悪魔を祓う人(もの)
「あんなに運動……いや、あれを運動って呼ぶのかは別として、あんなに運動したのなんて人生で初めてだったけど、全然なんともない。これが悪魔の身体ってことなんだ」
屋敷を出た恋詠は、これまで運動と無縁だった自分が、実戦さながらの訓練を経ても全く疲れていないことを感じ取っていた。
自分が人間ではなく悪魔になったのだという実感を覚えていた恋詠が自宅に向かっていると、不意に声がかけられる。
「それにしても、この鍵便利だなぁ。あのお屋敷から、家に繋げられるなんて……っていうか、これ使えば、ワープもできるじゃない」
鍵を使って自分の部屋へと移動した恋詠は、一瞬で自分の家へと到着することができたことに感嘆する。
「――!」
そんなことを思っていた時、不意にスマホから鳴り響いた通知音に気付いた恋詠は、数えきれないほどの連絡が来ていたことに気づく。
そのほとんどが、学校を休んだ恋詠に様子を尋ねる友人からのものであり、合計で百件を超えていた。
「こんなに連絡来てたんだ……あのお屋敷圏外なのね」
いくら戦闘訓練に時間を取られていたとはいえ、これほどの連絡に気づかないはずはない。
その理由に即座に思い至った恋詠は、それらに対して最低限の連絡を返していく。
『知ってる? 麻衣ちゃんが行方不明になったんだって』
『噂の神隠しにあったんじゃないかって、ちょっとした騒ぎだったよ』
そんな中、ふと目に留まった一文に、恋詠は小さく唇を引き結ぶ。
「まだ……ちょっとくらいなら時間あるよね」
未だに記憶に焼き付いている麻衣が攫われた瞬間のことを思い返した恋詠は、いてもたってもいられなくなり、帰宅したばかりの家を出る。
「デクシア達が探してくれてるって言ってたけど……」
もちろん、あてなどがあるわけではない。今かりにベルザードと遭遇しても戦えないことも理解している。
それでも、恋詠の足は今この瞬間にもどんな目にあっているか分からない麻衣を探して、進んでいく。
もっとも、デクシア達が探して見つけられないというのに、悪魔になり立ての恋詠が見つけられるはずはない。
小一時間ほど歩いたところで今日購入したばかりのスマートフォンに目を落とした恋詠は、神隠しのニュースに目を通して、ふと一つのことに思い至る。
「そういえば、この神隠しって、結構な数の人が行方不明になってるんだよね。だとしたら、そんな人数の人達を連れてどこに隠れてるんだろ?」
悪魔になるきっかけになった戦いで、跡形もなく消滅してしまったため、今日買い替えたばかりのスマートフォンに写し出されているニュースを見て、恋詠は小さく独白する。
謎の神隠しの事件は、この楽陽町近辺を含めて、百件近く発生している。
その全てがベルザードの仕業で、しかも誰も殺していないのだとすれば、最低でも百人近い人間をどこかに幽閉していることになる。
そんな大人数を誰にも気づかれないように隠して置ける場所など、そうそう存在するとは思えない。
「――もしかして、お屋敷みたいに別の空間に隠されてるのかな? だとしたら、どうやって見つければいいの?」
その考えに思い至った恋詠は、デクシアの屋敷へとつながる扉を開く黒鍵を取り出して、街の景色に視線を巡らせる。
「やっぱり、なんの手がかりもなく探したって見つかるわけないよね」
完成に近づいている街のシンボル――楽陽タワーが物悲しげに佇む空が暗くなっていく中、なんの収穫も得られなかった恋詠は肩を落とす。
思いついたままに行動してみたものの、現実の無情さに打ちひしがれた恋詠が繁華街を離れると、エンジン音がうなりを上げる。
「え!?」
その音に視線を巡らせた恋詠は、次の瞬間上空から飛来してきた物体――大型バイクの車輪が頭上へと向かってくるのを見止める。
「きゃああっ!」
今までなら、なにが起きたのかも分からずに硬直していただろうが、これまでに積んだ戦闘経験が恋詠の身体を反射的に動かして、タイヤによる一撃を回避させる。
「死んでる! 今の私が悪魔になってなかったら死んでる!」
先ほどまで自分がいた場所にバイクの前輪が叩きつけられるのを視界の端で捉えていた恋詠は、恐怖と驚愕に心臓を高鳴らせながら、声を張り上げる。
「あ、危ないじゃないですか!」
怒気に彩られた抗議の声に、バイクにまたがっている人物は、沈黙を守っている。
本来なら、謝罪するなり、――褒められたことではないが――逃走するだろう。しかし、その人物は、ただただ、フルフェイスのヘルメットをかぶったままで、恋詠を見据えていた。
「……っ」
そうなってくると、さすがの恋詠も事態の異常さに気づいて身構える。
(違う。これ、私を狙った……?)
