1 ドイシ軍の階級・兵力
ドイシ軍の名も無き兵士たちに捧ぐ
まず、ドイシ軍の基本組織について説明する。すでに、ドイシ軍について詳しい方は、読み飛ばしてもらって構わない。
ドイシ国防軍は、陸軍、海軍、空軍、防空軍、国民義勇軍の5軍で構成される。
5軍は、大統領を最高司令官とし、国防軍最高司令部の命令のもと、行動した。
軍人は、5軍のそれぞれに属する者と、国防軍最高司令部に直接所属する国防士官(少佐以上に限定される)に分かれる。前者は陸軍少尉・海軍少尉・空軍少尉・防空軍少尉・国民義勇少佐(義勇少佐)のように、軍の名前が階級の中に含まれているが、後者は国防少佐のように国防○○と呼ばれる。
また、5軍の士官は、陸軍士官学校のような士官養成機関を卒業することによって任官となるが、国防士官は5軍の少佐以上の軍人が国防大学校を卒業することにより任官することができる。
国防士官は陸海空防の士官より一段上に置かれており、実質的には国防少佐は陸海空防(主4軍と呼ばれる)の中佐に相当した。また、義勇軍の士官は大部分が陸軍からの出向で、陸軍曹長が義勇軍へ移動した場合、義勇少尉に任じられた。そのため、国民義勇軍の最高位である義勇軍上級大将は国防大佐に等しく扱われた。
○ドイシ軍命令系統
国防軍最高司令官=大統領(のちに総統)
↓
国防軍最高司令部
↓
5軍参謀本部(各軍合同作戦の場合は作戦司令部)
↓
各部隊
○ドイシ国防軍階級
国防 主4軍 義勇軍
国 家 元 帥
元帥
上級大将 元帥
大将 上級大将
中将 大将
少将 中将
大佐 少将 上級大将
中佐 大佐 大将
少佐 中佐 中将
少佐 少将
大尉 大佐
少尉 中佐
少佐
准尉 大尉
中尉
曹長 少尉
軍曹 准尉
伍長 曹長
軍曹
上等兵 伍長
一等兵 上等兵
二等兵 一等兵
国民兵
※すべての階級の上に、国家元帥が置かれた。
※LLの階級も主4軍に準ずるが、国防軍ではないため、ここには記載しない。
ドイシ国防軍全体の兵員数は最大で1100万人に達した。
以下に、各軍の最大時の兵力を示す。
陸軍 312万名(1939年)
海軍 81万名(1943年)
空軍 51万名(1942年)
防空軍 148万名(1944年)
国民義勇軍 673万名(1945年)
また、国防軍ではないものの、ナチヌ直属の親衛隊LLが存在し、武装LLは最大時(1943年)で43万名の兵力を誇った。
陸軍は、徴兵後に厳しい訓練をほどこし、全歩兵を精鋭化し、歩兵師団をすべて機械化歩兵師団とすることを夢見た。そのため、大規模な徴兵を行わず、予備役招集が行われた開戦時の312万名をピークとして、兵員数は減少していった。
徴兵された新兵のほとんどが、国民義勇軍に配属された。国民義勇軍で運よく生き残り、鍛えられた兵士の一部は、陸軍に配属された。これは、損耗した陸軍兵力を、質の低下を招かずに補充する事が出来た一方、国民義勇軍の下士官となるべき者を減らし、国民義勇軍を大幅に弱体化させることにつながった。
海軍は、基本的には兵員が減少するときは兵器もやられているため、兵員を大規模に補充する必要は薄かった。そのため、予備役を招集し、訓練する新兵の数を少し増やせばよかった。
だが、1941年に港湾等の防衛を主任務とする海軍歩兵師団2個が創設され、3万2千もの兵員が配置された。海軍歩兵師団は恒久的な陸線部隊であり、臨時に軍艦の乗組員によって編成される陸戦隊とは全く異なっていた。
海軍歩兵師団は、徴兵によって、1943年には7個師団9万6千名にまで拡充された。この後、海軍歩兵師団は消極的な港湾防衛から、積極的な攻撃作戦に動員され、一気にその兵力を減らし、海軍港湾防備隊に改組された。
空軍の兵士が死ぬときは、飛行機が落ちたときだったが、飛行機が落ちたときが兵士の死ぬときとは限らなかった。そのため、稼働機体数に対してパイロットが余ることモあったという。
だが、パイロットの死亡率が高いことには変わりなく、パイロットの養成は時間がかかる。この問題を、航空相ヘノレマン・ゲーソソグ国家元帥は一発で解決した。全国に、グライダー学校やグライダークラブを作り、グライダーの操縦を通じてパイロットとしての技術を身につけさせ、空軍に志願させた。
このように、主に志願兵で区制されていた空軍だが、へノレマンの対抗意識による空軍防備師団の大幅拡充が行われて以降は、徴兵が行われるようになった。
もともと、防備師団は、空軍の空港警備を行う部隊で、高射砲多数と少数の警備歩兵からなっていた。しかし、1937年の防空軍創設によって高射砲部隊の大部分を防空軍に引き抜かれた後は、警備歩兵を主とした部隊になっていた。ヘノレマンは1938年に防備師団を3個増強し、その後も拡充を続け、1942年には22個師団31万名の大兵力を誇った。だが、空軍防備師団はソルマンディ上陸後の連合軍侵攻で攻撃される飛行場を守り、壊滅した。
1937年に新設された防空軍は、空軍防備師団の高射砲部隊を中心とした部隊だった。防空軍は高射砲を大量発注し、大規模な徴兵と訓練を行った。
これにより、創設時に1万4千名だった防空軍は、最も熾烈な対空戦闘を行った1944年には、148万名もの兵員と、1万門もの高射砲、1万5千を超す高射機関砲を保有した。
また、88mm高射砲が対戦車砲としても優秀だったことから、東部戦線の独ソ戦に防空軍から多数の部隊が参加している。このときの、高射砲部隊の護衛のために防空軍歩兵師団がつくられた。普段の防空軍歩兵師団は高射陣地周辺を強固に防御しており、敵地上軍に包囲された状況でも、高射砲は敵機を撃墜する事に成功している。防空軍歩兵師団は、海軍や空軍が保有した歩兵部隊より遥かに強力で、東部戦線で包囲された陸軍歩兵部隊を救出し、精鋭揃いの陸軍よりも強いと言われた。
国民義勇軍は、国民皆兵の思想のもとつくられた軍で、兵士は5軍中最弱だった。陸軍に志願して落とされた落第者か、兵役を希望しなかった者が兵士のほとんどで、士気も低く、兵士の体も貧弱だった。古参兵や下士官たちは陸軍へと引き抜かれていくため、常に新兵と経験不足の士官の部隊となった。
士官も、尉官は陸軍の下士官が派遣されたか、予備士官学校出身の新米士官だった。佐官になると、経験を積むために派遣された陸軍の新米少尉や中尉であり、多少はマシだったが、結局は新米たちだった。
士気も低く、指揮も悪い。武器も貧弱、補給もLLや陸軍優先でロクに受けられない。国民義勇軍は最も不運な軍隊であった。
このような各軍の事情により、最盛期のドイシ軍は、1100万もの莫大な兵力を有した。2章以降の各章では、その1100万の兵力を誇る国防軍各軍の組織、兵器、歴史などを研究していく。
時間がある時、気が向いたときに”研究”いたします。
ご意見、誤字報告などお気軽にどうぞ。