動き出すアーシェラ
コルナードと別れたレイノルズが訪れたのは、美しい海だった。
浅瀬にクラゲが湧く時期。海水浴のシーズンは外れており、砂浜には人影が見当たらない。無論、レイノルズがここに来たのは、遊ぶ為ではない。
「遅かったじゃないか。無事に戻ってきてくれて何よりだよ」
人気のない桟橋を訪れると、釣り糸を垂らす男が、いた。レイノルズの存在に気がつくと、ヒラヒラと手を振る。人好きする微笑みを湛える彼は、一見すると単なる一市民だ。
「気楽に言いますねぇ。意外と今回、やばかったんですぜ? 持ってきたのが攪乱用の想創術でしたし」
「なのに二人も助けて戻ってきた。全く、君が味方で本当に助かったよ」
片手で竿を繰る男。ルアーフィッシングに興じているらしく、下を泳ぐ魚を欺こうとしている。
男――エリアルド・ハートレイは、ニッコリと笑ってレイノルズの苦笑交じりの抗議を受け流す。
一度竿を繰るのを止めると、エリアルドは一転して真剣な声色で尋ねる。
「コルナードの様子は?」
「……とりあえず、一命は取り留めました。で、話してみたんですが――どうやら彼は、『彼女』のことを知らんらしいです」
「そうか……やはりな」
ふと、ウキがポチャリと沈んだ。
エリアルドは即座にリールを巻きながら、竿を引いた。釣りなど何も知らないレイノルズにも、彼が手練れの釣り人なのだと察せられる。やがて危なげなく一匹のタイらしき魚を釣り上げた。傍らのクーラーボックスに魚を入れると、竿を置いてレイノルズに向き直った。
「機密情報なんでそりゃそうなんですが、とりあえずこれで、『新世界への引き鉄』がアレと無関係なのは確定しやしたね」
「彼の参入した経緯を知っていれば、予想は出来るさ。知っていながら黙って従えはしないだろう」
エリアルドの言葉を『違いねぇや』と肯定し、レイノルズは肩を竦める。
「それにしても……だ。レイノルズ」
「何ですかい?」
「新世界への引き鉄が壊滅してから、どうも上が騒がしいようだ」
「と言いますと?」
「『深化の花』が見つかったかもしれない」
桟橋の脚を、一際高い波が叩いた。海水の飛沫が打ち上げられ、秋の太陽に照らされて輝く。その輝きとは裏腹に、二人の表情は曇り一色だった。
「マジですか?」
「半々ってところだよ。ただ少なくとも、所在の特定に何かしらの進歩があったのは間違いない」
「……根拠は?」
「『バイラス・イル』と『グレイス』が、本部に召集された」
「……!!」
レイノルズは額から冷や汗を流し、息を呑む。
バイラス・イルとグレイス。
現状のアーシェラ最高戦力である『救世の光臨のメンバー。つまり、エリアルド・ハートレイの同僚。
しかし、彼らはノール派のエリアルドとは違い、エルシア派に属している。同じ組織ではあるが、最終的には争わねばならない間柄だ。
「もし『深化の花』が見つかれば、エルシアは大々的な侵攻作戦を実行するはずだ。そうなれば、二人のうちどちらかは確実に投入される」
「四世王が動けない今、事実上の最強はあの二人ですからねぇ」
レイノルズは、かつて見た二人の戦いを回想した。
性質こそ違えど、尋常ならざる『狂気』を身に宿した彼らの想創術は、思い出しただけで鳥肌が立つほどおぞましく――何より、強かった。
「それで、あっしに何をしろと? まさか、あの二人を封じ込めろとか言いませんよね?」
「ハハハ、流石にそんなことは言わないさ。私が頼みたいのは――」
エリアルドが、レイノルズの目の前まで近づく。会った時の人好きする笑顔は霧散し、そこには駒を動かし、勝利を手繰り寄せる『策士』の顔が宿っていた。
「確かめに行って欲しい。エルシアより早く、『深化の花』の所在を掴むんだ」
レイノルズの口元に笑みが浮かぶ。
嬉しいとか、楽しいからではない。笑うしかない、という心境故の笑いだ。
何故ならこの指示が意味するのはーー『魔導協会東京支部への単身突撃』。
「……あっしに死ねと?」
「ああ。実際に戦力を垣間見た君が適任だ」
「アレックスじゃなくて?」
「そうだ。代わりと言ってはなんだけど……」
策士はレイノルズの手を取り、何かを握らせるように指を畳ませた。
「私の『刃鱗鎧』を写していくといい」
その言葉一つで、レイノルズの胸に希望が宿った。
アーシェラ最強の部隊救世の光臨。その隊員である彼の想創術を借りられるならば、負傷者多数とはいえ、全支部でも屈指の練度を誇る東京支部を一人で崩すことも不可能じゃないと思えたからだ。
「それならまぁ……ワンチャン帰ってこれるかもしれないっすね」
「今空いてるなら、すぐにでも写させるけどーー」
「当然、今すぐでしょう。日が経てば経つほど、協会の戦力は戻るでしょ。エルシアに先越されるリスクも上がるでしょうし」
「OKだ。では、行こうか」
クーラーボックスと釣り竿を手に、エリアルドは眼を閉じる。レイノルズもそれに続き、二人は同時に声を発した。
「「外出終了。転送願う」」
『了解。エリアルド・ハートレイ、アルバート・レイノルズ両名の転送を行う。門解放』
無機質な機械音声がメッセージを発し終えると、一瞬で目の前の景色が失せ、銀一色の空間が目に映る。が、その一瞬後には、白一色の壁で囲まれた、殺風景な部屋にいた。
門から帰還した際に送られる見慣れた部屋。釣りの帰りといったエリアルドの格好が不似合い甚だしい。が、己の未来を考えると、笑う気など起きない。一つ、無駄話の種を蒔くのがせいぜいだった。
「その中、何匹いるんです?」
「七匹ぐらいだね。……今夜は食べ放題だ、楽しもう」
「強制ですかい。まぁ、構いやしませんが」
『その前に、ちゃんと写させて下さいよ』と肘で小突きながら、レイノルズは苦笑した。
協会とアーシェラの間に、近く起きるであろう大騒乱の予感を胸に抱えながら。