遭遇 ④
「自分ですか? 自分は……」
クラッと目の前に光が戻り、勇者は数度瞬きをした。
「フロイです」
「フロイと申すのか」
繰り返す宰相ヘリオスの様子に元勇者となったフロイは息を吐いた。
ギュッと王女が抱き寄せる力を強め二の腕に胸を押し付け気て来るが、どうもその成長が疑わしいほどにボリュームを感じない。
「してお前はどうしてあのような場所に?」
詳しく知りたい様子の宰相の追及が終わらない。たぶん王女の様子から自分のことを怪しんでいるのだろうと理解し、フロイは頭の中に色々と思考を巡らせた。
「何故答えない?」
再度の声は訝しむ様子が伺える。
気難しい表情を見せる宰相にフロイは努めて少年らしく答える。
「済みません。どうも記憶がだいぶ怪しくて」
「と、申すと?」
「はい。気づいたのは今朝方のことです。山中のちょっとした野原で自分は倒れていました。着ている服はボロボロで辺りには身分を示すような物が何もありません。ただ野外生活の経験はあるのか自然と落ちている物で槍を作れました」
スラスラと答える様子がとても少年らしく見えないが、ヘリオスは相手の目の動きなどから少年フロイが嘘をついていないことを理解した。つまり彼は真実を語っているのだ。
「それ以外に何か気づいたことは?」
「いいえ特には。とりあえず食べ物と飲み物を求め歩いていると剣戟が耳に届いたので急ぎ馳せ参じました」
「ふむ。何故故に我らの助太刀を?」
「はい。我が師……たぶん師なのでしょう。彼が自分に教えたことがあります」
「それは?」
「弱き者を救えと。女性……王女様の悲鳴らしき声が聞こえましたので」
「そうか」
苦笑するヘリオスは何処か恥ずかしそうにモジモジとする王女を見た。
運悪く襲撃で馬車が大きく揺れた時に天井から蜘蛛が落ちて来てそれが顔に乗っかり、慌てた王女が悲鳴を発したのだ。
「お主は今、師と申したな? その者のことは思い出せるか?」
「いいえ。顔や名前などは全く。ですが彼は自身を神官戦士と言っていました」
「それはまた」
驚きヘリオスは目を瞠った。
と同時に二の腕を抱く王女がギュッと抱きしめて来る。
どうやらその答えが間違いだったらしい。
「神官戦士など随分と前に無くなってしまった地位である」
「そうなのですか?」
「ああ。その昔……今から600年前ほどの文献にその名が残っているが、彼らは聖戦と称して大陸南部の国々に対して侵略行為を開始した。
結果として時の王たちは連合を組んでこれを迎え撃ち、遂には滅ぼしたとある」
「そうですか」
それは確かに色々と問題がある。
宰相ヘリオスの目が届かない角度でわき腹を突いて来る王女もウザいが。
「もしや我が師はその言葉の響きが気に入り自身をそう呼んでいたのかもしれませんね」
「まあなくは無いか」
思い当たり節でもあるのか、ヘリオスは顎を撫でて納得した。
「宰相様」
「何か?」
「神官戦士たちは何故に国の侵略などを?」
質問される前に質問をする。相手から情報を得るための行為であるが、二の腕に頬を擦り付けて来る王女の様子からどうやら正解らしい。
それよりも宰相の横に座るメイドの生温かな視線も気になる。
ここまで気配を消せるメイドも凄いが、その視線がどうも昔の供に似た物を感じ嫌な予感がする。
「諸説あるが、彼らは神の教えを強制的に広げようとしたらしい」
「教えをですか?」
「ああ」
軽く頷いて彼は掻い摘んだ説明をしてくれる。
曰く……1,000年前に勇者が魔王を退治したが、彼は魔王と共にその存在を消した。
しかし教会はその手柄をさも自分たちの物のように語り、民たちからの信用を失い続けた。
400年が過ぎ、信者の数が劇的に減る一方の教会は焦り行動に出た。
『魔王の悪しき呪いが人々を狂わせている』と。
一部教会の者たちはこの行為を非難したが、大多数の信者が指示に従い行動を起こした。
結果として人と人との殺し合いとなり……教会は総本部と大半の信者を失うこととなった。
一部非戦を唱えた信者たちは難を逃れるように、人が暮らす大陸の南と魔人たちが暮らす大陸の北との中間にある『混沌の地』へと流れて行った。
「教会は今も存在しているが、そこに神は無く人々は自分が思い浮かべる神に対し祈りを捧げているのだよ」
「貴重なお話をありがとうございます。聞きやすい話で分かりやすかったです」
本当に分かりやすい話だったのでフロイは素直にヘリオスを褒める。
褒められた宰相は少し気分を良くしたのか、その表情を僅かに崩した。
「これでも昔は陛下の勉強を見ていてな……あれとは同級生だったのだよ。お蔭で今はこの様だが」
「それは。大変な知恵者なのですね」
「あはは。ただ本が好きだった無害な貴族よ」
緊張が解けたとは言い難いが、それでも場の空気が和むのは嬉しい。
フロイは重ねて言葉を続けようとしたが、王女がギュッと二の腕を抱きしめた。
「ヘリオスの話は難しくて好きにはなれません」
「王女様は飽きるのが早いのです。もう少しじっくりとお話を聞いてくれれば私としても」
「飽きるも何も私はまだ11です。本来ならば来年より王都の学院に通い学ぶべき齢です」
「ですが王女たる者、早いうちから学びませんと」
「ああ。煩い」
嫌だ嫌だと言いたげに、王女はフロイの二の腕に自身の額を押し付ける。
グリグリと押し付けられる様子をチラリと見ると、王女は小さく舌を出していた。
その意図を考え彼は察した。
後に問われた年齢は、王女と同じ11とし……何となく嫌な予感を彼は覚えた。
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