維月の去就
海城建設とアーシェラの裏取引。このニュースは社会に大きな衝撃を与えた。
翌日の新聞の一面はどこもこのニュースであり、朝のニュースでも、どの局も一番に報道した。国内最大クラスの大企業が非合法組織とやり取りしたのだから、その影響は推して知るべしだろう。
しかし、それ以上に魔導協会にとっても、この一件は大問題だった。
まず第一に、もしあの時点で撃退出来ていなければ、日本国内にアーシェラの拠点が出来ていたという事実。ビルはまだ明らかに改修されていなかったが、後々整備されれば、魔導協会にほど近い場所にアーシェラの魔術師が何人も陣取る事になっていただろう。
何より問題なのは、アーシェラが海城建設クラスの大企業と取引が出来る、という点だ。金を積まれたか弱みを握られたか。理由はどうあれ、アーシェラは海城建設を相手に出来るものを持ち合わせている。
つまり、『ビジネスの世界にアーシェラの手が入っている』という可能性が浮上したのだ。
となれば、日本の大半の企業が、状況次第でアーシェラに利する行動を取りかねない。今はしていなくても、将来的により巨大な海外企業に対して働きかける恐れも出た。だからと言って国内の企業を一斉捜査する権限もリソースも協会には無い。国内にアーシェラの手がどれだけ伸びているのか。その不安をこの先、否が応でも警戒せざるを得なくなったのだ。
「凄いニュースになってる……」
維月が本社に戻ってから一日経っても、彼女は戻らない。夕方のニュース番組を見ながら、愛花は眉尻を下げた。
現在、魔導協会は上層部が事実確認や対策会議に大忙しで、純を始めとした魔術師たちは、オペレーターと協力して独自に警戒態勢を敷いていた。今のような指揮系統が乱れる時こそ、襲撃を受ければひとたまりもないからだ。それに今は、東京支部最大戦力の白峰悠が療養中だ。廃棄区画で遭遇したような戦力が来れば、全滅の危険もある。一応、支部長が『本部直属の特務部隊』を寄越すよう申請したようだが、それらしい人員は影も形もない。
「会社の存続はともかく、役員は総入れ替え確実だろうな」
現在テレビには、維月の父――海城建設のCEOが会見を開いていた。そこでは真剣な面持ちで『全て自分の独断で行った事であり、それ以外の社員には何一つ関係の無い話です』と語る彼の姿があった。それが真実なのか、責任を自分一人に集めようとしているのか。それは今後の調査で分かる事だ。
それより純たちの心配は――
「維月さん、大丈夫かな……」
やはり、維月の事を置いて他になかった。CEOの娘である維月もまた、この騒動とは無関係でいられない。会社にいられない可能性も大いにある。賠償が発生するかに因るが、海城家の資産なら食うに困る事はないかもしれないが、維月が働かずに財産を食い潰すだけの生活を良しとする人間とも思えない。彼女がこの先どう生きるべきか、誰にも言えない。
彼女からすれば、この年まで決まっていた将来の道が突然閉ざされたのだ。その道が彼女にとって良いか悪いかではなく、当然のようにあった道が急に断たれるというのは、少なからず精神の負担になる。
愛花としても維月の強さを信じたいところではあったが、これ程の大事件は彼女にとっても間違いなく想定外。連絡も何もない今の状態は、心配せずにいられない。
しかし、愛花たちの心配は、意外にもすぐに晴れる事となる。
ニュースが流れた翌日に、維月は帰ってきたからだ。大雨のなか、維月は純と愛花の元へ戻ってきた。
*
「……少し話がある。ここで構わない」
「い、いやいや! 風邪引きますって! と、とりあえずシャワーぐらい浴びてから――」
「その必要はない。用だけ伝えたらすぐ消える」
維月はビジネススーツを身に着けたまま、目の下に隈を作っていた。艶やかな黒髪は見るからに輝きを失っている。外の雨は相当激しかったようで、肩や足は大きく濡れていた。愛花は見るからにやつれた維月をまず休ませようとしたが、彼女は話だけしてすぐに立ち去ると聞かなかった。
「……仕方ないなぁ。純! お願い!」
「失礼します、維月さん」
「なっ!? こら、離せ!!」
