恋する乙女と完全美女
翌日、純は朝五時に目を覚ました。いつも通りの起床時間なのだが、今は日課のトレーニングさえ出来ないため、このままでもひたすらに暇である。仕方ないので二度寝しようかと思い目を閉じるも、朝に強い体質故か、完全に目が覚めてしまっていた。やることもなくただぼんやりしていると、昨日の宮村とのやり取りを思い出す。
*
「え!? はぁ!? ど、同居って、それ本気で言ってます!?」
誰の目で見ても明らかなほど強烈に動揺する純に、宮村は半笑いで説明を続ける。もしかしてこの人は俺の状況を楽しんでいるのではないか、という疑念が純の中に生まれるほど、今の宮村は愉快そうだ。
「本気だ。さっき言った条件をクリアしてる奴で、現状動けるのはお前しかいねえのよ。それからもう一つ。この任務にお前を推薦したのはな、魔導協会ニューヨーク本部技術局、そこの副主任『山崎玲一博士』だぜ」
「山崎……玲一?」
「おうよ、山崎愛花の親父さんだ。て、知ってるか」
玲一さんの推薦。確かに彼の立場からならば、客観性はともかくその推薦には強力な権限と説得力がある。父親としても、娘を自分のあずかり知らぬ者と共同生活させるより、男とはいえ信頼している純に預けた方が安心するだろう。彼の立場を考えれば極めて妥当な判断ではあったが、それでも純自身の困惑は抑えられるものではなかった。
*
あの後宮村の「それともお前は山崎愛花が嫌いか」という言葉に「それだけはありません」と強く反論してしまったこともあり、任務を受けざるを得なくなったーー元々玲一の推薦である以上、断ろうにも断れなかったがーー。
しかし、そんなことがあったにも関わらず純はいつもと変わらぬ寝つきで眠りにつけた。純自身はあまり意識していなかったが、疲れは確実に溜まっていたのだろう。
宮村曰く、諸々の手続きには丁度三日かかるという。その間愛花は特別に東京支部で保護されるらしい。
愛花は、いつお見舞いに来てくれるだろうか。
そんなことを考えながら、純はただ暇を持て余し続けた。
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愛花が来たのは午前十時を過ぎた頃だった。息を切らしながら荒々しく扉とカーテンを開けた彼女は、目の下に隈があり、美しい翠色の瞳からは少し光が失われていた。
純の姿を見た瞬間、愛花は体を震わせ瞳に涙を浮かべた。そしてフラフラした足取りで純に近づき、シーツをギュッと掴みながら震えた声で呟くように言う。
「やっぱり……嘘じゃないんだ……」
愛花はシーツに顔を押し当て、肩を震わせていた。魔導協会の者から何か話されたようだが、その内容がわからない純は、ただ愛花の頭をそっと撫でることしか出来なかった。
しばらくすると、愛花は涙で濡れた顔を上げ、しかし俯きながら聞かされたこと、そして思ったことを話し始めた。
「昨日、突然お父さんが帰って来て……。それで全部聞いたよ。魔導協会のこと、アーシェラって人たちのこと、そして……私のことも。正直、信じられなかった。お父さん、嘘ついてるんじゃないかって。でも、話してる時のお父さん、すっごく真面目な顔してて。それに今、こんな酷い怪我してる純を見たら……」
彼女の顔に二筋の光の線が走る。ただでさえ現実離れしたことを聞かされ混乱しているところに、親しい者の痛ましい姿が目の前にあれば、無理もないだろう。愛花の弱った姿を前に、純は愛花の元に来たのが玲一だったことに驚くことさえ出来なかった。
「私……これからどうなっちゃうんだろう」
「そこはまだ聞いてないのか?」
「それを聞くために魔導協会に来たの。話の前に『純はどこにいるんですか』って聞いたら医務室だって……」
純は宮村から告げられた衝撃の事実を思い出し、愛花の顔から視線を逸らした。どうせ後で聞くことになるが、今純の口から言う訳にもいかなかった。そもそも『愛花はこれから俺と暮らすんだよ』などと何故言えるだろう。これでは只のプロポーズだ。
故に、今彼がやるべきことは気休めでも愛花を励まし、慰めることだった。そのために今、純は対愛花用の伝家の宝刀を抜く。
包帯がぐるぐるに巻かれた右手で愛花の涙を拭うと、すぐに彼女の頭をこちらに引き寄せ、そのままシーツ越しに身体に押し付ける。
「どうにかなるさ。今までだって、そうだったんだ」
「でも、純がーー」
「俺はどこにもいかない」
愛花の言おうとしていることを先読みし、毅然として断言した。半ば抱きしめるような形になっているが、本来は普通に抱きしめているので、これは簡易版と言うべき状態。昔から、こうすると愛花は確実に落ち着いた。
