私が返せるもの
週末、アキラと維月と週末を過ごした純。
再び迎えた月曜日、彼は先週末よりは肩の力を抜いて訓練を――していなかった。
『センパイ……飽きもせずまた地獄戦域』ッスか?』
「仕方ないじゃないか……白峰もホンファもまだ治療中なんだ。これぐらいしか訓練にならないんだよ」
『筋トレしてりゃあいいじゃないッスか。今なら全部の器具空いてるでしょ?』
「そっちはもう、朝に充分やった。それより今は……二人抜きを目指すのが先決だ」
午前も終わり掛け、という頃。金曜日と変わらず純は最高難易度シミュレーター『地獄戦域』に挑んでいた。
スコアは相変わらず、一人抜きが限界。しかし、純の中に諦めるという選択肢は一切無かった。
これまで己を鍛えてきて、超えられそうにない壁など幾らでもあった。そもそも純は戦闘の天才でも何でもない、平和憲法を持つ国で生まれた一青年に過ぎない。そんな彼が白峰悠さえ一目置く戦闘者となったのは――決して拳を握る事を止めなかったからだ。
師匠から与えられた修練は、厳しいなんてものじゃない。文字通り、『死ぬ程』辛かった。あの人の狙いの中には、恐らく死への恐怖心を麻痺させるというものもあったのだろう。
あの人の真似をしようとは一切思わない。が、教えられてた事は今、血肉としてこの身に刻まれている。
『……もう勝手にして下さい。初めまーす』
星野の投げやりなアナウンスと共に、目の前に人型の影が出現する。純は拳を構え、相手をまっすぐ見据えた。
*
昼休みとチャイムと共に、魔導協会の食堂には、職員達が集まっていく。
チャイムから一分後には既に部屋の外まで列が出来、食券機に次々と銭が投入されていく。
やがて食堂の席は埋まっていき、一部余った者達は近くのラウンジで食べる。
更に余った者、或いは弁当を持ち込むなどして食堂を利用しない者は、空いている会議室を自由に使ってもいい。
純は昨日まで食堂を利用していたが――今日からは、会議室で昼食だ。
「あれ? 滝本じゃないか。今日は食堂じゃないんだ」
純が入った会議室Cには、既に先客がいた。
三船聖司――先の戦闘でもチームの指揮を執った、戦闘支援のエキスパート。彼の隣には当然とばかりに柳夏果がいた。
普段食堂を利用する純が、トレイを持たずに来たことに疑問を呈する三船だが、疑問があるのは純も同じだった。
「三船さん。怪我はもういいんですか?」
「うん。僕はほら、後衛だから。元々東条さん達より軽傷だったんだ。だから土日ゆっくり休めば――痛たたっ!」
「嘘ばっかり。まだ身体を動かす訓練は様子見だって言われたでしょ」
腕白な弟を窘めるように、柳が眉をひそめている。
どうやら脇腹の辺りを押されたらしく、三船は顔を歪めながら押された部位をさすっていた。
「寝てたってしょうがないんだ。身体も鈍ってるしね。それより滝本は?」
「俺は今日は弁当です。ほら」
隣で「もう」と困り顔の夏果を置いて、純は三船に応えるべく弁当箱の入った包みを出した。それを開くと、運動部男子用と言わんばかりの大型二段弁当が姿を見せる。
純も弁当の中身を知らされていない。愛花に嬉しそうな顔と共に手渡されたそれには、何が入っているのか。
純は遠い昔、遠足の頃を思い出すように、二つの蓋を開けた。
そこにあったのは、思わず目を見開いてしまう程見事な彩りがあった。
主菜には米が進む豚の生姜焼きを、それによって茶色っぽくなることを防ぐように、副菜には鮮やかな緑黄色野菜を使ったおかずが。米はおかずの味を邪魔しないよう、少量のごまを振りかけただけのシンプルなものにしていた。
総じて、主婦歴の長い純の母にも見劣りしない出来。愛花が料理が得意なのは百も承知だったが、昼飯にも一切の妥協が無かった。
「そのお弁当、山崎さんが作ったんだね。まだ高校生なのに……凄いな」
「ちょっと、私のお弁当じゃ不満なの? って言いたいけど……確かにすごいわね」
愛花の弁当を賞賛する柳と三船。彼らの手元には、全く同じ弁当が置かれている。先の柳の口ぶりから、それが誰が作ったものなのかは明らかだ。
彼らのそれは、愛花のそれに比べれば、色合いは確かに地味。しかし、それは具材に『和食』という統一性を持たせている為だろう。
煮物を中心とした、健康に良さそうなおかず達。柳の実家が神社ということを考えれば、彼女にとってまさにお袋の味なのかもしれない。
「そうですね……。彼女の腕は良く知っているけど、思った以上に気合が入っていましたね」
「見た目もだけど、私が驚いたのはバランスよ」
「バランス?」
「ええ。私、大学で栄養学を学んでいたのよ。元々、協会にも調理師志望だったんだから」
「そうだったんですか」
