表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
MUD_BRAVER  作者: 笑藁
五章 鏡と硝子
68/90

心の冬

 一ノ森愛花が生まれたのは、和歌山県の中心部。県庁から程近い一軒家に住む夫婦――デザイン事務所を経営する妻と消防士の夫の間に誕生した、待望の一人娘だった。一つ特異だったことは、少女には超能力があった事だ。人が超能力と聞いて思いつく事は全て可能だった程に強大な超能力を、少女は有していた。しかし、両親はそれに対して何ら奇異な目を向けることはなく、娘に対して可能な限りの愛情を注いだ。

 少女の両親はどちらも多忙の身ゆえ、一ヶ月の内に三人で食卓を共にする事は、せいぜい二、三回程だった。両方不在で、少女一人が作り置きや予め解凍された冷凍食品で夕食を取る事も少なくなかった。当然ながら、少女はそれに対して、寂しさを覚える事も少なくなかった。だが、彼女がそれを口に出す事は一度も無かった。父と母が、食卓を囲まなくても彼女を深く愛していた事が、少女にも伝わっていたからだ。彼らは少女の誕生日や運動会などの行事には多少無理をしてでも休みを取り、極力一緒にいてくれた。

 母の優しい手と、父の大きな手。どちらに撫でられるのも、彼女は大好きだった。だから彼女は、『いい子』であろうとした。わがままを言って困らせるなど、以ての外だった。だから少女は、生みの親に我がままを言った事は、ついに一度も無かった。



 *



 あの日、あの時の事を思い出すのは、今の愛花にとっても苦痛を伴う行為だった。だから、愛花が人にこの話をしないのは、事の凄惨さもさることながら、彼女自身が詳細に思い出したくないというのも理由だった。

 それは、愛花が風邪で学校を休んでいた日のこと。その日は、元々非番だった父に加え、愛花を心配した母親が仕事を休んでくれた。その為、平日に家族三人が揃うという、極めて珍しい日だった。その為、愛花は嬉しかった。

 熱は大した事なかったが、喉が酷かった。ガラガラに嗄れ、普段の小鳥の囀りのような声は、枯れ木が風に吹かれたような擦れた音しか出ない。家族三人で眠るキングサイズのベッドに横になっていても眠れないので、床で漫画を読んでいると、父が部屋に入って来た。その時点で彼女は、事の異常性に気付いていた。普段は必ずノックをする父がノックをしなかったこと。そして、いつも快活な笑顔に満ちている相貌が、戦慄を覚える程何の色も宿していなかったこと。これら二つが、幼い彼女に得体の知れない恐怖心を植えつけた。


『ベッドの下に隠れるんだ。いいと言うまで出てはいけない』


 それが、父の最期の言葉となった。

 言われた通りにベッドの下に隠れた愛花は、扉の開く音と同時に――何かが噴き出す音と共に、床に何か赤い液体が落ちていくのを見た。直後、首から上の無い父の身体が地面に倒れる。そこから夥しい量の鮮血が噴き出し、ベッドの下――愛花をすら、噴出した血液で汚されていく。ドシャリという薄気味悪い音と共に、何かがベッドの下に転がっていく。脚の高さに阻まれ、停止したそれの正体を理解した瞬間――愛花は、自分の喉が潰れていたことに感謝した。叫びたくても、叫べなかったから。

 眼前に転がり、今なお血液を垂れ流し続けているのは――大好きだった父の、生首だった。


『バッカ、愚弟。アタシ言ったでしょ? 事故に見せかけろって』

『つってもよお、姉貴。最優先は『深化の花』の確保だぜ? それさえできりゃあ、問題ナシっしょ』


 次に見えたのは二人分の土足。聞こえたのは知らない言葉で話す男女の声。血が滴る巨大な包丁のような刃物を持っていた彼らが、父を殺した犯人で間違いない。


『で……肝心の標的ターゲットは何処よ?』

『自宅にいるって話だけど……もしかして逃げた? それとも隠れてる?』

『外で遊びに行ってるかもしんねえぜ、姉貴』

『そうね。よし愚弟、アンタは外見て来なさい。アタシは家ん中探すから』

『了解、姉貴』


 何やら会話をした後、男の方が部屋を出て、階段の方へと向かって行った。


『さて、何処に隠れたか……この部屋じゃなさそうね。自分の父親が殺されてるってのに、声の一つも出さないワケないし』


 独り言を呟いてから、女が部屋を出た。

 助かった、などと一息つける状況では断じて無かった。

 窓から逃げる事を考えたが、男が何処にいるのか分からない上、そもそも逃走自体成功率が低過ぎる。体調を崩している子供が、大人二人からどうやって逃げおおせると言うのか。