純に捕まえられ、風呂場まで連行された維月。最初こそ抵抗したが、純のパワーの前に為す術無く風呂場まで連れられた事で、観念したか大人しくシャワーを浴びる事にした。
濡れた衣服は室内で干すとして、問題なのは衣服だった。愛花の服ではサイズが全く合わないので、多少大きい事を無視しても純のものを着て貰う――となったが、純自身が『色々とまずい』と渋った。最終的に、買ったきり袋さえ開けていないシャツとズボンが見つかったため、それを着せる事となった。下着は下半身についてはどうにかなったが、上ばかりはどうしようもないので、愛花は頭を下げながら絆創膏を渡した。
「すまない、服まで貸して貰って。後ほど洗って返そう」
「いえ、持ち帰って部屋着にでもしてください」
「私も同意です」
「そうか……」
ひとまず落ち着いた維月は、伏し目がちに口を開いた。
「……二人も聞いていると思うが、海城建設の事件についてだ。これから話す事はまだ公にはされていない事も含むから、誰にも話す事の無いように、気をつけて欲しい。まずは、父が現職を退く事になった。そして同時に、私も退職する」
純と愛花は、維月の言葉に黙って頷いた。二人とも、これらの事態は予想していたからだ。問題なのは、維月のその後だ。
「私がどうなるのか……父様とも話した。そうしたらあの人は何て言ったと思う? 『お前が飯を食えるだけの金は維持でも残してやる。だからその金で、お前だけの生き方をしろ』……だと」
ここだけを聞けば、娘想いの良き父親だと思うだろう。しかし、維月の父がそうでない事は、三人全員が知っていた。
知っていた――はずだった。
維月は何かを堪えるように歯を食い縛り、父との会話を回想した。
*
『長光が失踪した時の事は覚えているな?』
『兄様が……なんだと言うのですか?』
二人だけになった広い屋敷の書斎で、維月と父は向かい合っていた。父は以前より白髪が増え、皺が深くなったように見えた。彼は感情の見えない複雑な顔で、語りかけるように言う。
『私が一代でこの海城建設を築き上げられたのは……私の手腕あってのものだ』
『相変わらずの傲慢さで何よりですよ』
『私が用意した海城建設という舞台をより大きく広げ、より世界に通じる力を手にする。そうなれば、長光もお前も、不自由する事はない。そう思って長光には、海城建設を継ぐに足る者になるべく教育したが……奴は去った。奴にとって、会社を継いでも望む自由は手に入らなかったのだろうな。奴は動物が好きだった。馬主でも始めさせれば良かったのだろうか』
『問題はそこじゃないでしょう』
維月は冷たく言った。しかし、内心では多少なりと驚きがあった。なまじ個人としてのスキルが突出しているだけに、反省という概念がある事を、生まれて二十六年経った今ようやく知ったからだ。
『金で解決出来ない事の方が圧倒的に多い世界だ。だから金で解決出来る事は、そうするのが一番早い』
『だから貴方は金を稼いだ。それは知ってますが……それももう終わりでしょう? 会社そのものが無くなるかは分かりませんが……貴方個人には相当な賠償責任が起こるかもしれない』
『そうだな。だが親として……お前が飯を食えるだけの金は残してやる。お前はその金で……好きに生きろ』
『……は?』
*
「信じられるか? 今まで私に会社を継がせる事しか考えていなかったのに……今更になって父親らしく振る舞ったんだぞ? 私とて完全に納得した訳では無かったし、君たちと引き離された事も許していない。それでも私なりに意義を見いだしてやって行こうと……そう思ったのに……」
維月は崩れ落ちるように、床に両手をついた。
「ふざけるなと思ったよ。取り返しの付かない事態を起こしてから思いやりを口にされても遅いだろう……! それをもっと早くに言っていれば、兄様がいなくなる事も無かった筈だ……! ここまで縛り付けて今更どうしろと言うんだ……!」
維月はそれまで溜まっていた感情を吐き出すように、呻くように言った。これ程弱った維月を見たのは、純も愛花も初めての事だった。
純は何処か他人事じゃないような気がしていた。




