第33話
「……ん」
沈んでいた意識がゆっくりと浮上していく。それと同時に閉じているはずの目が眩んだ。もぞもぞと体を動かしてそれから逃れようとするがどうしても逃げられず、私は目を開けた。
(朝……)
まだ上手く働かない頭で状況を把握しようと視線を彷徨わせる。そして、僅かに開いたカーテンから射し込む朝日でやっと朝が来たのだと理解した。
そのまま体を起こして固まった体をほぐすように背伸びをしながら深く息を吸うと次第に意識がクリアになっていく。昨日、あれだけ具合が悪かったのに今ではスッキリしていた。
「……あれ」
いや、むしろ、いつも以上に調子が良さそう? ベッドから降りて軽くジャンプしてみるが体が羽のように軽かった。これまで生きてきた中でこんな感覚を抱いたことがなく、少しばかり戸惑ってしまう。
(まぁ、いいか)
調子が悪いよりマシだろうと結論付けて私はスマホを手に取り、現在時刻を確認する。どうやら、いつもより30分以上早く起きてしまったようだ。
だが、それ以上にSNSの通知が数件ほど入っていることに気付き、慌てて中身を確認する。やはりというべきか、あやちゃんからメッセージが届いていた。内容は私の体調を心配するものばかりで最後のメッセージに書かれていたのは要約すると『これを見たら連絡が欲しい』というものだった。私が力尽きて寝てしまったばかりにあやちゃんにはずいぶん心配をかけてしまったらしい。急いでメッセージを送ろうとスマホの画面に触ろうとした時、不意に背後に気配を感じた。
「……?」
慌てて振り返るが真っ先に目に入ったのはカーテン。一瞬、揺れたような気もするが窓は開いていない。見間違い、と考えるのが正常だ。
(でも、この感覚は……)
気配は一瞬だったし、ただの勘違いなのかもしれない。だが、上手く思い出せないが私はこの感覚を知っているような気がした。
「気のせい、かな」
思い出そうとしても一向に答えに行きつかない。仕方なく私は返信を打つことに意識を戻す。返信したら次はお風呂だ。昨日、入らずに寝てしまったので早くさっぱりしたかった。
こうして、私の知らないうちに、私の何かが変わってしまった日常が始まった。
「ふんふーん」
無事にメッセージの返信を終えた私はいつもより余裕を持って家を出て鶴来君との待ち合わせ場所に向かっていた。調子がいいのは勘違いではなかったらしく、思わず鼻歌を歌ってしまうほど私の気持ちは高揚している。今まで調子がいいと思っていた状態が不調だったと思わざるを得ないほどだ。
思えば、この街に引っ越してから道を覚えたり、バイトを探したりと休む暇はなかったような気がする。迷惑をかけてしまった皆には悪いが、これほど調子がいい原因は倒れたおかげで泥のように眠り、しっかり休んだからかもしれない。なんだか世界が輝いて見える。
「あっ」
そんなことをしている間に合流場所に到着。そして、道の向こうに鶴来君の姿を見つけ、私は声を漏らしてしまう。昨日、色々迷惑をかけてしまったので今日は一緒に登校してくれないかと思ったが、彼はしっかりといつも通りの時間に来てくれた。それが嬉しくて申し訳なく思いながらも顔がにやけてしまう。
「鶴来君、おはよっ!」
「……ああ」
自分でもわかるほど弾んだ声で挨拶をすると鶴来君はいつもより低い声で返事をする。機嫌が悪いわけではない。多分、寝不足? 徹夜でもしたように目の下に薄っすらと隈が見えた。仕事が忙しくて疲れて帰ってきたおじさんと同じような雰囲気を漂わせている。
「もしかして、寝てないの?」
「いや……それよりそっちは大丈夫か?」
「うん、おかげさまで元気になりました! 本当にありがとう! あと、迷惑かけてごめんなさい!」
「……ずいぶん、元気だな」
「絶好調です!」
心配をかけてしまった分、元気な姿を見せようと気合を入れると自然と鼻息が荒くなった。今の私はまさに走り出そうとする闘牛そのもの。今なら何でもできる。そんな全能感に包まれているようだった。
「……」
「……鶴来君?」
「何でもない」
「あ、ちょっと待ってよ!」
何か言いたくても言えない、そんな微妙な表情を浮かべていた鶴来君だったが、テンションハイマックスの私を放って先に歩き出してしまう。慌てて彼の横に並び、私たちはいつも通り、学校へと向かった。
「ひーちゃん!」
無事、学校に到着した私たちを出迎えたのはメッセージで大事に至らなかったと伝えたはずなのに『アタシ、心配していました!』と言わんばかりの勢いで私の名前を呼んだあやちゃんだった。
「あやちゃん、おはよ!!」
「お、はよ? え、めっちゃ元気?」
「うん、めっちゃ元気!」
鶴来君にしたように元気よく朝の挨拶をすると彼女はキョトンとして私のことを見つめる。その後、何かを確かめるように後ろにいた鶴来君へと視線を向けた。振り返ると鶴来君は呆れたように首を横に振り、私たちを追い越して自分の席へと行ってしまう。いや、今は彼よりもあやちゃんの方が優先だ。
「あやちゃん、昨日はすぐに連絡できなくてごめんね! あと、色々迷惑をかけちゃって本当にごめんね!!」
「あ、ううん。何もなかったならよかった……えっと、ひーちゃんってそんなテンション高いキャラだったっけ?」
勢いで謝罪をするが私の様子がおかしい方に意識を取られてしまっているらしく、彼女は戸惑いながら質問してくる。やはり、今日の私はいつもと違う。自覚はしている。それでもこの胸の奥底から湧き上がる感情を抑えることができない。
「わかんない! 今、すごく楽しい!」
「そっかー。それならよかったー。じゃあ、席に座って話をしよっか」
「うん!」
自分でもわかるほど満面の笑みを浮かべて頷くとあやちゃんに手を掴まれて席まで誘導される。そんな友達っぽいやり取りに私のテンションが少しだけ上がったのがわかった。
「それで? 昨日、あれからどうやって帰ったの? 一応、鶴来が残るってことになったんだけど」
「あ、そうそう! 鶴来君が学校に残ってくれてたの!」
「うん、ひーちゃん、少し落ち着こうか」
あやちゃんは『なんか一番下の弟の相手してる気分』と呟きながら小さくため息を吐き、助けを求めるように鶴来君を見やる。だが、すでに鶴来君は鞄を枕にして夢の世界へと旅立ってしまっていた。
「それで! 漣先生が家まで送ってくれたんだけど!」
「そっかそっかー」
それから授業が始まるまで私の口は止まらず、授業が始まる頃にはいつもなら楽しそうにして聞いてくれていたあやちゃんの顔が僅かに引きつっていた。