思えば、先ほどのタイヤの一撃は、事故というよりは明らかに恋詠を狙って繰り出されたものだった。
そうでなければ、突然上空からバイクが降ってくるなどという非常識なことは起こりえないだろう。
「へぇ、巷で噂の悪魔が、こんな女の子だとはね」
「?」
その時、バイクにまたがっているフルフェイスヘルメットの人物から言葉が発せられる。
これまで恋詠の様子を窺っていたらしいその人物は、おもむろにフルフェイスのヘルメットを外し、その素顔を見せる。
そこから現れたのは、金色のメッシュが入った黒髪を持つ二十歳前後の青年の顔だった。
整っているが、やや幼い印象を持つ顔立ちに、人当たりのよさそうな穏やかそうな笑みを浮かべた青年は、胸元に金貨のようなペンダントを揺らしながら、恋詠を見据えていた。
「これまで捕まえた人達はどこにいるのかな?」
「え? 何を言って……?」
微笑を浮かべていながらも、自分を捉えるその瞳が狩人のそれになっていることに気づいた恋詠は、本能的に数歩後退る。
「またまたぁ。とぼけないでよ。君が連れ去った人間達はどこにいるのかって、聞いてるんだけど?」
(……まさかこの人、私をベルザードって人と間違えてる?)
その言葉を聞いて一つの可能性に思い至った恋詠は、バイクに跨った青年に向かって弁明する。
「ち、違います。それは私じゃありません」
「いやいや、そんなこと信じられると思う?」
とはいえ、今恋詠が悪魔であることに変わりはなく、第三者から見てその説明は言い訳にしか聞こえないのも事実だった。
恋詠の説明に嘆息した青年は、にこやかな笑みを浮かべて言う。
「まあ、あくまで白を切るのなら、力ずくで聞き出すしかないね」
「……!」
バイクを降り、そう言った青年が纏う空気が変化したのを感じ取った恋詠は、反射的に身構える。
「『聖骸蘇生』!」
その言葉が紡がれた瞬間、青年の両手中指にはめられた銀の指輪が光を放ち、そのまま両手の中で二丁の拳銃へと変化する。
「――『聖銀炎吹』!」
青年の手に収められた煌めく白銀の二丁の銃に、恋詠は背筋が冷たくなるような感覚を覚える。
一般人が銃を見れば、そんな反応をするのも当然なのかもしれないが、恋詠は今自分が感じている感覚は、それとは違うことを、どこかで理解していた。
「あなたは一体、何者なんですか?」
「これ、見えない?」
いずれにせよ、言霊で具現化する銃などがこの世に存在するとは思えない。
自分の常識にない武器を前に警戒の声を発する恋詠に、青年は自身の首から下げられた金貨のようなアクセサリーを指す。
その金貨に描かれているのは、光を背負う十字架のような帆を持つ船だった。
「『ARK』所属。『不知火火斑』」
「あ、あーく?」
「君、変な悪魔だね」
世界中のどの国でも流通していないであろう金貨が、ただのアクセサリーではなく、所属する組織のシンボルだったことを知らされた恋詠だが、悪魔としての知識に乏しいために、それが何を意味しているのか理解できない。
だからこそ、素直に浮かべてしまった怪訝な表情を見逃さなかった火斑は、それを挑発と受け取ったのか、小さく笑って銃口を恋詠に向ける。
「っ!?」
瞬間、ためらいなく引かれた引き金と同時に、銀の二丁拳銃から放たれた銃弾が、一直線に恋詠に向かって奔る。
当然人間ならば見えない音速を超えた弾丸は、悪魔となった今の恋詠の動体視力には、はっきりと捉えられていた。
咄嗟に身をひねり、銃弾を回避した恋詠だったが、火斑の攻撃はそれで終わりではない。
次いで離れた銃弾が路地で跳弾し、壁や電柱といった場所で跳ね返り、死角から襲い掛かってくる。
「――っ!」
(い、痛いっ)
明らかに戦闘慣れした火斑の攻撃に、詰め将棋のように追い詰められた恋詠は、ついに回避しきれずに弾丸を受けてしまう。
かろうじて直撃は避けたものの、銃弾が掠めた肩口からは、灼けるような痛みが生じていた。
「次で終わりだ」
そんな恋詠の様子を見て、不敵な笑みを浮かべた火斑は、照準を定めて銀の二丁拳銃の引き金を引く。
銀の光を帯びたその弾丸は、人間離れした類まれな命中精度によって、まるで吸い込まれるように一直線に恋詠へと向かっていく。




