第25話
「んー、アタシが紹介できるのはこれぐらいかなー」
「んっ……本当にありがと、あやちゃん」
お昼休みの食堂。きつねうどんを食べていたあやちゃんが呟くようにそう言った。あまりお腹が空いていなかったので売店でコッペパン一つだけ買ってもそもそと食べていた私は急いで飲み込んでお礼の言葉を口にする。
「お礼を言われるほどのことじゃないってー。皆と仲良くできるのはこれからのひーちゃん次第なんだから」
「……そう、だね」
「それにしても……うーん、ひーちゃんって鶴来のこと、す――あー、気にしてんだね」
彼女は何かを言い直しながらきつねうどんの油揚げを噛み千切った。本当はなんと言おうとしていたのか気になったが、わざわざ言い直したのなら下手に聞かない方がいいだろう。
「気にしてるというか……皆が気にしすぎ? 普通の男の子なのに」
「いや、普通じゃないから」
「えー、そんなことないよー」
「……笑いごとじゃないんだけどなぁ」
あやちゃんが紹介してくれた人――クラスメイトの女の子たちは決まって鶴来君との関係を聞いてきた。その度に彼に対する負の印象を変えようと自分なりの言葉で彼のことを伝えた、つもりだ。反応は正直、いいものではなかった。
「ふぅ、ごちそうさま……ひーちゃん、それだけで足りるの? 午後、体育あるけど」
「うん、今日はあまりお腹空かなくて」
「具合が悪いとか?」
「むしろ、いい方だよ」
うどんを食べ終えたあやちゃんが私の持つコッペパンを見つつ、聞いてくる。私の言葉に嘘はない。朝、嘔吐してしまったせいでお弁当を作ってこられなかったが仮に作ってきたとしても残してしまっていただろう。それほど私のお腹は満腹感を訴えている。その証拠にコッペパンも残してしまいそうだ。限界を迎える前にさっさと口の中に放り込んで無理やり飲み込む。
「そっかー、燃費がいいのかな。ま、お腹が空いたら言ってね。お菓子、持ってるから」
「うん、ありがとう」
「それじゃ、行きますかー」
「はーい」
うどんが入っていた器を持って席を立つあやちゃん。私もそれに続いて立ち上がり、後片付けをして食堂を後にした。入学してから学校生活ではほとんどあやちゃんと行動しているが、テンションが上がっていない時の彼女は少しだけのんびりとした話し方になる。活発な子だと思っていたが、意外とインドア派なのかもしれない。
「あー、美味しかったー。この後は……昨日と同じ?」
「うん、あの子に水をあげに行くよ」
お腹をさすって満足そうにしていたあやちゃんだったが、そう聞いてきたので頷く。
入学式の日、マンションから落ちてきたあの花は中庭に植えたが、それで終わりではない。水やりや雑草抜き、必要なら肥料も与えなければ枯れてしまうだろう。そのため、お昼休みにあの子のお世話をすることにしたのだ。
「じゃあ、今日もついていこうかな」
「別にいいんだよ? お水あげるだけだし」
「いいからいいから」
「……そう?」
昨日、そのことをあやちゃんに伝えると興味が出たのか一緒についてきた。だが、本当に水をあげて軽く周囲を整えるだけなので数分で終わり、彼女も少しだけ拍子抜けしていた様子だった。だから、今日はついてこないと思っていたので意外に思ってしまう。
「それじゃ、レッツゴー」
「お、おー」
よくわからないテンションで廊下を進むあやちゃんに私は首を傾げるが緒にいてくれるのは嬉しいのでお言葉に甘えよう。彼女の後を追い、私はあの子のお世話に向かった。
「んー、終わったねー」
時は進み、早くも放課後。前の席で背伸びをしたあやちゃんが呟き、こちらを振り返る。その顔は明らかにうきうきしています、と言えるほど楽しそうに笑っていた。
「ねぇねぇ、今日ってさ。金曜日じゃん? 土日、どっちかでいいから遊ばない?」
「……へ?」
思いもよらないお誘いに帰り支度を済ませ、鞄のチャックを閉めていた手が止まる。入学式があったのは水曜日だったのであやちゃんの言うように今日は金曜日。明日と明後日は学校がお休みである。そんなお休みの日にわざわざ私と遊んでくれる? あなたは女神ですか? 私の友達でした。
「遊びたい! 遊び、たいけど……この土日は部屋の片づけとかしようと思ってて……」
実は入学の準備や音峰市の地理を覚えるのに忙しくて部屋の整理が終わっていないのである。必要最低限の物だけ出した状態で空いている部屋に段ボールを押し込んだままなのだ。一人暮らしなのでさほど荷物は多くないので整理自体は一日で終わりそうだが、バイト先も早急に探さなくてはならない。
「あー、最近、引っ越してきたんだよねー。それなら仕方ないか」
「ごめんね。来週! 来週は?」
「来週は……両親いなくて弟たちのお世話しなきゃだから駄目かなぁ」
「そ、そっか……」
私たちの間に気まずい空気が流れる。あ、片付けしたくなくなったなぁ。片付けしたくないなら仕方ないなぁ。あ、予定がなくなったから遊べるなぁ。よし、これでいこう。大丈夫、まだ間に合う。
「くっ、ふふっ……」
その時、不意に左の方から笑い声が聞こえてくる。そちらを見ると鶴来君――の前の席に座っている男の子が声を殺しながら笑っていた。なお、鶴来君の姿はすでにない。いつの間に帰ったのだろう。
(確か、赤川君、だったような……)
「ちょっと、哲史! なんで笑ってんの!」
「だって、お前が誰かと気まずくなるの見るの初めてだったから」
「盗み聞きしてんじゃねー!」
あやちゃんが赤川君の椅子を蹴りながら叫ぶ。今日、クラスメイトの女の子と話している姿は見たが普段と変わらない様子だったので乱暴な口調に少なからず驚いてしまった。
「ほらほら、お前の豹変っぷりに影野さんが驚いてるぞ」
「お、お前なぁ……ぁ、ひーちゃん、違うの。これはね、なんというか」
「あっはっは!」
「哲史、あんたねぇ!!」
「え、あ、あやちゃん!?」
慌てて私に話しかけてきたあやちゃんだったが、お腹を抱えて笑う赤川君が気に入らなかったのだろう。彼の胸ぐらを掴み、前後に揺する。さすがにこのまま放っておくのはまずいと思い、周囲を見渡す。
(だ、誰も気にしてない!?)
