第43話
青白く光る矢が大気を割く。真っ直ぐこちらへと迫るそれは私の命など簡単に奪ってしまうはずなのに不思議と恐怖を感じなかった。
「ドッペル!」
しかし、先生は慌てたようにドッペルの名前を叫ぶ。呼ばれた彼女は返答せずに私を殺すはずだった右腕を飛来する矢へと振り下ろした。その途中で右手を大きな剣に変え、矢と激突して火花を散らす。
(すごい……)
目の前で弾ける火花を見ながらその光景に息を呑んだ。矢の推進力が凄まじいのか、弾かれることなく、ドッペルの剣と拮抗し続けている。あれだけ私を苦しめたドッペルの身体能力を以てしても弾けない――いや、ドッペルの体が少しずつ後ろに押されていた。
「対抗するな、受け流せ!」
先生もそれがわかったのか、急いで追加の指示を出す。ドッペルは左手も剣に変え、矢の箆――矢の棒の部分を思い切りかち上げた。ドッペルの腕力でも矢の軌道は僅かに上にずれただけだが、駄目押しとばかりに鏃から右の剣を滑らせる。バチバチと激しく火花を散らしながら矢は右の剣をなぞるようにしてドッペルの頭上を通り過ぎていった。
「今度こそ――」
「――駄目だ、まだ終わってねぇ!!」
矢を弾いた流れで私へと剣を振るおうとしたドッペルだったが、先生が制止させる。先ほどドッペルが弾いた矢はまるで生きているように飛翔し、頭上からドッペルを襲おうとしていた。
先生の声で見上げた彼女は両手の剣を交差させて矢を受け止め、その衝撃でドッペルの足元の地面が陥没する。
「そのまま前に軌道をずらせ!」
「ッ!?」
先生は好機と言わんばかりに大声を張り上げた。今、私はドッペルの前に倒れこんでいる状態だ。もし、このまま矢の軌道が前にずれたら直撃はしないが矢が地面を粉々に砕き、その余波を受けてしまう。まずいと思ったが疲労と痛みで体はすぐに動いてくれなかった。
「は、い、ぱぱ」
少しだけ苦しそうな声で頷いたドッペルは大きな翼を生やし、余波に巻き込まれないようにその場で羽ばたいて後ろへ飛ぶ。それと同時に両手の剣を傾けて矢の軌道をずらした。
「ぁっ……」
私にできたのは小さく声を漏らすことだけ。矢はそのまま地面に――刺さる直前、青白い粒子となって消える。
「ガッ」
そして、黒い影が突如として現れ、目の前で翼を生やしたドッペルの脇腹に跳び蹴りを入れた。蹴られたドッペルは先生の横を通り過ぎ、その奥の電柱に激突する。一瞬の出来事でこの場にいる全員が唖然としていた。
(この、人は……)
蹴りを入れた黒い影は私の傍に降り立つ。その姿はまさに漆黒。光すら飲み込んでしまいそうなほどの黒い外套を纏い、フードを深く被っているせいで顔すら見えない。
ああ、あの人だ。私がずっと夢に見た、憧れのあの人。見間違えるわけがない、やっと出会えた。本当に、いた。そう、実感した途端、ポロリと涙が一粒だけ零れ落ちる。
「……ファン、トムさん?」
先生がそう口にしていたので同じように呼んだ。私に呼ばれた憧れの人は少しだけ顔を動かし、私の方を見た、ような気がする。ジッと観察したおかげでわかったが目の前に立つ彼、もしくは彼女の輪郭はぼやけていて揺らめいていた。そのせいで体格すらわからず、身長が私と同じくらいということしかわからない。
【大丈夫ですか?】
「へぁ!?」
いきなり目の前に青白く光る文字が浮かび、情けない悲鳴を上げてしまう。その文字は時々、ノイズが走っているがしっかりと浮いており、私に向けられたメッセージなのだと数秒ほどかかって理解した。
「こ、れは……」
【時間がないので手短に。私はファントム。あなたを――】
「邪魔してんじゃねぇぞ!!」
光る文字が最後まで綴られる前に先生が絶叫し、視線が自然とそちらへ向いてしまう。彼は後ろに吹き飛ばされたドッペルを気にする様子もなく、ファントムさんを睨みつけていた。そう、彼はサングラスを外していたのである。
「ちっ、相変わらず見えやしねぇ……どんな抵抗力してんだ」
「……」
「そんでもってだんまりか。本当に存在してるかわかんねぇ。そんなんだから幻影なんて呼ばれてんだぞ」
【勝手に周りが呼んでいるだけです】
先生の悪態に幻影さんが一言で返す。私に気を使ってくれているのか、文字は私と先生の前に浮かんでいた。だが、何故か先ほどの文字よりもノイズが酷い。今すぐにでも崩壊してしまいそうなほど不安定だ。
「……はは、お前さんが本気を出せばこいつなんか一瞬で倒されちまうのに変に対抗できたから不思議に思ってたんだ」
その文字を見た彼は何故か嬉しそうに笑う。そして、サングラスを掛け直し、腰に手を当てた。
「お前、調子悪いだろ。それも絶不調もいいところだ。バースト寸前か?」
(バースト?)
