ぶ。すでにシノビちゃんの方は戦う準備をしていたようで忍者刀を片手に幻影さんの指示を待っていた。
【シノビ、仕事を始めます】
「御意」
こうして、幻影さんとシノビちゃんの仕事を見学することになった。それが今後の私の人生を大きく左右するものだとは考えずに。




