最良の日にはしない
これまでも、アキラが維月と出掛けた事は当然あった。しかし、一回り以上歳の離れた彼らでは、維月の立ち位置は常に保護者。それも二人ではなく、純や愛花も一緒だった。故に、幼馴染たち抜きに外出するなど、初の事態だった。そして何より、今はアキラも維月も、社会人である。維月の真意はともかく、少なくともアキラは明確に『デート』だと認識していた。
朝十時、駅前集合。通常、彼が休日起きる時間より早い時間だ。間に合わせるには、どれだけ遅くても八時半には起きる必要がある。駅との距離ではなく、髪のセットに時間が掛かるのだ。距離については何の問題もない。何しろ駅から徒歩五分という好立地なのだ。
さて、修学旅行など比較にならない程に緊張とワクワクを抱える前夜ーーアキラは、十一時過ぎには眠りについていた。結果、八時にはスッキリと目を覚ました彼の姿があった。
結果、不測の事態を危惧した純からのモーニングコールに、アキラはノータイムで応答していた。
「おはよう親友。今日はいい朝だぜ」
『徹夜したとかじゃないよな』
「そんな小学生じゃねぇんだから、ワクワクして眠れないとか無いっての」
元々アキラは、不眠とは縁のない性質だった。小学生時分から、不安や緊張で眠れなかった事は無く、生来の寝つきの良さは、精神状態に関係なく発揮された。
ただ、今回は他ならぬ維月が関わっている。再会しただけで立ったまま気絶する以上、何が起こっても不思議ではない。この純の心配は最もであり、見た目の割に慎重な彼らしい行動である。だがアキラは今日を勝負の日とは認識していても、今日に掛ける決意には、純の想定とは別のものがあった。
「純。俺は今日を……人生最良の日には『しない』」
決意を宿した声で、アキラは純に言った。
維月とのデート、上手くやれば今日こそ彼の人生、最高の日になるだろう。だが、今日が最高になるということは、維月とはそれ以上にはならないという意味でもある。アキラは、愛花の強かさと志の高さを思い出していた。『今そばにいる』だけで満足せず、共に歩くという未来――自分にとって『最良』の未来を手にする為、手段を選ばない。ましてアキラは、彼女より遙かにチャンスが少ない。小さいチャンスを見逃さずに仕掛けるのが、非常に重要になる。となれば、失敗する要素は極限まで消さなければならない。維月なら余程の事じゃない限り、怒ったり途中で帰ったりはしないだろうが、優しさに甘えてはならないのだ。
そして彼は、平日なら抜かす事もある朝食を、しっかりと頂いた。トースト二枚を丸々使ったハムサンドに、レトルトのコーンスープ。デザート代わりのヨーグルトも添えた、少し豪華な朝食だ。難しい調理はしていないが、彼自身で用意したものだ。
「ご機嫌な朝食だ……」
彼は洋風な朝食を自ら用意する事で、『維月とオペラを観に行く』という素晴らしい休日の気分を高めていた。霧嶋家の朝食はパンが基本なので、材料も冷蔵庫を覗けば確保出来た。
朝食を食べ終わり、アキラは時計を見た。遅くも早くもない、丁度いい時間だ。アキラは時間通りではなく、十分程早く着く事で、維月に対して余裕を見せる腹づもりだった。
アキラは朝食を片付けた後、髪を整える。髪質の硬い彼は、時間を掛けてゆっくりと髪型をセットする必要があった。
「……いや、違うな。むしろこっちの方が――」
いつも通りの髪型にする筈が、どうも自分で納得出来なくなっていく。徐々に広がっていく違和感に対し、アキラは――。
「……頼む、昨日のオレ! ……大丈夫だ! キッチリ決まってる!」
アキラはスマホで撮影していた、昨日セットした髪型を確認した。その姿が鏡に映る自分と同一である事を確かめて、違和感を吹き飛ばす事に成功した。自分の性格を理解して、事前にメタを張っていたのだ。
今日に掛けるアキラの執念は、並大抵ではない。初見プレイの高難易度ゲームに挑む前のように、出来る準備を思いつく限り行い、失敗の可能性を徹底して排除している。
そうしてアキラは、万全の準備と荷物を整え、意気揚々と家を出た。
彼のスマホには、二人の幼馴染みからの暖かなメッセージが届いていた。
『背伸びはし過ぎるなよ』
『頑張れ~~!!』
彼らが用意してくれた機会を、決して無駄にはしない。
そして、霧島アキラの運命を変える『最初』の一日が幕を開けた。
*
「おはよう、アキラ。待たせたか?」
「いえいえ、オレも今来たとこッス」
五分前丁度に来た維月と、あまりにもテンプレートな会話を交わした。
一見すると余裕に見えるアキラだが、その内心では様々な熱を持った感情が暴れ狂っていた。
(ハァァァァァァ!?!? いや維月姉、美人過ぎじゃね!?!? いや元々ドチャクソ美人だけども、こうしてよそ行きの格好すると一層とんでもねぇぞオイ!! いや待て、という事は維月姉もオレと劇観に行くのを『デート』って認識してるって事だよな!? ウォォォォヤベェヤベェ、こりゃあマジで維月姉と釣り合うように気ィ張るしかねぇじゃねぇか!!)
