理解出来ない
次の日の金曜日から、ゲームは始まった。
純一人と、いじめっ子五人による不平等な闘い。
まずは一戦目――となる前に、ルールを詰めるところから始まった。流石に子供同士の争いと言っても、ルール無用の殴り合いではこれまでと何も変わらないからだ。しかし、彼らは純『と』遊ぶのではなく、純『で』遊ぶためのルールを提示してきた。
一つ、ゲームの種目は此方側が決める。
二つ、純が勝った場合、次の相手とゲームをする。一度勝てれば以降、同じ相手とはゲームをしない。五人全員に勝った場合、今後純と愛花には近づかない。
三つ、純が負けた場合、そこから五時になるまで、純は彼らの言いなりになる。
純の要求自体は認められたものの、それ以外については彼らに有利過ぎるルールだった。要するに純は、それぞれの得意分野で一対一をし、勝たねばならないのだ。しかも負ければ、その後は彼らの玩具になる。純の要求を受け入れたのも、その魅力に惹かれたからだろう。
もし勝ち切ったとしても、彼には何も得はない。一人の不愛想な女子の一日が、少し静かになるだけだ。
これ程不利なルールを突きつけられながら、純は不満一つなく、即座に承諾した。彼には最初から、断るという選択肢が無かったのだ。
最初の男子は、純と同じぐらいの背丈の男子だった。ゲームが好きなようで、教室でもよくゲームの話をしているらしい。
そんな彼が提示したゲームは、やはりゲームだった。最新の携帯ゲーム機でプレイする、何やらロボットのゲームだった。一対一の対戦ゲームという、いかにもなチョイスである。
そうして例の公園で、二人の対戦が行われた。ニヤニヤするいじめっ子たちと、思考の読めない無表情を貫く純。いじめっ子たちは仲間の勝利を確信していたようだった。
「五回勝負だ。……一回でも勝てたらお前の勝ちにしてやろうか?」
「いいよ。三回勝った方が勝ちにしよう」
「……言ったな? 後悔すんなよ?」
結果は――四戦三勝で、純の勝利だった。五戦やるまでもなく、純はきっちり三回勝ってみせたのだ。
いじめっ子たちは各々の顔を見合った。こうなることは、到底予想出来ていなかったのだろう。プレイヤーのいじめっ子は尚更狼狽していた。
「お……お前ズルしただろ!?」
「してないよ。このゲーム機、そっちが持ってきたんでしょ? なら、何か仕込むなら君の方だし」
「そっ、それなら何でオレに勝てるんだよ!? おかしいだろ!?」
「いやだって……これ、友達とよくやってるやつだし。……多分その友達なら、三連勝で終わってたよ」
勝ち誇るでもなく、何事も無かったかのような顔の純。それがまた、彼に強者感を与えていた。
もしかしたら、コイツはやるかもしれない――そんな緊張感が俄かにいじめっ子グループを包んだらしく、負けた子以外の四人は、一様に口を引き結んでいた。
陰で見ていた愛花も、彼に対する評価を少し改めた。
もしかしたら、本当に――しかし、そこまで考えて、彼女はかぶりを振った。
何を期待しているんだ、と。彼が勝ったところで、自分の中にある『呪いのような何か』が消える訳でもない。とはいえ、止めたところで聞く人じゃないことは、昨日までの時点で痛いほど分かっている。
構ってほしくないし、傷付いて欲しくもない。だけど、彼女には何方も実現させられない。あの時とは違う形で、自分の無力を示される。
愛花は遂に、その場からこっそり逃げ出した。しかし、逃げて何処へ行けばいいのか分からなかった彼女は、無駄に街をうろうろした後、結局公園に戻って来た。その時点で、時計は五時を少し過ぎていた。
そっと覗くと、純一人だけがいた。ベンチに座っている彼は、何とも無さそうな無表情だ。愛花は彼に近付いて尋ねた。
「……終わったの?」
「ううん、次の子には負けた。漢字が得意らしくて、そのクイズになったんだ」
「……殴られなかったの?」
「結構長引いたから、向こうも大したこと出来なかったみたい。不味いお菓子を五人分押し付けられたぐらいで済んだよ」
