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さよなら勇者

そこは山の中腹に広がる大草原のど真ん中。名前などろくについていない雑草どもがそこらじゅうに青々と茂っている。星が夜空いっぱいに広がって、まるでこの小さな山を飲み込んでいくようだ。


「まさか、こんなところに人が住んでいたとはね」


男は今にも脚が折れそうな木の机に、小さな水筒をコトリと置いた。王都を出た時は豪華な装飾がなされたこの水筒も、今では茶色く錆びたガラクタだ。


「あたしも驚いたよ。こんな地の果ての掘っ建て小屋に尋ねる人があるなんてさ」


女が小さく古びた椅子の上で少し伸びをしながら言った。椅子の背もたれがキキキと軋んだ。


「勇者サマも大変だね。ずっと1人で旅してきたのかい?」


「仲間はいたんだけどね。冒険の途中で死んでしまったのさ」


「そりゃまあ、大変なこった」


女は近くに置いてあるヤカンを手で引き寄せて、男の水筒に水を注いだ。小さな水筒はすぐにいっぱいになって、透明に透き通った水が溢れ、机を濡らした。


「こんなに貰っていいのかい?水は貴重だろう」


「この山をちょっと登ったところに水源があるんだ。心配しなくていいさ」


女がヤカンをカラカラと揺らした。


「それより勇者さんや。私はあんたの話が聞きたいね」


「俺の話かい」


「そりゃあ、勇者だもの。たくさん冒険してきたんだろう?」


男は、そりゃあそうだけど、と少々口ごもった。それでも女の幼子のような好奇心たっぷりの瞳に負けて、男はぽつりぽつりと語り始めた。それは仲間がまだ健在だった頃の、勇ましく、時としてスリルの効いた話だった。火を噴くドラゴンの羽を削ぎ落とし、崖の先に追い詰め、聖剣で貫き、倒した時のこと。全てを凍らせる術を持った魔女を、仲間の魔術師が魔力で制圧し、深い森の奥に封印した時のこと。


女は男の話の全てに興味津々だった。女はとても聞き上手で男の欲しい場所で程よく相槌を打ちながら聞いていた。男はいつしか身振り手振りで話を盛り上げ、ときには尾鰭ばかりの原型を留めていないようなドラマチックな話を挟んだ。そんな馬鹿らしい話にも女は真剣な顔で相槌を打ち続けた。女のコロコロと変わる表情に気分を良くして、男の話はさらに加速した。


そうしてとうとう、話は勇者の仲間たちが皆死んでしまう話へと移った。男はそれまでは上気して赤く染まっていた頬を垂らしてしまった。そして、皆幸せに天寿を全うしたのだ、と静かに言った。


「俺がなぜ生きているか分かるか」


分からないね、と女は言った。


「薬を飲んでしまったからさ!ずっと死なない薬を!皆が死んでしまっても、俺が意志を繋げると約束して!」


男は吠えるように言った。


「死んでいった仲間の墓を1人で立てて!何年も旅を続けて来たんだ!」


男はすすり泣いた。


「もう魔王なんてどうでもいいんだ。勇者なんかなるんじゃなかった。でももう引き返せない。帰る場所なんてもうないんだ。母も父もとっくに死んでいるんだから」


勇者たちが冒険へと旅立った時、その国の王政は栄華を極めていた。物資も資源も人も、それはそれは有り余るほどだった。人々は笑い、歌い、皆が豊かな生を全うしていた。


長い旅の行方など、誰も知らなかった。若かった勇者はただ王の命令に従っただけだ。魔王だかなんだか知らないが、討伐してきたまえ。我が国の優秀な兵にはこの聖剣を授けてやるから。精進して参れ。


女は目を真っ赤にした男に黙ってハンカチをそっと差し出した。男は薄汚れたハンカチで丁寧に涙を拭き、そのまま大きな手で握りしめた。


「あんたも大変だったんだね」


女はあやすように言った。


「俺の話はもう終わりだ。次は君のを聞かせてもらおう」


男は鼻を鳴らしながら俯いて言った。女は、あたしの話なんてつまらないと思うけどね、と前置きしてから話し始めた。


昔、この土地は魔王によって完全に支配されていた。魔王は魔術にとても長けており、魔術を使って様々な危機から魔物達を救った。魔王は弱いものに寄り添い、強いものを導く、非常に聡明で慧眼だった。魔物たちはそのような魔王の実力やカリスマ性に引かれ、魔王の良き仕えとなった。


しかし、そのような魔王にもやはり寿命は存在した。魔王の絶対的であった魔力は次第に衰え、魔王が支配していた土地の情勢も傾き始めた。人間の進撃がちょうど始まった時期だったのだ。


困り果てた魔物たちは皆で考え抜いた挙句、魔王に進言した。不死身の体になれば皆未来永劫幸せに暮らして行けます。魔王様の魔力がまた戻って下されば。今までのように私どもを救っていただけないでしょうか。


魔王は自分を慕ってくれた魔物たちの思いを汲んで、不死身の体になった。再び魔王の力は元に戻り、魔物たちは元の暮らしに戻り、安心していた。


しかし、それだけでは終わらなかった。魔王は魔物たちを飢饉や自然災害から救うために自然をも魔術で支配していた。そのため自然のバランスがくずれ、魔力などでは到底立ち向かえないほどの危機が訪れた。


「突然、大きな気候変動が始まったのさ」


大陸の端から少しずつ。魔物たちは次々とやせ細り、飢え、苦しみに悶えながら息絶えていった。魔王は必死に食い止めようとするも、自然の驚異には適わなかった。やがて魔王の城も侵食され始めた。魔王に仕えていたもの達は一人また一人と倒れていった。


最後の魔物が倒れた時、魔王は城を後にして、たった1人で旅に出た。魔物たちを人間から守るためにわざと入り組んだ地形に変えたのが仇となり、旅は全く順調には行かなかった。最も目的地など最初からなかったのだけれど。


魔王は気候変動の波に呑まれぬように、ただひたすらに旅を続けた。しかし、ろくな食糧も口に出来ぬ体に無理を強いたせいか、とうとう足が動かなくなってしまった。


魔王は何とかたどり着いた草原を終の住処とすることにした。そこらにある木材を拾い集め、簡素な小屋を立てた。魔王はそこでただ1人ひっそりと暮らし始めた。


「水も食糧もほとんどなかった。不死身の体はただ生き永らえるだけだったから、健康を害して苦しい時期がずっと続いたんだ」


それでも生きるしか無かった。逃げ道などどこにもなかった。自分以外の全ての生命体はとっくのとうに息絶えているのだ。慈悲などあるわけが無い。


「それからどれほど経ったのか覚えてないね。この世界は昼も夜も神様の気まぐれだからさ」


女は長いため息をついた。この宿命からは逃れられないことを悟っているのだろうか。


「けどかなりの長い時間が過ぎたことは確かだよ。もう海はそこまで来ているからね。ここらももうじき住める場所じゃあなくなるさ」


さて、あたしの話はこれで終わり。あんたの話程面白くはなかったけど、なかなか聞きごたえはあったろう?女の口調は変わらず軽快だったが、もうその瞳に輝きはなかった。


「あんたもあたしも不幸だね。人のために生きてんのにさ。みんな勝手に死んじまうんだから」


女は男の肩を何度か軽く叩いた。


「これからはあたし達しかいないさ。気楽に生きていこうじゃあないの」


男は泣き腫らした顔をやっと上げた。その時、強い風が大草原を通り抜け、小さな小屋の屋根をかっさらっていった。あたりの草は白くくたびれていた。冷たい風に吹き荒らされた男の顔は、微笑んでいた。




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