第38話
(誰、なの……)
鋭い眼光。鶴来君のような鋭いながらもどこか優しさを感じるそれとは異なり、目の前に立つ中年の男性の目には温かさなど微塵も感じない。
それでいて隣に立つ小学低学年ほどに見える綺麗な黒髪をツインテールに結った女の子は黙ってこちらを見つめるだけだ。私に対して何も感情を抱いていないというべきだろうか。そこには男性とは違った不気味さを覚える。
「んー……当たりだな。何も見えん」
二人のただならぬ雰囲気に飲まれて動けずにいると男性がやれやれと言いたげにため息を吐き、サングラスをかけた。その言葉に女の子は首だけを動かして男性を見上げる。
「ぱぱ、いいの?」
「え、ぱぱ?」
予想外の言葉に思わず言葉を漏らしてしまう。お人形のように可愛らしい女の子と服を着崩し、髪もボサボサな中年の男性では印象が違いすぎて親子とは信じられなかったのである。でも、確かに目元はどこか似ているような――。
「だから、パパじゃねぇって言ってんだろ……」
しかし、そう思った矢先に中年の男性がそれを否定した。じゃあ、親子ではないなら二人はどんな関係なのだろう。そもそも、私の名前をどうやって知ったのだろうか。
「あ、あの……」
「まぁ、いいや」
詳しい話を聞こうと話しかけるが男性は頭を乱暴にかきながら何故かこちらに背中を向けていた。まるで、すでに私から興味を失ったように。
「殺せ、ドッペル」
「はい、ぱぱ」
男性が女の子にそう命令した瞬間、私の足元に女の子が瞬間移動した――ように見えるほどの速度で一気に距離を詰めたのだ。そして、そのまま小さな手を押し当てようと私の脇腹へと伸ばす。
「ッ……」
視認できたのはそこまでだった。咄嗟に肩に掛けていた鞄を女の子との間に滑り込ませ、凄まじい衝撃が私を襲う。
そのあまりの勢いに私の両足は完全に宙に浮き、後方へと投げ出される。このままでは背中から地面に叩きつけられ、その隙に私は女の子に――。
「ぅ、おおッ」
自分でも聞いたことのない、獣のような声を漏らしながら後ろへ倒れそうになる体を無理やり動かし、両足を地面に滑らせる。あまりの勢いに何度か跳ねてしまうが諦めずに踏ん張り続け、数メートルほど下がったところでやっと止まった。
(でも、まだっ)
ホッとする暇さえなく、女の子は追撃を加えるために私の目の前に立ち、右手を振り上げて――その手が大きな剣に変化する。
その非現実的な光景に体が硬直しかけるが、それ以上に剣の放つ死の気配があまりにも大きく、私の体は本能に導かれるまま、右へとジャンプする。その刹那、さっきまで私が立っていた場所へ剣が振り下ろされ、粉々に砕けた。飛び散った破片が私の体を強かに叩くがそんなことを気にしている場合ではない。地面をゴロゴロと転がって何とか女の子から距離を取る。
「?」
すぐに立ち上がって女の子の方を見ると彼女は不思議そうに首を傾げて砕けた地面を見ていた。だが、それも数秒と経たずに右手を元に戻してこちらへ人差し指を向ける。
「ッ!?」
咄嗟に首を左へ傾けると左頬に鋭い痛みが走った。見れば女の子の指先が細い金属へと変化しており、私の顔の横まで伸びている。きっと、私の顔を貫こうと目にも止まらぬ速さで伸ばしたのだろう。
「はぁ……はぁ……すぅ……はぁ……」
伸びた女の子の指から離れながら私は深呼吸をする。人並み以上の体力を持つ私でもたった数秒のやり取りで息が乱れた。それは単純な運動量ではなく、女の子から放たれる死の気配に予想以上に体力を削られたのだろう。
(でも、どうして……)
するすると伸びた指を元に戻している女の子を見ながら私は不思議に思う。
確かに体力テストでは女子高校生とは思えない記録を出した。
調子が良くなる前だって運動神経はいい方だと自覚していた。
でも、これは違う。これまでの女の子の攻撃は運動神経が良いぐらいで躱せるほど生半可なものではなかった。戦ったことのない女子高校生がいきなり襲われてここまで抗えるはずがないのだから。
ましてや、相手はおそらく人間ではない 何か。目の当たりにしてもなお、その存在を信じ切れないのはさっきのやり取りが夢であってほしいと無意識に願っているからだろうか。
もちろん、女の子の態度からして本気ではなかったはずだが、確実に私を殺そうとしていた――いや、本来であれば手を抜いた状態でさえ、戦ったことのない私は殺されるはずだった。
じゃあ、どうして私は今も生きているのだろうか?