純はポケットから、ポケットサイズのスナック菓子の袋を取り出した。『コーヒーゼリー味のポテトチップス』という、味の想像出来ないものだった。
「それだけ?」
「うん、それだけ。それに――明日は多分勝てるから。……心配しないで」
「っ……別に心配なんて……」
「じゃあ、どうして来てくれるの?」
「っ……帰る」
純の質問に、愛花は答えられなかった。
逃げるように帰路に着いたなか、途中で駄菓子屋があったことを思い出した。純が持っていたお菓子を買い食いしてみた。
美味しくはないけれど、食べられない味ではなかった。
*
次のゲームは、月曜日になった。土日はやらない、あくまで放課後の楽しみという位置づけらしい。
そして迎えた月曜日――
「なっ……何でお前がボクより頭良いんだよ……おかしいだろ!?」
「おかしくないよ。出て来る問題に覚えがあったからね」
純は、二人目との漢字クイズ対決にあっさり勝利した。再びグループの間にどよめきが走るものの、やはり純は涼しい顔だ。
「出題元って、中学生用の漢字ドリルだよね。赤い表紙の」
「なっ……なんで知ってんだよ……」
「近所に凄く頭の良いお兄さんがいてね。その人が持ってたから、貸して貰ったんだ。前にお兄さんがそれで勉強してたから――ピンときた」
漢字自慢の男の子は、グッと唇を噛んだ。聞いた話によると、彼は上に兄が二人いて、どちらも非常に勉強熱心な人だったらしい。彼としては、その兄たちのしている勉強を先取りした訳で、自信に満ちるのも無理はなかっただろう。
これなら負けないというような分野で連続で負けた。本来なら約束を盾に、純を飽きるまで玩具にするつもりだったのだろう。しかし、二日で二人も負けてしまっては、それが達成出来ない。最悪の場合、本当に五人全員に勝ってしまうかもしれない。
そんな想像を抱いたらしく、二人がヒソヒソと何か言い合っている。その二人の背中を――リーダーの男の子が大きな手でバシンと叩いた。
「大丈夫だって。お前らが負けたところで――オレがいるし」
男の子がニヤリと笑うと、二人は落ち着きを取り戻した。そして、一方の――背の高い男の子が、純に歩み寄っていく。
「よし、じゃあ――おれが次な」
彼は公園内の倉庫に歩いて行くと、一つのサッカーボールを取ってきた。
「ルールはボールの奪い合いって事で。相手を躱したら一ポイントで、一回ごとに攻守交替して、先に五ポイント取った方が勝ち。おれはサッカークラブに入ってるから、そうそう取らせてあげるつもりはないぜ」
「いいよ、やろう」
純の淡々とした口調に、男の子は少しだけムッとした。しかし、すぐに小さく息を吐くと、足元にボールを落として、純と正面から向き合った。
そうして、このゲームの三回戦目――サッカー対決が幕を開けた。
これまで二日間の快勝の様子なら、今日か明日にはまた勝つかもしれない。何か友達や知り合いにサッカーをやっている人がいるとか、そういう事がある。愛花はそんな可能性に、無意識に想いを馳せていた。
*
しかし、現実はそうはいかなかった。月曜日と火曜日、二日続けて純は負けた。一ポイントなんとか取るだけで、精一杯だった。
なまじ希望を持っていた愛花は、純が彼らに弄ばれるところまで見てしまった。
月曜日は、壁を背に立たされて、サッカーボールを蹴られた。当たるのは三回に一回程度とはいえ、一時間に渡って続いたために、終わった時の彼は砂まみれになって、唇が切れたのか血が滲んでいた。愛花は、彼の元に行かず、遊びが終わるまでただ見続けて、終わったらこっそりと帰った。
火曜日はもっとひどかった。最初のうちは笑いながら交代々々で叩き、それに飽きると押さえつけて蟻やら何やら見つけて来た虫を顔につけて這わせたのだ。これには普段無表情の純も、震えながら顔を強張らせた。その反応を面白がった彼らは、顔の虫を潰したり、死骸を鼻に入れたりもした。五時になるまでそれが続き、終わったときの純の顔は、小さい虫の破片が幾つもこびりついていた。純は眉間に皺を寄せつつ、水道で丹念に顔を洗っていた。愛花はやはり、声を掛けられなかった。