 愛花は自身も死体になったかのように、ベッドの下から動けなかった。その間彼女は、見つめられ続けた。虚ろな父の左眼に。死体から流れた血潮の熱と感触を、顔と身体に感じながら。震える手をどうにか自分の頬につけると、べったりと赤黒い血液が付着した。

 この時、少女の心は、永い冬を迎えた。心の世界に存在した花畑は厚い雪に覆われ、色とりどりの花々は一本残らずその命を終えていた。

 既に彼女は察していた。一階にいた母も、恐らく父と同じになっていると。首を刎ねられ、夥しい血をまき散らし、虚ろな目で朽ちている、と。


『っ……っ……』


 ベッドの下で、少女は肩を震わせて泣いた。愛花は、自分の喉が潰れている事を恨んだ。家族の死に、声を上げることすら出来なくて。

 どうすることも出来ず、彼女はただ涙を流し続けた。止め処なく溢れて来るそれは、一滴毎に彼女の人間性すら流れていくようだった。落ちた涙は、愛花の下まで流れた父の血液と混ざり合った。

 こうしていても、いつか見つかるだけ。そんな事を考える心すら、少女には残されていなかった。

 そうして一体、どれだけの時間そこにいただろうか。突然、何やら焦った遠くから女の声が聞こえた。


『アイツの反応消失って……何よそれ! 一体なにが――っ!?』


 家の何処かにいるらしい女の声は、直後何かが壊れる音にかき消された。すぐにまた元の無音になり、暫く沈黙が続いた。やがて再び、足音が部屋に入って来た。

 見つかる――そう思った時、聞こえたのは女の声。しかし、今度は知ってる言葉だった。


『こちら《アフロディーテ》。アーシェラの魔術師二体を撃破。……そっ、一体は不意打ちや。ちゅーかアイツら、こんな幸せそうな家族を……』


 言っている内容は理解出来なかった。けど、少なくとも先の二人とは違うらしい。

 しかし、彼女にはそれもどうでも良かった。何故なら――


『せや。三人家族やったみたいやけど――親二人は、どっちも殺されてた。首を刃物で刎ねられて――即死やな』


 彼女の言葉から、母もまた、父同様の末路を迎えていたと分かったから。

 だからやがて、この時の女性――赤髪の魔術師に救出された事も、少女は大して覚えていない。



 *



 その後少女は、病院で検査を受けた後、女性に連れられて大阪へと移った。魔導協会大阪支部――彼女はそこで、再び検査を受けた。

 この辺りの事は、殆ど何も覚えていない。覚えているのは、自分を助けた赤い髪の女性の姿。そして、何やら偉いらしい中年男性からの話。


『君の身体には、どうやら特異な因子があるようだ。その正体や対処法はまだ分からないが――少なくとも、ここにいては危険だ。少なくとも、関西からは離れた方がいい』


 特異な因子。詳しい事は分からないけれど、少女には思い当たる節があった。それは彼女が、超能力を扱えるという点。確かにそれは特異ではあるが――しかし、何がどう違うかなど、最早彼女にはどうだって良かった。問題は、そんな特別なもののせいで、父と母が死ななければならなかったことだった。

 その後、東京にいる親戚――父の妹夫婦の下に預けられる事となったが、愛花はその人達を新しい親と認識する気は無かった。彼女らはそもそも父とは疎遠だったらしく、愛花には会った記憶も無い。何より、仮に彼女ら叔母夫婦と親密になったところで――また、あの知らない言葉で話す男女のような人間によって奪われるのではないかという恐怖心があった。

 故に、彼女は心を閉ざした。いつか、自分の中にある『何か』が、自分から大切な人を奪っていくなら、最初から無い方がいい。

 そうして、僅かに持ち出せる両親との思い出の品幾つかだけを手に、少女は東京へと移った。少女にとってある意味幸いだったのは、叔母夫婦もまた両親同様仕事で忙しく――その上、愛花自身に特に関心が無かったという点だ。


