同僚
「今日からよろしくお願いしますね」
「あ、はい」
デクスの部屋を出たところでリーゼに声をかけられ、恋詠は反射的に応じる。
リーゼの纏う雰囲気は穏やかだというのにどこか抗い難く、恋詠は自然と丁寧な口調で謙遜した態度を取ってしまう。
「まずは、簡単に仲間を紹介します。デクス様とアルフ様、そして私を除いてあと三人おりますので」
そんな自分に気づかない恋詠と歩幅を合わせて歩きながら、リーゼはさりげなく目線を向ける。
(あと三人……)
「噂をすれば、あちらから来てくれたようですよ」
「え?」
その時、視線を前方――進行方向へと向けたリーゼにつられて視線を動かすと、恋詠はメイド服に身を包んだ二人の少女を見止める。
そこにいたのは、恋詠の胸のあたりまでしか身長がない小柄な少女二人だった。
外見から感じられる年齢は十代半ばといったところだろうか。整った顔立ちはよく似ているが、髪の色がピンクと水色で異なっている。
そんな二人の少女は、そこに並んで佇んでいるというのに、まるで人形が命を得て動いているような、非現実的な印象を受ける存在感を有していた。
(可愛い)
「リーゼさん」
「……その人が新しく入った人?」
恋詠がその愛らしさに心奪われていると、小走りで駆け寄ってきていた二人の少女が口を開く。
「そうですよ。二人とも自己紹介を」
リーゼが言うと、水色の髪の少女が天真爛漫な笑みを浮かべて、手を上げる。
「私は『リィナ・ツヴァインビッヒ』。『リィナ』って呼んでね」
「天原恋詠です。よ、よろしく」
リィナと名乗った水色の髪の少女は、人懐っこい笑顔を浮かべて明るく笑いかける。
白く丸い帽子を被り、束ねた長い髪と肩の露出したロングスカートのメイド服を翻らせたリィナに求められるまま、恋詠は握手を交わす。
「よろしくね、恋詠。こっちは私の双子の妹の――」
恋詠と握手を交わしたリィナは、そのまま隣にいるピンク髪の少女へ視線を向ける。
「『ティナ・ツヴァインビッヒ』です」
そう言って答えたティナは、双子というだけあってリィナと瓜二つの外見をしていた。
しかし明るく社交的な印象を受けるリィナとは異なり、自己紹介の時も全くと言っていいほど表情を変えず、その感情が伝わりにくいミステリアスな雰囲気を纏っていた。
「よろしく」
「ようやく私達の後輩ができた。恋詠。敬ってもいいのよ」
自己紹介をしたところで、リィナが嬉々とした様子で胸を張って言う。「は、はあ……」
そんな得意気な態度に恋詠が戸惑いつつも空返事を返すと、それを見ていたティナが呆れたようにため息を吐く。
「姉さんと恋詠さんなら同じレベルでは?」
「そんな事無いよ!?」
浮かれているところにティナの抑揚の無い声音で辛辣な一言が浴びせられ、リィナは全力で拒否する。
「二人とも恋詠さんの面倒をしっかり見てくださいね」
「はぁい」
「……はい」
そんな中、リーゼに改めて恋詠のことを頼まれ、リィナは明るく、ティナは抑揚の効いた物静かな声で答える。
「では行きましょう。最後の一人に会いに行きます」
「は、はい」
リーゼに言われてリィナとティナと別れた恋詠は、その足で屋敷の離れ――その奥まった場所に作られた頑丈そうな鋼鉄の扉の前へとたどり着く。
「な、何か危険な気配が……」
薄暗い場所に作られた扉というだけならまだしも、そこからは邪悪なオーラのようなものが滲みだしてきているように感じられた。
そんな風に感じるのは、悪魔になったことで知覚能力が強化されたからというよりも、純粋な生物としての本能であるように恋詠には感じられていた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。この中にいる男は、少々変人ですが悪人ではありません。――悪魔ではありますが」
「……はは」
清らかな声音で冗談とも取れない言葉を紡いだリーゼに、恋詠は肯定というよりは同調めいた苦笑めいた笑みで応じる。
そんな恋詠に目を伏せたリーゼは、扉を開く。
扉の中は地下へと続く階段になっており、そのまま歩を進めると、そこにはいかにも研究室といわんばかりの部屋が存在していた。
様々な薬品が並び、フラスコや試験管といった見慣れた道具と、悪魔のそれらしき恋詠の知識にない道具が置かれたその部屋に、思わず目を奪われてしまう。
知識の探求という崇高で純粋な意志の部屋。
しかし、その清廉であるべき場所に宿ったのは、清廉すぎるが故なのか、部屋の主が悪魔だからなのか、あるいはこの部屋の主自身の人格によるものなのかは判然としないが、暗く怪しい空気に満ち満ちていた。
「いらっしゃい。リーゼ様、それに――」
そんな研究室に足を踏み入れると、その奥からリーゼと恋詠を歓迎する声が送られてくる。
その声の先に視線を向けた恋詠は、部屋の奥に置かれた机からこちらに視線を向けている男の姿を目に止める。
わずかにパーマのかかったぼさぼさの頭髪は、目を完全に隠すほどに長く、そこから覗く目には眼鏡がかけられていた。