「……ぱぱ」
「ぱぱじゃない。終わったか?」
「死なない」
「何言って……は?」
それは女の子も、すぐに私が死ぬと思っていたので帰ろうとしていたサングラスの男性もそうだった。女の子が男性に声をかけると彼はぐるりとこちらを振り返り、まだ立っている私を見て声を漏らす。
「……おいおい、冗談だろ? お前、こっち側じゃなかったはずだ」
(こっち側?)
「どうするの?」
「……いや、関係ない。やっちまえ」
「はい、ぱぱ」
ここで話し合いになればと思ったのだが、彼は私を見逃すつもりはないようで体ごとこちらを見て女の子に指示を出した。頷いた女の子は両手を大きな剣に変化させて構える。構えてしまった。
ああ、駄目だ。私が生き残れたのは女の子が手を抜いてくれていたからだ。もし、このまま攻撃されたら今度こそ私は死ぬ。
「ばいばい」
女の子もそれがわかっているのだろう。舌足らずな言葉で私に別れを告げ――。
「さすがに見逃せないでござる」
――右の剣が私の首を跳ねる直前、その間に滑り込んだ誰かが小さなクナイでそれを受け止めた。拮抗する両者の得物がギリギリと音を立てながら火花を散らす。
(こ、今度は何!?)
私の前に立つ人は黒い衣装を身に纏っており、その全貌は不明。声は幼く、高かったので私と同じぐらいか、少し年下の女の子であることぐらいしかわからなかった。
「なっ、シノビ!? なんで、お前がここに!?」
私を守ってくれた女の子を見てサングラスの男性が驚いたように声をあげる。知り合いなのだろうか。
「無論、あのお方の命令でござる」
「ちっ、あいつが関わってんのかよ……楽な依頼だと思ってたのによ」
女の子――シノビちゃんが答えると男性はイライラした様子で悪態を吐く。だが、すぐに冷静になったようで顔を上げた。
「きっと、そいつは分身だ。一撃でも与えたら消えるはず。やれ、ドッペル」
「はい、ぱぱ」
「有名になるのも考えものでござるなー」
男性の言葉をシノビちゃんは否定しなかった。つまり、彼女は忍者のように分身の術が使えて、攻撃を受けたら消えてしまう。もし、そうなったら私は女の子に殺される。
女の子は後方へ跳び、左の剣を金属でできた鞭へ変化させる。あの鞭で捕まえ、右の剣で斬るつもりなのだろう。
「ですのでここでドロンさせていただきます……で、ござる」
しかし、そんな女の子を見てシノビちゃんはごそごそと何かを取り出す。後ろから見えたが何かの球体のようだった。
「っ、ドッペル!」
「遅い!」
サングラスの男性は彼女が持つそれに心当たりがあったようで慌てた様子で女の子に指示を出すがその前にシノビちゃんがその球体を地面に叩きつける。そして、その球体が破裂するとともにモクモクと黒い煙が周囲を覆いつくした。
「け、煙、玉?」
「さ、今のうちに」
「え? きゃっ」
煙幕で何も見えない中、シノビちゃんが混乱する私の体を抱き上げ、凄まじい速さでその場を脱出する。その速さは50メートル走で出した私の記録を軽く抜かすほどで、抱き上げられた私はどうすることもできずに身を任せるしかなかった。