「……それでも不安か?」
「……ううん、でも……もうちょっと、このまま……」
それはまだ不安だからか、それとも単にくっついていたいからか。純には、どちらかの判別はつかなかった。
*
それから愛花は宮村の元へ行き、これからのことを聞いた。当然、純との生活のことも。それを聞いた愛花の反応は純と同じく絶叫、からの大慌て。そのせいで本来の倍の時間話に時間が掛かってしまった。
話が終わり支部長室から出た後も、愛花の心臓はフルスロットルのままだった。
純と同居。それは彼女にとって非常に心踊るものであることは違いなかった。しかし、悪人からの保護、という名目である以上素直にそれを言うことは許されない。
また、ここまで胸を高鳴らせているのも私だけだ、と愛花は思っていた。純も動揺こそすれど今の愛花の様な気持ちにはならないだろう、と。
とはいえ、彼女もうら若き乙女。恋慕する殿方との共同生活への夢想は、抑えようとして抑えられるものではなかった。
純と一緒にご飯を食べ、純と一緒にテレビを見る。夜は純と一緒に寝てーー。
「って、何ナチュラルに一緒に寝ようとしてるの私!?」
正気に戻った愛花は顔から業火を燃え盛らせながら頭を抱える。よく考えたらそれ以外は純が泊まりの時もやっていることだが、そんなことでも『同棲』という魔法の言葉のせいで、とても恥ずかしくなってしまう。
「ダメダメ! 純はお仕事なんだから、至って真面目なんだから! 私だけこんなイケナイ事考えてちゃーー」
「あのー、大丈夫ですか?」
後ろから突然声を掛けられ、愛花は「はひぃ」と珍妙な声で返してしまった。グルリと高速で後ろに向き直ると、そこにいた女性の姿に、愛花は思わずたじろいだ。
そこにいたのはスーツを身に纏った、眩いほどの輝きを放つ女性。
人形と見紛うほどの端正な顔立ち、百七十cm近くと推定される、女性にしては高い背丈。金色のサラサラのロングヘアーは、ダメージとは無縁そうだ。
その上、スーツ越しでも明らかな、爆発的存在感を誇る胸の双丘。それは友人一同から『でかい』と評される愛花の果実が未熟に見える程だった。
「山崎愛花さん、ですよね? 何かお困りですか?」
「い、いえいえ! 特にそういう訳じゃないんですけど……」
好きな人との同棲生活を夢想してました、など口が裂けても言えるわけがなかったので、しどろもどろになりながら誤魔化した。それを見て美しく微笑んだ女性は、胸ポケットから名刺を取り出し、差し出しながら自己紹介をする。
「私、魔導協会東京支部で戦術オペレーターを務めております、柏木瀬良と申します。何かあったら、いつでも私に相談して下さいまし」
聖母のような笑顔に気圧されながらも、差し出された名刺を受け取る。
「あの、折角だから一ついいですか?」
「ええ、何でもどうぞ」
どうせ今からやることもない。親切にしてくれるなら、この人から色々な話を聞いてみたい。そう思い、瀬良に他愛ない頼みをした。
「私とお話しませんか?」
瀬良は拍子抜けしたのか、一瞬キョトンとしたが、すぐにまた微笑み、二つ返事で承諾した。
*
「そうしたらその人、なんて仰ったと思います?」
「な、何て言ったんですか?」
「『こ、これは俺のおやつだ!』」
「あはははは!! 何それおっかし〜〜〜!!」
愛花と瀬良はすっかり打ち解けていた。ほんの十分ほどのつもりだった雑談をもう一時間半以上も続けている。瀬良の笑い話に抱腹絶倒する愛花は、頭の中で用意していた質問リストのことをすっかり忘れていた。
「あ〜〜笑った笑った。って瀬良さん、今何時ですか?」
「今は……あら、もう十二時を過ぎてますわ」
愛花達が話していたのは、魔導協会の職員用食堂だった。雑談に夢中で気がつかなかったが、周囲には食事を摂る人々の姿が幾つも見え、すぐ横を通り過ぎた男性が運んできたカレーライスの香りに反応し、愛花の腹の虫が鳴き声を上げた。
「あっ……ご、ごめんなさい」
「うふふ、お気になさらず。私たちもお昼にしましょうか」
「えっ、私もいいんですか? ここ、職員用じゃ……」
「あら、貴方は魔導協会が認可した客人ではありませんか。食堂を使うことが何故いけないのでしょうか」
瀬良が立ち上がる。その瞬間、彼女の髪から嗅いだことのない、アロマを練り込んでいるとさえ思える芳香が漂ってきた。
ここだけでなく、随所で思い知らされる女性としての差をひしひしと感じながら愛花も席を立った。
二人は食品サンプルが並べられたショーケースとその横のメニュー一覧に目をやる。
