第57話
「きっと、あなたにはわからないでしょう。ずっと、ずっと焦がれていた架空の存在が目の前にいたんです。テンションが上がらないはずがありません!」
呆然と私の様子に気づくことなく、先生は話を続ける。思い出すだけで興奮したようで顔を紅潮させ、目は血走っていた。
「最初は妄想かと思いました。しかし、あなたが漣先生を襲う光景ははっきりと覚えており、現実そのものでした……ですが、恥ずかしながらその時、あなたのことを吸血鬼だとは思わなかったんです」
「それって……」
「ええ、吸血鬼ではなく、血が好きな同類だと思ったんです」
先生も言っていたが吸血鬼は世間では架空の存在として扱われている。もし、目の前で血を吸っている人がいた場合、吸血鬼と考える前に特殊性癖を持った人だと判断するだろう。
「そんなあなたを見て僕は羨ましかった。こんなに我慢してるのにどうしてあなたは人を襲って血を吸ってるのか、と」
「……」
「そして、僕の中にあった理性が壊れたんです。準備そのものはすでにやってました。人を襲って血を吸う方法を考えたり、そのための道具を揃えたり……実行はしませんでしたが準備だけ進めて満足した気になって欲望を抑えてましたから」
その言葉を聞いて一つの疑問が解消された。私が漣先生を襲うところを見た榎本先生が人を襲ったのは次の日の夜中だ。シノビちゃんの報告では一人目の被害者の死体は爆散し、周囲に争った形跡がないとも書かれていた。つまり、一日にも満たない準備期間で被害者の女性に感づかれることなく近づいて手際よく無力化したことになる。そんなこと普通であれば不可能だが、すでに全ての準備を終えていたのであれば話は別だ。
「どうやって、襲ったんですか?」
「簡単ですよ。動きを止めるためにスタンガンを使いました」
スタンガン。人体に影響を与えない程度の微弱な電力を流すことで電気ショックを与えて相手を動けなくする防犯グッズだ。確かにそれであれば特殊な免許など必要なく、用意すること自体は可能である。
「でも、あれって動けなくするのは一時的ですよね? 相手にも多少なりとも意識は残るはずです」
実家の影響で防犯グッズに詳しくなってしまったが、こんなところでその知識が役に立つとは思わなかった。スタンガンは護身用として使う場合、襲ってくる相手に向かって使うのではなく、バチバチと電流を見せつけて威嚇する方法が推奨されている。もちろん、威嚇しても相手が止まらなかったら相手の体に当てて動きを止めるのだが、最初から当てに行って反撃されたら意味がない。どうしたって護身用のアイテムを持つのは非力な人だ。そんな人が練習もなしにスタンガンを上手く当てられるとは思えない。
だが、先生は襲う側の人だった。夜道、後ろから気配を消して忍び寄り、女性の体にスタンガンを当てられてもおかしくない。準備をしていたと言っていたのでスタンガンを扱う練習だってしていただろう。
「……詳しいですね。確かにあなたの言う通り、スタンガンで動きを止められるのは僅かな時間です。ですが、その時の僕はその後のことなんでどうでもよかった。とにかく血が飲みたかったんです。最悪、騒ぐようでしたら首を絞めようとも考えてました」
「そんなっ……」
先生の物言いに思わず口を出そうとしてしまう。トリガーになってもならなくても先生は人を殺していたのだろう。だから、私が何を言っても殺人に対して罪の意識が薄かったのだ。私の吸血行為を見て理性が利かなくなった彼はずっと抑えつけていた欲望に正直になってしまった。それがたとえ、自分が人殺しになったとしても構わない、と。
「スタンガンで気絶させた後、注射器を使って血を抜きました。そして、そのまま飲んだんです……そしたら、そしたら!!」
「ッ……」
それまで興奮気味に話していた先生だが、いきなり顔を歪めて絶叫する。その声量と先生の迫力に肩を震わせて驚いてしまった。
「どうして……どうして!? あんなに綺麗な赤なのに、僕はッ! 吐き出してしまった!! 小さい頃に舐めた血の味は覚えてるはずなのに! あの時は美味しかったはずなのに!!」
ありえないと言わんばかりに首を横に振りながら先生は叫ぶ。私もまだ料理に慣れていない頃に誤って指を切ってしまったことがある。その時、咄嗟に指を咥えて止血したが、その鉄臭い味はあまりいいものではなかった。