アキラの前に現れた維月はーー美貌と品格において他の追随を許さない姿をしていた。
そもそもからして、維月という『素材』そのものが超一級品。アキラと殆ど変わらない背丈にも関わらず、出る所がハッキリと出ていて、しかしそうでなければ完成でないと感じさせられる、無二のバランスで構成された身体。半端な着飾りではむしろ逆効果となる、ある意味で扱いの難しい容姿。
だが維月は見事、自身の魅力を更に引き立てる衣服と装飾品を身につけていた。アキラの語彙と知識ではまるで知らないブランドで構成された彼女は、総じて東京都心から外れたこの駅には、眩し過ぎた。
必然、注目を浴びる。周囲の目が集まっている事に気付いたアキラは、一層緊張感を覚えた。結果、どうにか維持していた平静が崩れる。
「い、維月姉! とりあえず電車乗ろう!」
「あっ……」
完全に無意識だった。無意識だったからこそ出来た。
アキラは、維月の手を取って歩いていた。突然の事に、維月も思わず声を上げていた。人目を避けるように駅に入り、改札の前まで来て、ようやくアキラは我に返った。
自分の行動を理解した彼は、大声と共に顔から火を噴いた。
「ウワァァァ、すんません!! 何かもう色々やらかしましたぁ!」
「ハハッ、気にするな。手をつないだ事ぐらい、昔もあっただろ? それに見ろ、次の電車がすぐに来る。まだ時間には少し早いが……折角だし、早目に行くか?」
何も気にした素振りも無く、維月は優しく笑っていた。対しアキラは、心臓がゲームセンターの太鼓のように激しく鳴っていた。
顔色一つ変えない維月を見て、アキラは徐々に熱が引いていった。夢を見ていたのが、現実に引き戻されたようだった。
デートだなんだと浮かれていたのは自分だけで、彼女からすればアキラは、まだ『あの』アキラなのだ、と。
そう思った矢先、維月が先程繋がれていた左手を挙げて、揶揄うように笑った。
「アキラの手、気付かないうちに随分大きくなったな」
アキラは、彼女の言葉で再び沸騰した。その顔を見られないように、アキラは急いで自動改札に向かった。
「よっしゃじゃあ行きましょうかぁ! ちょっと早めに昼飯も取りますかねぇ!?」
無理のある誤魔化しだ、と自分でも思った。だが無理矢理にでも、今日は維月に、『今の』アキラを見て貰う必要がある。
そうして踏み出した彼は、ポケットから交通ICカードを取り出――せなかった。
「……アキラ? どうかしたか?」
突如として固まった彼の背中を、維月が心配そうに見つめる。
アキラはゆっくり振り返ると、失態を咎められた幼子のように、小さく言った。
「……Su○ca忘れました……」
初っ端から二度もやらかした。
朝の決意が揺らぐ程の絶望を覚えるアキラに対し――維月は噴き出して大笑いした。