『兄さんの忘れ形見って言ってもさぁ、何年も会って無かったのに。子供らしくて可愛いなら良いけど、あんな陰気な娘貰ってどうすればいいのよ』

『可哀相だとは思うし、世間体を考えれば君の判断は正しいよ。ただまぁ、他に貰い手がいればなぁ……正直言って面倒だ』

『私らだって忙しいし……まぁ、適当に養育すればいいでしょ』


 彼女らが愛花を引き取った理由は、同情や親戚のよしみではなく、ただ世間体のみ。要するに、『大人しく』さえしていれば、彼女らには文句は無かった。愛花の凍てついた心に対し、結果的に現状維持という意味では問題のないアプローチとなった。あえて言うなら、自分達が不在の時に愛花に与える食事が殆どインスタント食品--それも同じ物ばかりで、栄養素と食の喜びを大きく損なっていた。

 むしろ問題だったのは、学校の方だ。愛花が転校したクラスの子達は、皆仲が良かった。男女の垣根などなく、昼休みや放課後には皆で集まり、遊び、笑い合う。全く以て素晴らしいクラスだっただろう。

 だからこそ、外部からの異物てんこうせいで、その上馴染む気のない愛花という存在を、彼らは許せなかったのだろう。

 となれば行われるのは必然、いじめという排除行動である。とはいえ、大半の行動は愛花には通用しなかった。悪口は聞き流されるし、そもそも会話を避けるので無視する必要がない。教師の目を避ける為、あまり派手な事は出来ない。女子のうち何人かが叩いた事もあったが、虚ろな瞳で一瞬睨まれるだけだ。

 攻撃しても大して反応しない彼女に、多くのクラスメイトは『面白くない』といじめそのものに飽きてしまった。最終的に残ったのは、五人の男子。彼らはクラスメイトの大半が愛花をいないものとした後も、しつこくいじめを続けた。

 彼らの攻撃は、日を追って過激さを増していく。彼女に親がいない事を知った彼らは、彼女の横でわざと聞こえるように、両親と出掛けた話や褒められた話をした。それでも愛花は反応しなかったので、彼らは聞いた。『お前の親はどうだ』と。

 彼女はただ一言、虚ろな瞳で言った。


『死んだけど』


 彼らが思う以上に、愛花の心は冷え切っていた。実際にはそれだけ何も感じないようにしなければ耐えられなかったからだが、とにかく彼らはどうにかして愛花を傷つけたかった。

 そんな彼らが次に取った行動は、女子らしい私物を持たない愛花が唯一持つ、それらしい物を『壊す』ことだった。それは手のひらサイズの熊の人形で、愛花はランドセルにそれを付けていた。彼らはカッターでぬいぐるみをバラバラに引き裂いた。

 それでも愛花は、虚ろな瞳でぬいぐるみの残骸をランドセルに入れただけだった。しかし、彼らはまだ気づかなかったが、この行動で愛花を傷つけるという目的は達成していた。何故ならそのぬいぐるみは、愛花の八歳の誕生日――両親と過ごした最後の誕生日のプレゼントだったからだ。

 誰もいない公園でランドセルから刻まれたぬいぐるみを取り出し――頭と胴を切り離された父の遺体(おそらく母もそうだっただろう)の事さえ思い出した彼女は、声もなく静かに涙を流した。


『ねえ。それ、貸してくれたら直せるよ』


 その時だった。男の子に声を掛けられた。その声音は、随分久し振りに聞いた優しい音。自分を気遣っている声だ。

 東京に来てから、誰かに話しかけられても無視する事ばかりだった。今回もそうすれば良かったのだが――


『誰?』


 考える前に声が出て、顔が上がっていた。

 涙で滲んだ視界の先には、線の細い男の子がいた。黒い髪に茶色い瞳の少年は、何処か儚げで、愛花のいじめっ子に押されようものなら飛んで行ってしまいそうだった。

 だけど、その少年が――愛花に手を伸ばすその少年こそが、彼女の心に春を齎す陽光だった。


『僕は、滝本純』


 その日、二人は出逢った。

 全てを失くし凍てついた少女と、何をも背負わず生きて来た弱き少年。

 この世に一輪、大輪の愛の花が咲く日は――まだ、もう少し先だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