「何十年! 僕はずっと我慢し続けたんだ! それなのに……あんな……」
だが、目の前で項垂れる先生は本気で言っている。血は美味しいものだと信じ切っていた。
――一度も友達だって思ったことないから。
どうして、先生がそこまで血が美味しいものだと信じているのかはわからない。しかし、ずっと信じていたモノに裏切られる辛さは知っているつもりだ。
もしかしたら、先生の中で最初に血を口に含んだ時の記憶があまりにも印象的であり、何十年と時間が経つにつれその記憶が美化されてしまったのかもしれない。
血はとても綺麗なものだ。血を舐めた時、とても興奮した。きっと、それほど美味しかったに違いない。ああ、また舐めたいな。
自傷行為をしていた時、自分の血を舐めたと先生は一度も言わなかった。きっと、自分の血では駄目だったのだろう。だからこそ、血に対する憧れが強まり、血はとても美味しいものだと信じ込んでしまった。
「その時……僕はトリガーになりました。気づいた時には動けなくさせた女性は爆散して血が飛び散ってました」
そんな推測をしている間に先生の話が先に進んだ。トリガー能力が発現する方法は『感情の爆発』だと幻影さんは言っていた。彼にとって血を吐き出してしまったことは衝撃的であり、受け入れ難いことだったのだ。
「最初、何が起こったのはわかりませんでした。トリガーなんてものは知りませんでしたから。ですが、僕の体を赤黒い靄が覆ってるのに気づいて女性を爆散させたのは自分なのだとわかりました」
そう言いながら先生は右手から赤黒い靄を近くの木に向かって放つ。靄を受けた木はトラックが突っ込んだようにへし折れ、凄まじい音と共に倒れてしまった。幻影さんが西町まで吹き飛ばされたと言っていたがあれほどの威力があれば不可能ではないだろう。むしろ、吹き飛ばされただけで終わった彼女の頑丈さは一体どれほどなのだろうか。
「この力を見て僕は考えました。血を飲んだ直後に目覚めた能力。決して偶然ではない。そして、そこでようやく思い立ったんです。この力は吸血鬼のそれなんじゃないかって」
血を飲んで手に入れた架空の存在である異能力。現実ではありえないと否定され続けている超常的な力。その時、トリガーを知らなかった先生が同じ架空の存在である吸血鬼と結び付けてしまうのは仕方ないだろう。
「そこでもしかしたらあなたが血を吐き出さなかったのは吸血鬼だったからなんじゃないかって思いました。僕が血を吐き出してしまったのは人間だったからだと。でも、血を飲んだことで吸血鬼に近づいた。次こそは上手く飲める、と」
だから、先生は失敗したのに次の日の夜中に別の女性を襲った。今度こそ、夢にまで見た血を飲むと意気込んでまた罪を犯した。
「手順は一緒です。スタンガンで気絶させて注射器で血を抜いて飲む。ですが、また僕は吐き出してしまった。こんな不思議な力を手に入れて吸血鬼に近づいたはずなのに前の日と何も変わってなかった!!」
先生の怒声に呼応するように彼の右手を覆う赤黒い靄が大きく揺れる。トリガー能力は感情の影響を受けやすいらしい。そのため、幻影さんには彼を激情させないように気を付けて欲しいと言われた。だが、先生の精神は私の予想以上にとても不安定だったようでちょっとした拍子に感情が乱れている。
(これは、まずいかも……)
そんな先生を見て思わず右手首を握りながら思い出すのは私が洞窟を出る直前、最後に幻影さんから聞いた内容だった。
【あの靄に気を付けてください。今のところ、あなたにあの靄は効かないようですが何かの拍子で変わるかもしれません】
『幻影さんは能力に心当たりがあるんですか?』
【いえ、具体的な内容まではわかりません。ですが、奴が陥ってる状況は何となく察してます】
「そして、また僕は襲った女性を殺しました! 何とかコントロールしようとしましたが上手くいかず、彼女の肩は弾けて死にました! そこでわかったんです! この力は吸血鬼の力ではなく、全くの別物だって!!」
幻影さんとの会話の内容を思い出していたがそれを邪魔するように先生が大声で話し続ける。やはり、今の彼は正気ではない。
【榎本はおそらく暴走してます。本格的に暴走し始めたら何が起こるかわかりません。その前に確実に倒します】
そんな幻影さんの予想を肯定するように先生の右手で揺れる赤黒い靄を見て私は冷や汗を流した。




