第54話
「……」
漆黒の外套を脱ぐ。あれだけ自分の正体を隠していた彼女がそんな提案するとは思わずすぐに反応できなかった。きっと、幻影さんも私の反応など気にしていないのだろう。すぐに続きの文字を浮かばせた。
【榎本の能力と相性は悪いですが外套さえ脱げば確実に勝てます】
「……脱ぐとどうして勝てるんですか?」
【この外套は様々な機能がある分、ほとんどの力を使います】
つまり、今の彼女は力の大半を外套の機能に使っている、ということだろうか。その状態であのドッペルを圧倒していた?
「ち、因みにどのくらい力を使ってるんですか?」
【具体的な数値などはありませんが今は体感九割でしょうか】
「九、割……」
【ただ今は調子が悪いからです。通常では七割くらい使えば外套は機能します】
調子が悪いせいで外套に使う力が増えているのだろう。それでも九割の力を失った状態でドッペルと戦っていた事実は変わらない。本当に、彼女は何者なのだろうか。
確かに幻影さんの言う通り、漆黒の外套を脱げば榎本先生を簡単に倒せるだろう。そうすれば全てが上手くいく。私は指名手配されず、彼女の相棒となって自由の身になる。
手っ取り早い解決方法。わかっているはずなのに私は素直にそれに縋りつけなかった。
「……でも、脱ぎたくないんですよね?」
そう、幻影さんの提示した方法はあまりに手っ取り早すぎたのだ。何故、最初からそうしなかったのか、と勘繰ってしまうほどに。
【どうしてそう思ったんですか?】
「理由はわかりませんが……そんなに正体を隠そうとしていればさすがにわかりますよ」
数秒ほど経ってから浮かんだ文字に申し訳なく思いながらもそう答えた。
簡単に倒せるのであれば逃げる必要はなく、住宅街で外套を脱いで戦えばよかったのだ。
しかし、彼女はそうしなかった。その理由ぐらい、知り合ったばかりの私でもすぐに思いつく。
【そうですね。あなたの言う通り、私はこの外套を脱ぎたくありません。いえ、脱ぐことを躊躇してしまいます】
「……理由を聞いてもいいですか?」
私の答えに幻影さんは淡々と文字を浮かばせる。いや、そう見えるだけで彼女の心境はわからない。それでも彼女の感情を表すように浮かんだ文字にノイズが走ったのを見逃さなかった。
【簡単な話です。私は私の能力を嫌ってるからです。それこそバーストを起こしてしまいそうになるほどに】
「嫌ってる? バースト?」
色々気になる単語があって少し混乱してしまう。確か『バースト』は先生も口にしていたはず。調子が悪い幻影さんを見て言った言葉なのであまりいい意味ではなさそうだが。
【バーストは暴走状態のことです】
私が首を傾げたのを見て彼女は『バースト』の説明をしてくれる。暴走。やはり、いい言葉ではなかったようだ。
「暴走になるとどうなるんですか?」
【最初に説明しましたがトリガー能力は感情の爆発によって発現します。そのため、トリガーの感情の影響を受けやすいんです】
私の質問に続きを話す幻影さんだったがそこで文字を消した。もしかしたら文章がぶつ切りになるのは調子が悪いせいで文字数制限が発生してしまっているのかもしれない。
【その感情によっては暴走が起こり、トリガー能力が暴走します。その効果はその時になってみないとわかりません】
確かに暴走するとわかっていながら暴走を起こす人はいないだろう。それこそ自滅してしまったり、仲間を巻き込む可能性だってある。そんな危険な状態にならない方がいいに決まっていた。
【私は暴走を起こしたことがあります。そして、取り返しのつかないことになりました】
「ッ!?」
その文字を読んだ瞬間、私は息を呑んでしまう。まさかこれほどの実力を持つ幻影さんですら暴走を起こしたことがあるとは思わなかったのである。
【それから私は私のトリガー能力が嫌いになりました。使用している弓と矢も本来の能力とはかけ離れた使い方です】
「……」
きっと、それをトラウマというのだろう。トリガー能力の暴走によって彼女は心に深い傷を負ってしまった。それが正体を隠すことにどう繋がるのかまではわからないが簡単には聞けず、黙り込んでしまう。
【ですが、状況が状況です。その時が来たら私は外套を脱ぎます】
彼女の表情や声はわからないがその文字から覚悟が読み取れた。その言葉通り、幻影さんは榎本先生を倒すために外套を脱ぐだろう。自分のトラウマより私の未来を優先してくれたのだ。
その言葉に甘えるのは簡単だ。よろしくお願いします、と頭を下げれば全てが上手くいく。
「……駄目です」
全てが上手くいく? そんなわけがない。この事件は解決するかもしれないが幻影さんの心はどうなる? 力の九割を使ってでも自分の正体を隠したいと思うほどのトラウマだ。そう易々と触れていい傷ではない。
【何故でしょうか? 判断するのはまだ二つ目の方法を聞いてからでもいいのでは?】
「いえ、二つ目の方法がどうであれ、幻影さんが傷つく方法は駄目です」
だって、外套を脱ぐと言ってから彼女の手は僅かに震えていたのだ。そんな状態で脱いだとしても彼女が言ったように暴走を起こしてしまう。そんなことは絶対にさせてはいけない。
「……」
「……」
幻影さんは私の方をジッと見つめる。こちらも譲るわけにはいかないため、無言でフードの奥に広がる闇から目を逸らさない。
【わかりました。この方法は最終手段とします】
そして、私の意思が固いとわかったのか、彼女は諦めたようにそんな文字を浮かばせる。本当はやらないと確約してほしかったが仕方ない。
「それでもう一つの方法は……」
【はい、こちらはあなたの協力が不可欠です。具体的な内容を説明しますね】
それから数分もの間、幻影さんから作戦の内容を聞き、少しだけ悩んだ後、その方法で行くことが決まった。