きつねうどんやオムライスなどの一般的なメニューがほとんどを占めていたが、愛花の目に止まったのはショーケース内で一際存在感を発揮している『カツカレー牛丼』だった。『男性人気No.1』の名札を誇らしく携えたそれは、普通の女性なら半分さえ食べられるかどうかという巨体。しかし、愛花はそれをじーっと見つめて『純もこれを食べているのかな』などと言ったことを考えていた。無論、自分が『食べ切れるか』といったことも。
「あら、それが気になりますか?」
「はい。その、美味しそうだな、とか……」
「ですがカロリー、質量共にかなりのものですよ? 実働部隊の男性なら完食出来るでしょうけど、私たちではーー」
「いえ、頑張ります」
愛花の眼は、すっかり『カツカレー牛丼』に狙いをつけていた。純と同じものを食べてみたい、という好奇心。それが彼女が元来持つ食欲に火をつけた。もはや彼女の中にカツカレー牛丼以外の選択肢は消えていた。
「でしたら、シェアしませんか? どちらかと言えば少食ですが、少しはお手伝い出来ると思いますが」
愛花を心配したのか、瀬良がシェアを持ち掛けてくる。友人とパフェをシェアしたことは何度もあったが、ご飯をシェアするのは初めてだった。が、既に瀬良に心を開いていた愛花は嫌な顔一つせず快諾する。
*
二人で半分ずつお金を払って手に入れた食券を渡し、愛花の手元にカツカレー牛丼が手渡されると、その量に愛花は少し驚いた。明らかに、サンプルより大きい。眼前に広がる具現化したカロリーを前に、愛花は最近お腹に肉が付いてきたことを思い出す。しかし、最早退くことは出来ない。
テーブルにカツカレー牛丼を置き、席に座る。愛花と瀬良は同時に手を合わせ「いただきます」をすると、それぞれ反対側から一口目を口に運んだ。
「……美味しい!」
一口目を飲み込んでから、愛花は眩しく笑った。
その暴君を思わせる外見とは裏腹に、その味からは調理師の丁寧な仕事ぶりを感じることが出来る。
程良くスパイシーなカレーは野菜の甘みが存分に活かされている。具の牛肉も柔らかく、そこから感じる牛の旨味も下手なチェーン店の牛丼のそれを上回りかねないものだった。玉ねぎも苦味や辛味は一切なく、そこには玉ねぎ本来の良さだけが克明に現れている。良質なものを使っている証拠だ。
二口目に、ルーのかかったトンカツに手をつける。サクッという心地よい音と食感が響き渡ると、次の瞬間にはジューシーな豚肉の味わいが口内を飛び回り、彼女の脳内は幸福感に支配された。
「うふふ」
瀬良が愛花を見つめて笑っていた。それを見ると少し恥ずかしくなって、愛花は頬を染めながら少し俯く。
「な、何ですか?」
「いえ、とても幸せそうに食べていたのが可愛らしくて」
「かわいいなんてそんな……だって、本当に美味しいんですから」
「ここの食堂はちゃんとした資格を持った調理師が腕によりをかけていますから。宮村支部長の意向によるもので、世界の支部を見ても他に例のないことのようですが」
瀬良の言葉を聞き、『道理で』と愛花は頷いた。これほどの味は普通の人間には出せない。
が、愛花は同時に一抹の不安も覚えた。これほどまで美味しいものを日常的に食べていては純の舌が肥えてしまって、自分のハンバーグをあまり美味しく感じなくならないか、と。が、その不安は直ぐに打ち払った。もしそうなったら、もっと純好みのハンバーグを焼いて対応しようと決めたから。
そうして再び彼女はカツカレー牛丼に手を掛ける。スプーンは次々と口の中にご飯を運んでくる。聳え立っていた山は段々その標高を減らし、瀬良がギブアップしたいたことにさえ気付かず夢中で食べ進めていた。
最終的に、何の問題もなく彼女は完食した。
「ごちそうさまでした! はあ〜〜美味しかったぁ」
大満足で食事を終えた愛花。その横で瀬良が目を見開いて驚いている。
「私、四割も食べていませんでしたのに……」
「本当に美味しかったです! これなら一人でも大丈夫だったかな」
「愛花さんってよく食べる人だったんですね。びっくりしました」
「えへへ、食べるの大好きなんです、私」
屈託の無い笑顔で返す愛花。それこそが、純が命を懸けてでも守りたい『彼女の幸せな笑顔』そのものであることを彼女は知らない。
カウンターで米粒一つ残っていない皿を返却すると、愛花はようやく瀬良に聞きたかったこと二つを思い出した。が、一つは恥ずかしくて聞き辛いことだったので、諦めてもう一つを聞くことにした。
「瀬良さん、教えて欲しいことがあるんですけど」
「あら、何でしょうか?」
愛花はさっきまでの笑顔を消し、真剣な眼差しで尋ねた。
「私に『魔法』のこと、教えてください」