聞き慣れない単語に首を傾げるが質問できる雰囲気ではないのでグッと我慢する。そもそも、シノビちゃんに教えてもらった情報もほとんど私に関することだけだったため、彼らが使う能力については何も知らなかった。私に知る機会は、あるのだろうか。
【バーストとは違います。調子が悪いのは否定しませんが】
「おっと、こいつは本格的に運が回ってきたみてぇだな。なら、俺たちにも勝機はあるってもんだ、な!!」
「はい、ぱぱ」
先生が軽く手を振るうと電柱があった場所からドッペルが凄まじい勢いで飛び出し、幻影さんへ迫った。その手は剣、ではなく、あの見えない斬撃を射出する鎌。回避しても細かい斬撃が彼、もしくは彼女を襲うだろう。
「っ――」
しかし、ドッペルが鎌を振る前に幻影さんは彼女の腕を掴んで止める。まさか止められるとは思わなかったドッペルは初めて目を大きく見開いた。
【残念ですがあなた程度でしたら調子が悪くても倒せますよ】
そんな文字列が私、ドッペル、先生の前に現れ、すぐに霧散する。そして、その直後、腕を掴まれたドッペルはそのまま地面に叩きつけられ、足元が蜘蛛の巣状に砕けた。
「ドッペル!」
だが、先生は諦めておらず、すぐにドッペルを呼んだ。しかし、彼女はもぞもぞと動くだけで身動きが取れない。幻影さんが完全に押さえ込んでしまっているのだ。
「……ぱぱ、動けない」
「はは……嘘だろ?」
やがて諦めたのか、大人しくなったドッペルを見て先生はボソリと呟いた。その口は引きつっている。
(すごい……)
私を殺す寸前にまで追い込んだドッペルを片腕一本で押さえ込んでしまった。その光景に言葉を失ってしまう。
確か、シノビちゃんは誰かの命で私を守っていたようだが、幻影さんが彼女の主、ということなのだろうか。でも、どうして幻影さんは私を守ってくれたのだろう?
【依頼でここに来たのでしょうが引き下がっていただけませんか?】
「そう言われて引き下がると思ってんのか?」
【あの人には私から言っておきます。それとも、大切な相棒をここで失いたいんですか?】
「……はぁ」
幻影さんの言葉に先生は無言で考え込んだ後、深いため息を吐いた。そして、こちらに背中を向けて歩き出す。
「俺たちの負けだ。そいつは好きにしろ」
「……」
先生が諦めたと判断したのか、幻影さんはドッペルから手を離した。自由の身になったドッペルはさっと彼、もしくは彼女から距離を取り、数秒ほどこちらの様子を窺った後、先生の後を追いかける。あれだけの勢いで地面に叩きつけられたのにぴんぴんしている彼女は本当に人間ではないのだと改めて実感した。
「ぱぱ、手」
「は?」
「手」
「繋がねぇぞ」
そんなやり取りをしながら彼らはこの場から去っていく。その様子を眺めていると不意に目の前の光景が一変する。住宅街なのは変わらないのだが、折れた電柱や陥没した地面が一瞬で元通りになったのだ。今までの出来事は全て悪い夢だった。そう、言われても信じてしまいそうなほど周囲の被害は消えている。
(でも、夢じゃない)
制服はボロボロだし、傷は未だにヒリヒリと痛む。左腕もなんとか動かせるようになってきたが違和感は残っている。
そして、なにより――。
「……」
――隣に立つ、幻影さんの存在がそれを許さなかった。




