第41話
狭い路地で再び私はドッペルと対峙する。さっきのワイヤーによる刺突はシノビちゃんが途中で掴んでくれたおかげで私に届かなかった。でも、それは彼女の分身が消えるまでの間のこと。ドッペルの指先は標的を狙うように私へ向けられて――。
「ッ――」
咄嗟に私は転がるように後ろへ倒れこむ。その瞬間、私の真上をワイヤーが通り過ぎた。いや、駄目だ。ワイヤーに気を取られている暇はない。慌てて顔を上げてドッペルを見やると彼女は丁度、右腕を振り上げているところだった。人差し指はワイヤーのまま。
「うっ……」
振り上げられたワイヤーをドッペルが勢いよく私に向かって振り下ろす。あれほど細くて頑丈なワイヤーならば人体など簡単に真っ二つにしてしまうだろう。慌てて右に転がって直撃を避けたもののワイヤーが地面を砕き、そのいくつかの破片が私の体へ当たった。
(このままだとっ)
地面に転がっていればまともに逃げられない。私は破片が当たったところを手で押さえながら立ち上がり、狭い路地から脱出する。体を動かす度に鈍痛が広がり、顔を歪ませてしまう。
破片が当たった場所だけではない。何度も地面を転がっているせいで体中に擦り傷ができてしまっている。今までは別のことに気を取られていて気づかなかったが、一度、自覚してしまうとヒリヒリと痛みがひどくなっていく。
「すばしっこい」
そんな私の事情など知る由もなく、狭い路地の方から舌足らずな可愛らしい声が聞こえる。チラリと後ろを見ると人差し指を元に戻したドッペルが路地から出てくるところだった。
――とにかく時間を稼いでください。
シノビちゃんが消える前、私にそう言った。時間を稼ぐことによってどんなことが起こるのかわからないが今はその言葉を信じるしかない。
しかし、普通に逃げてもドッペルは目にも止まらぬ速さで移動できるのですぐに追いつかれてしまう。だが、だからといって彼女の攻撃を避け続けるのも難しい。
何か別の方法で時間を稼がなければならない。ドッペルの動きが止まるような、何か。
「ッ……あの男はどこに行ったの?」
「ぱぱのこと?」
やっと鈍痛が治まったところで足を止めた私は振り返ってドッペルに話しかける。すると、こちらに近づいていた彼女も首を傾げながら止まった。
「ぱぱはどこかにいる」
「置いてきたの?」
「遅いから」
「そ、そっか……えっと、ぱぱを待たなくてもいいの?」
目の前に立つ女の子の姿をした『人ならざる存在』はティーチャーに対して見た目相応の態度――つまり、子供っぽい言動を見せていたような気がする。それに加え、ティーチャーの指示にも従っていた。『ぱぱ』とも呼んでいたので彼女にとってティーチャーは親のような存在なのだろう。だから、彼女の気を引くためにティーチャーの話を振ってみたのだが、思いのほか上手くいったようだ。
「適当に殺してこいって」
「っ……」
『人ならざる存在』といっても見た目は可愛らしい女の子。そんな子供がおつかいを頼まれたように『殺す』と口にする光景に思わず体を硬直させた。
「だから、殺すね」
そのせいで次の話題を振るのが遅れてしまい、ドッペルが再び動き出してしまう。もう一度、ティーチャーの話をする? いや、何度も話を振って時間を稼ごうとしていることがばれたらそれこそおしまい。今だってドッペルが私をすぐに殺さないのはシノビちゃんの分身を倒したことで私を殺すのはいつでもできると油断してくれているおかげだ。
時間を稼ごうとしていることがばれずにドッペルの動きを止める方法。何か、何かないだろうか。何か――。
「今度はこれ」
「ッ……」
その思考を遮るようにドッペルが両手をカマキリのような鎌に変化する。ドッペルの体より大きな鎌は月光を反射してキラリと光った。しかし、いくらドッペルが人並外れた怪力を持っていたとしても鎌が大きすぎて動きは鈍くなるだろう。それにここは住宅街。先ほどまでいた狭い路地よりはマシだが、鎌を振り回せば塀や電柱にあたってしまうはずだ。
「せーの」
しかし、ドッペルはそんなことを気にする様子もなく、カマキリが敵を威嚇するように両手の鎌を振り上げ、そのままその場で振り下ろす。
「え!? きゃあああああ!?」
その瞬間、それぞれの鎌から見えない何かが射出される。それらは地面を抉りながら私へと迫るが予想外の現象に身動きが取れなかった。そして、私の制服をズタズタに引き裂き、細かい切り傷が体に刻まれた。
「く、う……」
痛みで顔を歪ませ、その場で倒れそうになるがギリギリのところで踏み止まった。幸運だったのは見えない何か――斬撃は縦に並んで飛んできたため、私の体がその間を通り過ぎるような形になったこと。もし、下手に動いていたら今頃、私の体は二つになっていたはずだ。視界の端で破れたスカートの切れ端が風に乗ってどこかに飛んでいったのが見えた。
「……あれ、今度は動けなかった?」
(こ、この子……)
あれだけ素人同然の動きで無様に転がり回っていたのなら誰だって私が戦い慣れていないことはわかる。しかし、ドッペルは私が何度も攻撃を躱していたから今回も躱されることを前提に二つの斬撃を放ったのだ。普通なら圧倒的戦闘力の差で一瞬で屠れるのにもかかわらず。
そんな少しだけちぐはぐな思考は見た目相応の思考回路を持っているからなのか。それとも、彼女が『人ならざる存在』だからなのか。私にはわからなかった。
「じゃあ、普通に殺す」
「ッ!?」
だが、今のやり取りでドッペルにもわかってしまったようで両手の鎌を大きな剣に変化させる。そして、そのまま一気に私の方へと接近してきた。袈裟斬りに振られたそれを体を引くことで躱す。だが、その瞬間にはすでにドッペルは振るっていない方の剣の先端をこちらに向け――ワイヤーで攻撃してきたように剣そのものが伸びた。
(伸びッ!?)
私の顔へ迫る切っ先を首を傾けて回避。だが、体を引いている途中に強引に動いたせいで体のバランスが崩れ、左へと倒れこんでしまう。
「ぐっ……」
そのまま近くの塀に左腕を思い切り強打してしまい、鈍い音が耳に届いた。今の当たり方はまずいかもしれない。塀に強打しただけでなく、全体重がそこにかかってしまった。
慌てて塀から体を離したが左腕に力が入らない。ぶつけた箇所が熱く、ジンジンと痛みが広がっていく。
「よそ見?」
「しまっ――」
左腕の痛みに気を取られている隙に体勢を立て直したドッペルはトドメとばかりに右腕の剣を振り上げる。その剣先の動きを目で追うと丁度、空に浮かぶ月――満月が視界に映った




