第22話
「それでね、このリップが可愛いくてさー」
「う、うん……」
あやちゃんと初めて過ごす放課後。最初はどうなるかと思ったが、彼女のおかげで会話は途切れず、かれこれ1時間以上は話していた。
しかし、話の流れであやちゃんが使っている化粧品の話になり、私は少しだけ居心地が悪くなってしまっている。
「ホント、すごいよねー。この会社、化粧品以外も色んな商品出してんだよね?」
「そう、らしいね?」
「なんで疑問形? ひーちゃんだって聞いたことあるでしょ? 『O&K』」
「あー、まぁ……聞いたことあるよ」
『O&K』。世間で知らない人はいないほどの大企業であり、様々なジャンルの商品を開発・販売している。
その事業は話題に出ている化粧品からキッチン用具、建築材料、ペット用品、防犯グッズなど。それはまさに『多岐にわたる』という言葉が当てはまるほど拡大されており、人間は必ず『O&K』の商品を一つは持っていると言われるほどだ。この街に来る前に見せてもらった試作品の中に『対テロリスト用睡眠ガス―KAGEROU―』というものがあり、どこまで手を伸ばしているのかと引いてしまったほどである。
あやちゃんが愛用している化粧品も『O&K』のものでリップの側面にしっかりと会社のロゴが刻まれているのがここからでも見えた。
「てか、ひーちゃんは化粧品なに使ってるの?」
「え、えーっと……適当?」
「絶対ウソ! その陶磁みたいな真っ白ですべすべな肌は日ごろのケアの賜物だって!」
「あ、あはは……」
バン、とテーブルに両手を叩きつけながら叫ぶあやちゃんに私は笑って誤魔化そうとする。しかし、ジッと見つめられ、耐えきれなくなり、鞄の中から普段から使っている化粧品ポーチを取り出した。
「これ、です……」
「やっぱ、使ってるじゃーん! 見てもいい?」
「……どうぞ」
「ありがとー。いやー、やっぱ着替えてる時も思ったけどひーちゃん、肌キレイじゃん? ずっとどんな化粧品使ってるか気になって……え?」
テーブルに置いたポーチを手に取ったあやちゃんはうきうきした様子でポーチを開け、手に取った化粧品を見て言葉を失う。彼女の手にあるのは側面に『O&K』と書かれた小さな小瓶。しかし、問題はその中身だった。
「ちょ、これ!? 『O&K』の化粧品の中でも最高級のヤツじゃん!?」
「あー、そうみたい?」
もちろん、私が使用している化粧品が高級なものなのは知っている。知っているからこそ、あまり見せたくなかったのだ。
「どうやって手に入れた……って、普段使いしてるよね? これを!?」
「あー、はい」
頷いた私をあやちゃんは目を丸くして見つめる。ああ、やっぱり引かれてしまった。化粧品はおばさんが『絶対にこれを使いなさい』と押し付けてきたものなのだが、普段使いの化粧品としてはあまりに高級すぎるのである。
(でも、勿体なくて結局、使っちゃうんだよね……)
スキンケアだけは怠ってはならないと家を出る時におばさんが化粧品を送ると言っていた。もう少ししたら新しいものが郵送されてくるだろう。実家にいた頃はあまりありがたみを感じていなかったが、少しでもお金を節約したい今となっては化粧品代がタダなのは助かるのは確か。しかし、そのせいで友達に引かれてしまったともなればほんの少しだけおばさんを恨んでしまう。
「……あ、そっか!」
手に取った小瓶を見つめていたあやちゃんは何か閃いたようで復活する。そして、何故か勝手にうんうんと納得し始めた。
「ひーちゃん、社長令嬢だからスキンケア大事だよね」
「……え?」
「ほら、なんていうの? パーティー的なヤツに出たりするんじゃない? それでひーちゃんママが力を入れて化粧品を選んだ。違う?」
「……そう! そうなの!」