水曜日、愛花はもう、公園に行かなかった。あのまま負け続けて、いたぶられる彼を見続けることなど、出来なかった。彼は多分、これからも負け続けるし、遊ばれ続ける。どうしてかなんて考えたら、また自分が嫌になるから考えない。とにかく、目を逸らしたかった。
しかし、帰ったところで誰もいない家で一人でいるだけだ。仮に誰かいたとしても、自分などまるで省みない親戚の夫婦だけである。いたところで、『邪魔だな』という視線を向けられるだけだ。
また街をうろうろしていると、一組の親子とすれ違った。金髪の若そうな母親と、銀髪に金の瞳の、高校生ぐらいの男子。
『へえ、あの子がそんなことを……』
『また何をやり出したのかは知らないけど……まあ、何か真剣になれるものがあるなら、それが良いだろ』
すれ違いざまに、親子の会話の一部が聞こえた。誰の話かは知らないけれど、彼らに気遣われる人がいるらしい。
何処か羨ましいと感じてしまい、それでまた自分が嫌になる。誰かと近しくなったところで、きっとまた呪いが、私より先にその人を天国に連れていってしまう。誰かを望むということは、自分にとってその人の死を望む事と同義となっていた。幼い彼女にとって、一度起きただけの事が世界の常識になるのは、殆ど必然だったのだ。
そんな風に、どれだけ彷徨い続けたのか。来た道を引き返していたらしく、さっき親子を見た時と同じ道を歩いていた。その時その時で適当に歩いていたので、何処をそう歩いたのかも覚えていなかった。流石に二時間も歩きっぱなしだったためか、足元がふらついた。民家の塀に手をついて、一度息を整えた。
すると、地面が影に覆われた。顔を上げると、そこには――やはり砂まみれになった純がいた。
「なんで……?」
「ここ、僕の家の近くなんだよ。君こそ、どうして?」
「知らない……歩いてたら着いてた……」
愛花は純から目を逸らした。まるで、『お前がいるからこうなっているんだ』と、誰かに言われた気がしたから。顔を見れば、彼が今日も負けて、散々にいたぶられたことぐらい分かる。自分なんかのためにそこまでする彼が理解出来なくて、自分の中にある感情まで理解出来なくなってきた。
「……もういいでしょ」
心の中で思ったはずの事が、口を突いて出た。
「もう止めて……。こんなことして、何になるの? 私の身代わりになって……私、感謝なんてしないよ」
「いいよ。そのためにやってるんじゃないし」
「っ……!!」
予想通りの回答に、愛花はまだ乳歯の残る歯を食い縛った。
「また負けたくせに……! やっても無駄なことして……!!」
毒を吐こうとした。純に対しても。彼を止められない自分に対しても。そして、自分にこんな思いをさせる何かに対しても。
だけど、その毒はすぐに鎮静化させられた。
「無駄じゃないよ。三人目には勝てた」
いつもと違う――何処か誇らしげな顔で、純は言ってのけた。
「偶然だけど、最初に二連勝出来てね。それで、動きが雑になったから――勝てた。まぁ、転ばされたけど」
見ると、彼の右膝は皮膚が擦り切れ、血が滲んで真っ赤になっていた。水で洗い流したような跡があるものの、痛々しいのには変わりはない。
「それより、もう暗くなるよ。家は何処? 送っていこうか?」
「……いい。どうせ誰も帰ってこないし」
「誰も? ご飯は?」
「そんなの、家のものを適当に食べるに決まってるでしょ。カップ麺とか……」
「ふぅん」
純は少しの間沈黙した。まるで見透かすようにジッと見つめた後、顔を逸らした。まるで何か恥ずかしがっているかのような珍しい態度に、愛花は思わず首を傾げた。
直後、純は頬を掻きながら言った。
「じゃあ……ウチで食べていく? ご飯」