咥えタバコで紫煙をくゆらせながら、だらしなく着た背広の上に羽織った白衣のポケットに手を入れたその人物は、ゆっくりとした足取りで恋詠の元へと歩み寄ってくる。
「初めまして、『レヴェンス・ホーキンス』。『レヴェン』って呼んでくれればいいよ。ここでは技術主任をやらせてもらってるんだ」
「天原恋詠、です」
自身よりも身長の高いレヴェンに見下ろされる恋詠は、わずかに委縮しながらも自己紹介をする。
「よろしく」
「レヴェン」
そんな恋詠に、レヴェンが屈託のない笑みを浮かべるのを見て取ったリーゼが口を開く。
「分かってますよ」
それだけでリーゼの求めるところを理解した――否、というよりも、最初から何の用件で来たのかを理解していたレヴェンは、部屋の片隅に置かれていた水晶球のようなものを手に取る。
「じゃあ、恋詠ちゃん。早速で悪いけど、これに触ってくれる?」
「え?」
そう言ってレヴェンに水晶球を差し出された恋詠は、その意図を理解することができずに怪訝な声を漏らす。
「大丈夫ですよ。レヴェンの言うとおりにしてください」
「は、はい」
突然のことに戸惑っていた恋詠は、リーゼに背を押されるようにして、水晶球に触れる。
「――っ!」
恋詠が恐る恐る触れた瞬間、水晶の内側に小さな光が灯る。
それはほんの小さな欠片から徐々に大きくなり、やがて水晶球全体が光に満たされていった。
「これは!?」
恋詠は光に満たされ、淡い光をこぼしている水晶を見て目を見開く。
「これは恋詠ちゃんの魔力だよ」
「魔力……」
水晶から指を離した恋詠は、レヴェンの言葉に、水晶球を満たす光に目を奪われる。
「そう、魔力。悪魔の身体に流れる生命エネルギーとでも言えばいいのかな? これを使って悪魔は身体能力を高めたり、攻撃をしているんだよ」
恋詠の言葉に簡潔に応じたレヴェンは、魔力の光を宿した水晶球を手にして目を細める。
「この魔石は、わずかだけど魔力を蓄積させることが出来る。今この石には君の魔力がほんの少し取り込まれているんだよ」
「えっと、それで何で私の魔力を?」
「まあ、後のお楽しみって事で」
大人が子供に言い聞かせるような優しい口調で語りかけたレヴェンは、恋詠の問いかけに不敵で悪戯気な笑みを浮かべる。
「ところで――」
不意にその笑みを消し、真剣な表情を浮かべたレヴェンは、恋詠と息がかかるほどの距離にまで顔を近づけると、その瞳の奥を覗き込む。
「僕は君に興味があるなぁ」
「……っ」
眼鏡の奥に見えるレヴェンの双眸――その紅玉のような瞳に見つめられ、恋詠は思わず緊張に身体を強張らせる。
「何と言ってもデクス様の二人目のスレイヴだからね」
「……二人目?」
レヴェンの口から出た言葉に、恋詠は思わず目を見開く。
「スレイヴ」とは、デクスの能力によって、悪魔となった者。
少し考えれば、呼称が存在するということは、前例があるからではないかという推測は成り立ったが、先入観でそういうものだと思っていたことに加え、麻衣のことで気を取られていた恋詠には、その可能性に思い至ることはできなかった。
「あの、私が二人目って……じゃあ、一人目は?」
その言葉に困惑しながら視線を巡らせた恋詠は、レヴェンとリーゼに答えを求める。
しかし、そんな恋詠の反応の横で、リーゼはレヴェンに窘めるような鋭利な眼差しを向けていた。
「――それはまたいずれ説明しましょう」
とはいえ、白を切るわけにもいかないと考えたリーゼは、そう言って答えを先送りする。
「で、でも――」
「今日のところは帰ってもらって結構です」
そのまま食い下がろうとする恋詠だったが、それを淡々としたリーゼの言葉が拒絶する。
「明日は起床後すぐにこちらへ来てください。遅くとも朝の八時までには来ていただきます――よろしいですね?」
メイドらしい笑みを浮かべているリーゼからは、これ以上聞いても無駄だという圧力が感じられた。
「……分かりました」
「では恋詠さん。これを」
これ以上質問しても無意味だと理解した恋詠が渋々引き下がると、リーゼは満足した様子で微笑み、懐から黒い鍵を取り出す。
「……これは?」
「この屋敷へと続く道を開く鍵です」
手の中に置かれた黒い鍵に目を落とした恋詠が尋ねると、リーゼは楚々とした笑みを浮かべる。
「心配せずとも、お家の方にはこちらで手を回しておきました」
「え?」
「また明日。学校が終わったら来てください」
そのまま、あれよあれよという間に屋敷の外へと連れ出された恋詠の目の前で、屋敷の門へと続く道が空の中に消えていく。
「別空間の中に作られたお屋敷って、こういうことなんだ……」
屋敷を出る前にリーゼに言われたことを思い返す恋詠は、悪魔や魔力といった非現実的で超常的なものと自身が深く関わりを持ってしまったことを再認識していた。
「――あ、制服」
そんな中、自身の来ているコスプレめいたメイド服に目を落とした恋詠は、学校の制服がなくなってしまっていることを今更ながらに思い返し、途方に暮れたように呆然と呟いたのだった。