第46話
「っ……」
誘いを断った私を見て先生は目を見開いて驚愕する。まるで、最初から断られると思っていなかったような反応だ。
それは当たり前なのかもしれない。普通であれば断るわけのない誘いなのだから。私だってあの夢を見ていなければ先生についていっただろう。
でも、私は幻影さんを知っていた。ずっと会いたいと夢見ていた憧れの人なのだ。
それに――。
――……その覚悟、あっぱれでござる。
――【大丈夫ですか?】
私の覚悟を聞いて真剣に生き残る方法を考えてくれたシノビちゃん。
そして、そんなシノビちゃんに私を監視するように指示を出し、守ってくれた幻影さん。
もし、『ストライカー』という組織が人外を必ず殺すのであれば同じ組織に所属する先生たちと敵対してまで私を生かす理由がない。
いや、それはただの建前。本当は私が信じたいだけなのだ。何度も夢に見て、その背中を追いかけて、憧れたあの人のことを。
「そ、それで……いいんですか? このままだと確実に死んでしまうんですよ?」
「はい、構いません」
きっと、『ストライカー』と人外を保護する先生が所属している組織は敵対しているはずだ。私が幻影さんに助けを求めたら先生は私を守ることができない。だから、引き留めようとしてくれているのだろう。それでも私は先生の誘いを断った。それだけ私にとって幻影さんの存在が大きかったのだ。もちろん、私を助けようとしてくれたのにそれを無下にしてしまうことには罪悪感を覚える。
「……」
「ひっ」
もう一度、謝ろうといつの間にか落として視線を上げると先生は何の感情も込められていない顔で私を見ていた。その顔に冷たい何かを感じて背筋が凍りつく。
「おかしいですね……普通であれば一緒に来てくれると思っていたんですが」
そう言って彼は一歩、私の方へ踏み出す。それが怖くて自然と後ずさってしまった。それが気に食わなかったのだろう、榎本先生は眉間に皺を寄せる。
「仕方ありませんね。では、無理やりにでも連れていきましょう」
「せ、先生?」
豹変した先生に声をかけたが、私の声に答えるつもりはないようでゆっくりとこちらへ近づいてくる。何か、嫌な予感がした。
――にげて!
「安心してください。あなたは大切なお客様ですから怪我なく連れていきます」
「ッ――」
コツ、コツと革靴がアスファルトを踏む音が住宅街に響く。本能が彼に捕まってはいけないと叫んでいた。そのせいか私は無意識にその場から離れようと踵を返す。
「駄目ですよ、逃がしません」
「きゃッ!?」
しかし、その前に先生に腕を掴まれてしまう。まだ彼との距離はそれなりにあったはずだ。あの距離を一瞬で詰められた? 普通の人間ではできない芸当。トリガー能力者は力だけでなく、身体能力も向上するのだろうか。
「離して!」
さすがこのままではまずいとバタバタと暴れる。もちろん、手加減している余裕はないので化け物染みた怪力で腕を動かしているが先生の拘束を抜け出せなかった。
「大人しくしてください。こちらとしてもあなたを傷つけたくは――ッ!?」
「え、あっ……」
グイっと引っ張られた途端、何故か先生は私の腕を離す。デタラメに暴れていたのでその場で倒れこんでしまいそうになるがその前に誰かに抱きとめられた。視界に広がるのは光すらも吸い込んでしまいそうなほどの黒。これは――。
【遅くなってすみません】
「――幻影さん!!」
目の前に浮かぶ青白い文字。そして、赤黒い靄に吹き飛ばされたはずの幻影さんは守るように私を片腕で抱いていた。それが頼もしくて思わず彼女の名前を叫んでしまう。
「……随分と早い帰りですね。相当、吹き飛ばしたはずですが」
【ええ、西町まで飛ばされましたが何とか間に合ってよかったです】
悔しそうにそう呟いた先生の足元には青白い矢が刺さっていた。ノイズが走っているそれは消えてしまったが地面に残った穴がその破壊力を物語っている。
「あなたに用はありません。彼女を渡しなさい」
だが、それだけで引き下がってくれないようで榎本先生は私たちをギロリと睨みつけた。それが怖くて思わず幻影さんの外套を握りしめてしまう。密着した彼女の体は少しだけ温かかった。
【それはできません】
「その人は人間ではない! なら、あなたが守る理由はないでしょう!!」
幻影さんが私を離さないのを見て先生が絶叫する。それは住宅街に響き渡り、少しだけ人の気配がし始めた。私たちの騒ぎに気づいた人が動き出したのかもしれない。このままでは大騒ぎになってしまうだろう。
「……」
先生の言葉に幻影さんは何も答えない。ただ、何故か私を抱く腕に少しだけ力が入った。
「さぁ、渡してください。彼女はここで死んでいい存在ではない。それに人間ではない彼女を助けようとすればあなたの立場も危ういはずです」
先生も人が集まってきそうな雰囲気に少し焦りが出たのか、幻影さんに交渉を持ちかけた。私を助けると幻影さんの立場が悪くなる。考えてみれば当たり前だ。『ストライカー』は人外を殺す仕事をしている。私を助けるということはそれに反していることに他ならなかった。もしかしたら、彼女も追われる身になってしまうのだろうか。もし、そうなら私は先生についていった方が――。
【それがどうしました?】
「ッ!?」
しかし、幻影さんはそんなことどうでもいいと言わんばかりにそう聞き返した。その言葉が意外だったようで先生は息を呑み、体を硬直させる。
【捕まってください】
「へ? きゃあああ!?」
その隙を見逃さず、幻影さんは私の体を軽々と持ち上げ、その場から跳躍して近くの屋根に着地した。
「なっ、待ち――」
先生は私たちを見上げ、慌てて呼び止めようとする。だが、彼女はそれを無視して先生から逃げるように屋根から屋根へと跳び移り、その場から離れた。
「ふぁ、幻影さん! どこに!」
【ここでは誰かに見られてしまいます。なので、あそこに向かいます】
「あ、あそこ?」
彼女の言葉に顔を上げ、進路方向を見る。そこには夜でもわかるほど広大な森が広がっていた。