しかし、クラスメイトのほとんどは『またやってるよ』と言わんばかりにため息を吐き、各々の時間を過ごしていた。もしかして、中学校の頃からあやちゃんと赤川君はこんな関係だったのだろうか。
「あやちゃん、ちょっと落ち着いて?」
「くっ……哲史、覚えてろよ」
「へいへい、悪かったよ」
仕方なく、私があやちゃんの肩を叩いて止める。我を忘れるほど怒っていたわけではなかったようであやちゃんはすぐに赤川君の胸ぐらから手を離し、彼を睨みつけた。それでも赤川君は気にしていないようで乱れた制服を整え、私の方を見る。
「こいつ、暴れん坊だけど普通にいい奴だから仲良くしてやってくれよな」
「ぇ、あ、はい……」
「一言余計だっつーの……いや、でも、一人ぐらい男の知り合いはいた方がいいか」
ジト目で赤川君を見ていたあやちゃんだったが、すぐに思考顔になる。そして、数秒ほど忌々しそうに赤川君を凝視した後、深々とため息を吐いた。
「こいつは『赤川 哲史』。アタシの、本当はこんなこと言いたくないけど幼馴染」
「よろしくな、影野さん!」
「調子に乗んな」
「いってぇ! 高校生になって少しは落ち着いたかと思ったけど、すぐに手が出る癖は直ってねぇな!」
「殴るのはお前だけだっつーの!」
一応、赤川君を紹介してくれたあやちゃんだったが、すぐに赤川君と喧嘩を始めてしまう。さすがに人を殴るのは駄目だよ、あやちゃん。
「あらら、始まっちゃったか」
「あ、速見さん」
「杏子でいいよ。この二人、ずっとあんな感じなんだよ。危ないから離れてようね」
「う、うん……」
帰り支度を済ませた速見さん――杏子ちゃんが私の腕を引き、あやちゃんたちからそう言い七ながら離れる。私も咄嗟に鞄を手に取り、素直についていく。後ろを振り返れば二人は私たちに気づかず、言い争いをしていた。殴り合いの喧嘩には発展していないが、いつそうなってもおかしくない熱量だ。
「ああなったら落ち着くまで時間がかかるよー」
「詳しいんだね」
「まぁ、私もあの二人とはそれなりに付き合い長いからねー。私はあれを夫婦漫才って密かに呼んでる」
「聞こえてんぞ、速見!」
「聞こえてるよ、杏子!」
小声で私に教えてくれた杏子ちゃんだったが、さすがに無視できなかったのかあやちゃんと赤川君の矛先がこちらに向いた。
「おお、触らぬ神に祟りなし。さっさと帰ろうか、ヒメ」
「へ!?」
「あ、ちょっと、ひーちゃんは駄目って言ってたじゃん!」
「喧嘩する人には任せられませーん」
「待てー!」
私の手を引いて杏子ちゃんが教室を出てしまう。そして、その後すぐに後ろからあやちゃんが追いかけてきた。彼女の手に鞄はない。教室に置いてきてしまったのだろう。しかし、少しして赤川君が仕方なさそうに二つの鞄を持って教室から出てきた。
(これが友達、なのかな?)
私は友達付き合いをしたことがない。だから、普通の付き合い方はわからない。
「ここまでおいでー」
「ひーちゃんを返せー!」
「おーい、走ると危ないぞー」
「ふふっ、あはは!」
もし、これは普通じゃないと言われても構わない。むしろ、これがいい。
だって、友達とじゃれ合う私は無邪気に笑えているのだから。




