花の蕾
『インコンプリート・ブレイブ』。
今から十数年前に発売されたRPG。ストーリーは、剣の才能はあるが臆病な少年、レイブが落ち延びた亡国の姫と出会う所から始まる、彼の成長物語だ。
某国民的RPGシリーズを踏襲した王道ファンタジーな世界観から展開される重厚なストーリーは評価が高いものの、癖が強くとっつきにくい戦闘システムなどの難点も幾つかあり、世間的な評価は『佳作』といった程度。十年経った今では、稀に当時のゲームを語る匿名掲示板のスレッドで話題に出るぐらいだ。
だが、霧嶋輝にとって、このゲームは並ぶものがない程の神ゲーだ。思い出補正の存在は否定出来ないが、それでも彼はこのゲームのストーリーもゲーム性もこよなく愛している。
彼が特に好きなのは、ストーリー中盤、八章のムービーだ。
ここでは、ヒロインである姫が、レイブの祖国に拘束されてしまい、姫を捕らえた功労者として、レイブに多額の謝礼金が渡された場面。当然、レイブは姫を国に渡す為に連れていた訳では無い。
このまま金を受け取れば、レイブはそれで裕福で平穏な暮らしが出来る。しかし、受け取らず抵抗すれば、一転国家反逆罪で、極刑は免れない。目の前で拘束されている姫は、自分に笑顔を向け、それを受け取るように言った。
しかし、レイブは思い出していた。以前、失敗して自分を屑だと責めるレイブに、姫が『それは何処にでも普通の人間だ』と慰めた頃の事を。
そう。レイブの普通の人間だ。だが、彼は自分が何処にでもいる人間であることを否定した。
『何処にでもいる程度の人間で――満足なんてしたくない!!』
臆病で流されがちなレイブが、作中で初めて『我』を出したシーンだ。その瞬間、武器を創造する魔法に覚醒した彼は、その力で姫の拘束を解き、脱出する。
既に十周はストーリーを周回したアキラだが、このムービーだけは飛ばさず観る。ここは同じくプレイ経験のある純も、好きなシーンとして挙げる、本作屈指の名場面だ。
そんな名シーンをアキラは――。
*
『姫様、どうやら僕は――かなりプライドの高い人間だったみたいです』
「ど~~よ!? 神でしょ、神としか言いようがねぇでしょ!?」
純・愛花宅で再生していた。実機で。
「いきなりPS2持ってきたと思ったらこれを見せたかったのかよ」
「良いシーンってのは、何回見ても良いモンなんだよ」
土曜の昼過ぎ。先日言っていた通り、アキラと維月が純と愛花の家を訪れた。
アキラは大きなリュックサックにゲーム機とコントローラを詰めてやって来たかと思えば、最初にやったのが好きなゲームの好きなシーンを再生することだった。
「いや、確かに俺もここは好きだけど……いきなりここだけ見せても、愛花と維月さんには分からないじゃ……」
「ううん……そんなことないよ……」
純がチラリと横を見ると、そこには俯いたまま座っている愛花がいた。
やっぱり困惑してるんじゃ――そう思った純だったが――、
「すっっっごい好きだよ私!!」
「愛花……!?」
「いやだってさ、『何かと理由をつけて必要な努力を避ける』ってレイブは自分のこと言ってたけど、確かにそれは普通の人なんだよ! だけど、それじゃあ姫様の事を護ることなんて到底出来ない訳で! だからこそ出たのが、『何処にでも人で満足したくない』って言葉なの! 霧嶋くんが好きなのも良く分かるよ~~」
愛花は瞳を潤ませながら、アキラと感動を共有し合っていた。共感力が高い愛花は、良くも悪くも人間臭いキャラクターを好きになる傾向があるため、レイヴはそういう意味で、彼女と相性が良かったようだ。
盛り上がる二人に困惑したものの、愛花が楽しんでいるので別にいいか、と純は何も語らない維月に視線を向けた。
「維月さんは……ついていけてます?」
「私はお前達が楽しんでいるなら何でもいいよ」
「……そうでしたね」
「純も、愛花が楽しいなら良いんだろう? 同じだよ、それと」
「否定はしませんけどね……」
見透かしたように微笑みかける維月に、純は肩を竦めるしか無かった。
「それにしても……維月さん、本当に付いてきたんですね」
「ん? あぁ、先日アキラが言ってたからな」
ばつが悪そうに話題を変える純に、維月は何も言わなかった。
純が言ったのは、先日協会のラウンジで三人で話した時の事だ。アキラは『今週末』と言ったが、まさか維月までそこに付いてくるとは思わなかった。アキラの思いつきはいつもの事だが、あまり無茶なことは彼女が待ったを掛けるものだったからだ。
「それとも、私が止めることを期待していたか?」
「そういう訳じゃないですけど……一応維月さんも仕事で来てる訳ですし、協会は事務も割と休日出勤あるらしいので」
「それはそうだが、協会からすれば私はお客さん扱いなんだ。おまけに会長の娘と来れば、他の社員と同じように扱って、父に告げ口でもされるのを恐れているみたいだ。舐められたものだよ、全く」
ため息と共にソファに背中を預ける維月。口調とは裏腹に、特段腹を立てている訳では無いことは、純にはお見通しだ。
「尤も、一番の理由は――」
ソファから身を起こし、維月は純を真っ直ぐみながら、お嬢様らしからぬ悪戯な笑みを浮かべた。
「ただ、早くお前達と遊びたかったのさ」
「それは、俺よりアキラに言ってやってください」
純は、愛花に別のムービーを見せているアキラに目線をやり、目を細める。その言葉を聞けばどんな反応をするか。それは純にも、想像出来なかった。
