第49話
どれほど時間が経っただろう。あれだけ止まらなかった涙もすでに枯れてしまい、私はゆっくりと幻影さんから離れる。彼女はそれを止めることなく、俯く私に見えるように文字を浮かばせた。
【落ち着きましたか?】
「……はい、すみません」
【いえ、気にしないでください。きっと、ほとんどの人が取り乱しているでしょうから】
泣いてしまった私に優しい言葉をかけてくれる彼女だったが、やはり申し訳ないという気持ちは消えない。
本来、幻影さんは私のような人外を抹殺する側の人間だ。私を庇うような行動をすればその分、彼女の立場は危うくなる。
「……大丈夫です。落ち着きました」
だからこそ、私は顔を上げた。ここでくよくよしていても何も始まらない。むしろ、タイムリミットがある現状、少しでも早く行動しなければならないのだ。泣いたことで何とか気持ちを整理できた。整理しただけで状況は何も変わっていないのだが。
【わかりました。では、もう一度、情報を整理します】
私の顔をジッと見ていた彼女は少し経った後、そんな文字を浮かばせた。情報の整理は私もお願いしたかったのでコクコクと頷く。
【あなたは吸血鬼であり、その本能に逆らえずに人を襲いました。更にその日から2日連続で女性が襲われる事件が起きています】
そこで文字数制限が来たのか、幻影さんは文字を消す。吸血鬼であることや私が人を襲ったのは認める。だが、先週の土日に起きたその二つの事件はやっていない。家で過ごした記憶もあるし、私は血を吸っただけで殺してはいないのだ。
【『ストライカー』や警察はあなたをこの三つの事件の容疑者として指定しました】
「……」
だが、それは他の人は知らない。だから、連続で起きた事件を結び付けるのも頷ける。
いや、警察はともかく『ストライカー』は私が犯人でも犯人じゃなくてもどちらでもいいのだろう。どうせ、殺すのだから。
【本来であればドッペルに殺されるはずだったあなたは生き延びた。だからこそ、明日の朝には指名手配されます】
「……ありがとうございます」
正直、詰みだ。今夜、生き延びたとしても明日には社会も私を殺しにかかってくる。そして、捕まったらそのまましかるべき場所に連れていかれ、そこで処刑されるのだ。
【あなたが落ち着くまでの間にシノビに調べてもらいましたが、実際にそのように動いています。時間の問題ですね】
「ッ……」
まだ幻影さんの推測にしかすぎなかった最悪はたった今、現実となった。万事休す。もはや、手の施しようがない致命傷である。
【それを踏まえた上で聞きます。生きたいですか?】
「そんなのっ……」
シノビちゃんにも聞かれた質問。だが、あの時と今では状況が違う。
(ほんとに、生きてていいのかな……)
詰んでいるのもそうだが、なにより私はすでに人を襲っている。血を吸っただけ。それでも襲ったことには変わらないし、今後、人を殺す場合だってある。
「……」
死んだ方がいい。死んだ方がマシ。いない方がいい。私は――。
――死ね。
世界からそう言われているような気がした。
――じゃあ、持ってくる。
「……クッキー」
ボソリと無意識にそんな言葉を零していた。彼女は特に反応を示さない。ただ、ジッと私の答えを待っている。
「明日、クッキーを貰う約束をしてるんです」
今朝、話の流れで鶴来君からクッキーを貰う約束をした。あやちゃんにそのことを話すと怒られ、お返しのクッキーを作ろうと決めた。
「でも、私も……その人にクッキーをあげたいんです。いつもありがとうって……これからもよろしくねって」
本当なら今頃、クッキーの材料を買って、晩ご飯を食べて、必死にクッキーを作って、お風呂に入って、眠っていたはずだ。そして、いつも通りの朝を迎え、あの交差点で鶴来君とクッキーを交換し合って、少し行儀が悪いけれど歩きながら食べて感想を伝え合う。学校に着いたらあやちゃんにもあげて、余ったら赤川くんや杏子ちゃんにも渡すつもりだった。
「……まだ、クッキーをあげてない」
泣いたせいか、精神的に追い詰められていたからか、何度も力が抜けて倒れそうになるがそれでも私は自分の足で立ち上がった。彼女はそれでもこちらを見上げるばかりで何も言わない。
「お礼、伝えきれてない……迷惑かけてごめんねって謝ってない。これからもよろしくねって言ってない。まだ……鶴来君と友達になってないッ!!」
だから、死にたくない。生きていたい。こんなところで諦められない。諦めたくない。諦めてたまるもんか。
「私は……生きたいです。だから、力を貸してください」
そう言いながら幻影さんに頭を下げる。悔しいが頼れるのは彼女しかない。私から差し出せるものはないのでこうやって誠心誠意を持ってお願いするしかなかった。
【わかりました】
「……え?」
そんな私のお願いに幻影さんは何の躊躇いもなく承諾する。まさかそんな簡単に頷くとは思っていなかったので間抜けな声が漏れてしまった。
【では、シノビに手続きを進めるように伝えます】
「え? ええ? な、なんとか……なるんですか?」
【そうでなければこんなところで籠城などしません】
それはそうなのだが、私としては混乱するばかりである。人間ではない私は『ストライカー』に殺されるか、指名手配されて捕まってしまう。そんな誰もが諦めてしまうような状況なのだ。それを打破する方法がある、ということなのだろうか。
【あなたは知っているはずですよ。たった一つだけこの状況をひっくり返す方法を】
「ひっくり、返す……」
彼女にそう言われ、思考を巡らせようとするが心臓の音がうるさくて上手く集中できない。いや、すでに知っているということは私はその実例を見たことが――。
「ッ!? ま、まさか……」
――組織公認の例外、とも言えるでござるな。
人外でも『ストライカー』に殺されない存在。それを私は見た。いや、それに襲われた。
【相棒システム。人間や人外などトリガー以外の存在と行動する際に使用される制度です】
淡々と文字を浮かばせる彼女だったが、言葉を失うほどの衝撃を受けた私はそれを読むのに精一杯だった。
【影野さん、あなたには私の相棒になっていただきます】
そして、その正気に戻る前に幻影さんはそうはっきりと宣言した。