間違ってはいない。うん、ほとんどその通りだ。本当のことを言えない罪悪感が胸を締め付ける。ごめんね、あやちゃん。
「あー、やっぱりかー! いやー、色々大変なんだねー」
そう言いつつ、小瓶をポーチに戻した後、私の方へ押した彼女はすっかり冷めてしまったポテトを口の中へ放り込んだ。もぐもぐとポテトを食べるあやちゃんに心の中でもう一度、謝りながらポーチを鞄の中へしまった。
「あれ、それじゃ……あー」
「……あやちゃん?」
不意に何か言いかけたあやちゃんだったが、その途中で言葉を濁らせる。まるで、言ってはいけないことを言いそうになってしまったような反応。
「……うん、確かめなきゃだよね」
「えっと?」
「ひーちゃん、ぶっちゃけ鶴来のこと、どう思ってんの?」
「へ?」
まさかいきなり鶴来君のことを聞かれるとは思わなかったので間抜けな声を漏らしてしまった。だが、あやちゃんの顔は真剣そのもの。さっきみたいに適当に誤魔化してはならないと何となくそう思った。
「……鶴来君は、優しい人だよ」
「優しい? あいつが?」
私の答えを聞いてもあやちゃんは納得できなかったようで少しだけ眉を顰める。やっぱり、自己紹介の時の印象が強いようで彼女を含めたクラスメイトたちは鶴来君のことを誤解しているらしい。
「うん、あんまり人付き合いはしたがらないけど話しかければ反応してくれるし……なにより、たくさん助けてもらったから」
「助けた……たとえば?」
「えっと、昨日の朝の話なんだけど――」
それから私は昨日の出来事を手短に話した。少しでも鶴来君の良さが伝わるように言葉を選びながらだったので少したどたどしかったがあやちゃんは最後まで聞いてくれた。
「……そっか。それでひーちゃんは――」
「うん、だから……私、鶴来君と友達になりたいの!」
「――あいつと恋……え、友達?」
話を聞いた後、どこか優しい目をしていたあやちゃんだったが、グッと胸の前で拳を作りながら宣言した後、キョトンとしてしまう。なにかおかしな部分でもあっただろうか。
「ぇ、マジ? 友達? 今の話でそこに行っちゃう?」
「なにかおかしかった?」
「あー……ううん、全然! やっぱり、友達は欲しいよね!」
『そっかー』と腕組みをして頷くあやちゃんの様子に私は首を傾げてしまう。いや、そんなことよりもこれであやちゃんに鶴来君の良さは伝わったはずだ。きっと、コミュ力お化けの彼女のことだ、鶴来君に対してもフレンドリーになってくれるだろう。
「……じゃあ、アタシ、コーラ持ってくるねー。ひーちゃんはおかわりいる? 持ってくるよ?」
「え、ほんとに? じゃあ……お願いしようかな」
「ほーい、ウーロン茶?」
「うーん……じゃあ、メロンソーダで」
「オッケー」
あやちゃんはコップを両手に持って笑い、ドリンクバーの方へ向かう。今のはかなり友達感が出ていたのではないだろうか。鶴来君の魅力も伝えられたし、今日は本当に来てよかった。誘ってくれたあやちゃんには感謝しかない。
「……」
そう、私は浮かれていたのだろう。
友達と過ごす初めての放課後。
予想以上に上手くいったコミュニケーション。
鶴来君のことを伝えられた喜び。
だからこそ、コップを持ったあやちゃんの手が僅かに震えていたことに気づけなかった。
結局、この日、ファミレスでバスが到着する時間ギリギリまであやちゃんと過ごし、笑顔でお別れをした。
そのままバスに乗り、夕日に染まる街を眺め、南町へ向かう。
「……」
バスは進む。乗客を乗せ、降ろし、小さな話し声がたまに耳に届き、硬貨が機械を通る音が不思議と心地いい。
「……ふわぁ」
きっと、高校生活二日目ということもあり、疲れが溜まっていたのだろう。私の瞼は少しずつ重たくなっていき、耐えきれなくなってそっと意識を手放した。
また明日もキラキラとした青春を過ごせますように、と思いながら。