*
「ところでよ、飯どうする?」
「ああ、決めてなかったか」
まだ二時を回ったところで、対戦格闘ゲームを起動しながらアキラが言った。
「私が何か作ろうか? 食材、四人分なら何とかなると思うよ」
「ふむ、それなら私も手伝おう」
「いやいや、維月さんはいいですよ、客なんだし。それならむしろ俺が――」
「あ~~……純も、いいかな」
「そうか……?」
「また今度教えてあげるから、ね」
ちょっとがっかりした純に、愛花は顔の前で手を合わせる。彼の背中に、アキラの『さりげなくイチャイチャしやがって』という目線が刺さった。
「というよりだ、そもそも四人で遊んどいて誰かが飯作るってのもどうよ? せっかく人数いるんだし、ここはピザでもどうだ」
「えっ、ピザ! やった!」
「成る程、悪くないな。私もあまり食べた事がないし、賛成だ」
「純は……山崎さんがテンション上がってたし、反対しねえか」
「愛花抜きにしても、たまには良いと思ったけど」
釈然としない純を含めても満場一致ということで、アキラはスマホで周辺のピザ屋を検索し始める。
愛花はアーシェラに身柄を狙われている為、一定以上協会から離れた場所には行けない。その為、買い物は勿論、食事なんかも相当に制限される。だが、逆に言えば協会から離れさえしなければいいので、出前や通販などの利用は許可されている――配達員にチェックは入るらしいが。
「なあ、愛花」
「ん?」
純は愛花の横に立つと、彼女を見下ろすように見つめる。
今日だけで、既に何度か『愛花がいいなら純はいいだろ』と言われたので、ふと気になってしまった。
「俺って、そんなに愛花が良ければそれでいいって見えるか?」
「えっ? そ、それは……」
愛花は頬を真っ赤に染めながらサッと目を逸らした。「んん~~」と暫く唸ってから、絞り出すように言葉を紡ぎ始める。
「『愛花がいいなら俺はいい』っていうのは……確かに、結構言ってるかも……」
「やっぱりそうか……」
自分が思ったより、愛花に物事の基準を置いていると知り、少々複雑に思う純。過保護なのは良くないかもしれないが、愛花の幸せが自分の生きがいなので、そこを否定されると流石に堪える。
「あっ……! 別に嫌って訳じゃないから! だから寂しそうな眼しないで」
純は無表情を意識したが、愛花には分かってしまうらしい。
「純はいつも、私のこと考えてくれて……私が不自由しないように頑張ってくれてる。でも……だからこそ、たまにはもうちょっと自分の事大切にして欲しいな、とも思うよ」
「……そうは言われてもな……愛花が喜ぶかどうかっていうのが、俺にとっては何より重要な訳で……」
「んん~~……」
「愛花が思う自分を大切にするって、例えばどんな事だ?」
「例えば? ……あっ、ここ!」
「えっ!?」
純の問いに、愛花はいきなり彼の右手を優しく握った。あまりに突然の行動に、純は思わず声を漏らした。彼女はそのまま上に手を持って来ると、純にその中の一点を見せるように突き付けた。
「右手、ちょっと腫れてる。今日の朝とか、トレーニング中にでも捻ったんでしょ? 冷やすなり湿布貼るなりしないと!」
「別にいいよ、そんなに痛くもないし。放っておいても、月曜には治ってる」
「ほらそういうとこ! もし私が同じような怪我したら、急いで氷持って来るなりなんなりするくせに、自分の事だと『大した事ない』って風に言うでしょ?」
「うっ……」
純はもしかしたら、自分はあまり踏み込むべきでない所に触れたのではないか、と思った。愛花の予想通り、純は今朝の軽いトレーニング中に軽く手を捻った。とはいえ、日常生活を送る分には大して支障はないし、アキラ達が来る日に怪我をした事を悟らせるのも嫌だったので、愛花が起きるまでの少しの時間、保冷剤で冷やした程度だった。その上、困ったことに愛花が同じ怪我をしたら自分が物凄く心配することまで察知されている。流石にここ十年、両親を除けば最も長く一緒にいただけはある。
「だからさ、私に向ける分のちょっとでも、自分に向けてあげて」
頬を膨らませていたかと思えば、愛花は少し悲し気に眉を下げつつ、今度は両手を純の手をそっと包んだ。
「私はきっと、貴方と同じぐらい――それ以上に、貴方に幸せでいてほしいって、思ってるから」
少し瞳を潤ませて此方を見つめる彼女は、兵器と呼んで差し支えない破壊力だった。
気のせいだろうか。あの日、廃棄区画調査の後から――愛花が以前より積極的になった。こうした言動もそうだが、手に触れる、などのスキンシップが多くなった気がする。それがあの日の――愛花が純を『蘇生』させた能力と、何かしら関係があるとすれば。
山崎愛花は、一体その身に何を秘めているのか。
「お~~い、お前ら! 二人だけの世界に入ってんじゃねぇぞこの野郎! ピザ何するかって話してるだろ?」
「えっ!? う、うん、そうだね!」
「あ、あぁ……」
アキラの声によって、二人は現実へと引き戻された。それで二人は幾分か冷静さを取り戻し、アキラと維月に混じって話し始めた。
とはいえ、意識を100%切り替えられた訳では無く、時々チラリと互いを見ては、目が合うと逸らす、という羽目にもなった。
アーシェラの指導者エルシアが言った、『深化の花が蕾をつけた』という言葉。それが齎すものの最初の一つは、既に愛花の身に起こっている。




