飼い犬 ③
「本来であれば家族の無い騎士は城の近くの施設で共同生活を送って貰うこことなる」
「貴族なのに?」
「貴族と言っても騎士爵は領地も無い名ばかりの貴族だ。その生活基盤は主人から支払われる手当てと仕事で得られる給金程度だ。はっきり言って裕福では無い」
宰相ヘリオスの執務室へと招かれたフロイは、そこで彼から色々な話を聞いていた。
厳密に言えば騎士爵となったが故の決まりごとの類である。
「家族のある騎士は主人が準備した住まいで暮らすことになる。だがお前の主人は王女様だ」
「つまり彼女が俺の住まいを準備すると?」
「そう思っていたが、それは私の権限で止めさせた」
「何故?」
ガクッと首から力が抜けて頭を傾かせ、ヘリオスは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
「王女様は大きな犬の小屋を準備させ自分のお部屋の外にそれを置いて」
「行ってもう何回か躾けて来ます」
「止めておけ」
見聞きしなかった行為であるからヘリオスは何も知らない。知らないが……何故か王女様は両頬に手を当てて満面の笑みで自室に運ばれたらしい。
本当に何も知りたくないから、ヘリオスはメイドからの報告は一切受け付けていない。
「それで正直悩んでいる。お前が12であれば王都の学院に放り込むことも出来た」
「学院とは?」
「12歳から15歳までは男女が適正に分かれ勉学や魔法を学ぶ場である」
自分が勇者をしていた頃にその様な施政をしている国も無かった。
1,000年も経つと色々と替わる物だと理解し、フロイは苦悶するヘリオスを見る。
「それでお前に問いたい」
「何でしょうか?」
「12となるまでどう過ごしたいかとな」
相手が自分の扱いに困り果てて自分に選べと言っているのだとフロイは理解した。
「自分は出来る限り剣の腕を磨きたいです」
「ふむ。それは何故だ?」
「……王女様の言葉が正しければ」
「そうであったな」
ヘリオスも理解した。一瞬少年の野心かと疑ったが、相手はそれ以上に賢いのだ。
今のままでは野心云々関係無く自分が殺されかねないと理解しているのだ。
「ですから出来る限り剣の扱いに詳しい者の元で学びたいと思います」
「……そうか」
相手の必死な現状にヘリオスは同情する。同情しか出来ない。
「ならば1人紹介できるが……」
「問題でも?」
歯切れの悪い宰相の様子にフロイは自然と聞いていた。
『どうもこの子は大人びているな』と思いながらヘリオスは迷った理由を口にする。
「先代の武芸師範だった男だ。ただし問題があり数年でその役から外された」
「理由は?」
「とにかく厳しいのだ。厳し過ぎて騎士たちが全員悲鳴を上げて逃げ出そうとする。その様子を見た騎士たちの親が陛下に詰め寄り彼がその地位から外され事なきを得たが……きっと彼は王に関わる者を恨んでいるやもしれん」
理解した。
「つまり王女様の騎士である自分を恨み辛い修行を科すと?」
「その通りだ」
苦々しい表情でヘリオスは頷く。
ならば今の武芸師範に預ければ良いのだろうが、現在の師範は王子の1人と親しい。そのような者にフロイを預ければどんな間違いが起こるか分からない。
そうなると、他に預ける相手が現在の王都には居ないのだ。
「ならば好都合です。是非その人に」
「……良いのか? あれの修業は本当に厳しいぞ?」
「構いません」
迷いない少年の返事に宰相が迷う。
相手が居ないとは言え消去法で選んでしまった人物だ。その人物に本当に彼を預けて良いのか?
付き合いは長くその昔は冒険者をしていた陛下と組んで一緒に冒険もしていた仲だ。ただ武芸師範を外されてからは疎遠となっているが……元々はサッパリとした男でもある。
だが剣のこととなると厳しいを通り越して拷問に近い鍛練を課す。
目の前に居る王女だけでは無く自分の命を救ってくれた恩人である。王女が暴走しなければ陛下の許可を得て自分の騎士にしようと思っていたほどにだ。
そのような少年を預けても良いのか?
「良いかフロイ。今一度聞く」
「はい」
だからこそヘリオスは慎重を重ねた。
「お前に紹介する者は伝説の勇者クロイドを崇拝する男だ。彼が過去にした修行を模倣し自身の経験からそれを発展させたという……正直に言えば戦闘馬鹿である。そんな人物だと聞いたうえで判断して欲しい」
「確かに聞きました」
軽く頷きフロイは顔を上げた。
「重ねてお願いします。是非ともその人の元で教えを得られますよう手配していただければと思います」
「良いのだな?」
「是非に」
曲がらない様子にヘリオスが折れ、元武芸師範の元にフロイは預けられることとなった。
「では王女様。自分はこれで」
「……」
昨日騎士となった少年は、王城で一泊するという名誉を得て本日修行の為に元武芸師範の屋敷へ行くこととなった。
駆け足であるがそれを手配したヘリオスは、少しでも王女から彼を引き離す手伝いをしたに過ぎない。
止めさせたはずなのに王女の部屋の外の庭には、何故か大きな犬小屋が準備中だと聞いたからだ。
全力で阻止するしかない。何処の世に自分の騎士を窓の外の小屋で飼う主人が居る?
長旅の疲労も違った意味で吹き飛ばし、ヘリオスは相手の元武芸師範……男爵トルドと話を纏めた。
彼はヘリオスの申し出にただ1つだけ条件を付けた。それは『トルドが許すまで預かる者の修業を止めない』と言うものだった。
酷な申し出を聞いたヘリオスはフロイにそれを伝えたが、彼もそれを承諾する。
こうなれば何の障壁も無く翌日にはトルド男爵の元に向かうこととなった。
障壁は無かったが障害はあった。王女リアナだ。
パンパンに頬を膨らませて物凄く不満調な王女の様子に、何故か周りのメイドたちが『可愛らしい』とほっこりしている。
「王都には居ますので何かあればお呼びください」
今にも逃げ出しそうなフロイを王女は逃がさない。
ずいッと一歩足を踏み出し、キスでもしそうな勢いで彼に顔を寄せた。
「2日よ」
「……はい?」
「2日ごとにわたしの元に来なさい。良いわね」
「ですが修行もありますし」
「……なら3日よ。それ以上は譲れないわ」
「ですが」
それでも逃げ出そうとするフロイにリアナは最終通告を下す。
「ならここから通いなさい。出来ないというなら、わたしがそちらに引っ越し」
「5日に一度は必ず王女様の元に来ましょう」
「……1日よ? 朝から晩まで傍に居ること」
相手の我が儘に色々と思う所があるが、フロイはどうにか飲み込み我慢した。
「それで良ければ」
「ええ。頑張ってね」
スッと王女の顔が近づき頬に柔らかな感触を覚える。
慌てて身を引いたが……王女は薄く笑っていた。
「わたしから逃げられるなんて思わないことね」
魔王の顔をして彼女はそう告げた。
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