「ええ。滝本くんが昼にも訓練することを想定して、お肉を多めにしているんだろうけど……偏り過ぎないように、でも量が多すぎないように考えているのが分かるわ」
愛花の弁当。そのおかずの内訳は、豚の生姜焼き、ほうれん草の胡麻和え、卵焼き、かぼちゃの煮物、ポテトサラダ。一段目の左半分を生姜焼きが、もう半分には四つのおかずが詰められていた。弁当のサイズが大きい為、四つ詰まっていても一つ一つは二口分はある。
かぼちゃの煮物とポテトサラダは、昨日の夕食に出たものだ。弁当に入れることを計算して入れたのだろう。
「私はまだ、あの子の事はよく知らないけれど……これを見れば、あの子が貴方の事を大切に思っているって分かるわ」
「……そう、ですか」
純は静かに手を合わせてから、卵焼きを一つ摘まんだ。
歯で押し潰すとフワリと崩れ、優しい出汁の味が口一杯に広がった。
「……そうですね」
純はそれだけ呟くと、何も言わず食事を始めた。
一口一口ごとに、愛花の顔が浮かんでくる。
彼女への感謝の念と共に、純は夢中で食事をした。
*
「ん~~……」
昼休み明け。愛花はスマホを片手に、ラウンジで唸っていた。机の上にはペンとノートが置いてあり、開かれたページには、今日と明日の献立が書いていた。
「あら、愛花さん」
「あっ、瀬良さん」
彼女の前に現れたのは、東京支部オペレーターにして、金髪美人の柏木瀬良だった。
「何かお悩みですか? 私で良ければ、相談に乗るくらいは出来ますが」
「あっ、はい。その、実を言うと……」
愛花は瀬良に、机の上のノートを渡した。瀬良はページをパラパラとめくり、それが献立帳であることを察知した。今しがた愛花が開いていた以降のページは、今週分以降は白紙だった。
「これは、作り始めですか? それとも、二冊目ですか?」
「まあ、二冊目と言えば二冊目ですけれど……実は……純のお弁当をこれから毎日作ることにしたから、それ用に献立を作り直そうと思ったんです。とりあえず急ぎで今週のものは立てたんですけど……来週からはもっと色々考えたいなって思いまして。向こう一か月分、今のうちに決めておこうかなって」
「愛花さん……凄いですわね……」
彼女の献立表は、単に朝昼晩のメニューが書いているだけではない。ページの下半分は、栄養価に関する彼女なりの考えもしっかりと記されていた。平日はエネルギーになるように、カロリーが高いものをメインに置く。栄養価の高い卵等は可能な限り使いたいが、飽きが来ないよう、味付けと調理法を都度変えていく。
今手に持っているスマホで、料理について調べていたのだろう。書きかけのページにも、思案の跡があった。
「健康志向もそうですが、必要充分なカロリーを確保した上で、食材や調理までかなり練られています。料理は愛情と言いますが……ここには、愛花さんの滝本さんへの愛が、溢れていますね」
「そ、そんな……愛だなんて……私はただ、これぐらいしか出来ないからやってるだけで……」
愛花がこれ程までに料理に熱を入れる理由。それは、『愛花を護る』為に文字通り命懸けの純に対する、彼女なりに恩返しだ。胃袋から男を落とす、という目論見もゼロではないが、今の彼女は、純が自分の料理を食べて美味しいと感じ、それを糧に頑張る事。それだけで、彼女はどんな苦労も手間も一切惜しまず、料理に精を出せる。
「他にもっと、純の役に立てるものがあればいいんですけど……けど、今私が返せるのは、これぐらいですから」
愛花は照れ笑いを浮かべながら、瀬良から返された献立帳をギュッと抱きしめた。恋する乙女そのものと言った表情に、瀬良も釣られて笑顔を浮かべた。
「ウフフ……大丈夫です、愛花さん。貴方はきっともう、滝本さんに沢山の幸せを与えている筈です」
「えへへ……だと良いんですけど」
「私が保証しますわ。もし万が一滝本さんがその幸せが分からない人なら……」
瀬良の笑顔が、言葉の途中で途切れる。笑みは絶やさぬまま、瀬良の声色が俄かに低くなった。
「……あら。想像しただけで腹立たしくなってしまいましたわ」
「せ、瀬良さん……?」
黒いオーラを纏う瀬良に、愛花は若干身を退いた。
瀬良は普段から理知的で、感情を露わにすることは余りないイメージだった。が、今の愛花を思った時の怒りから、内心では意外と感情的なのではないか。愛花はそう思うようになっていた。
その時、彼女の脳内に、『夢』の一部が過った。
純の生体反応が弱くなっていると、慌てて彼に逃げるよう命令する瀬良の声。
夢の筈なのに、それを思い出すと妙に怖くなる。
愛花はブンブンと首を横に振ると、少し荒っぽく献立帳を開いた。
「愛花さん?」
「いえ、ちょっと。なんていうか……今から気合を入れて、頑張ります」
愛花はノートに向かい、再び献立を考え始める。まるで、悪夢を頭から消し去るように。




