天国ではない
眼を開けた時、最初に目についたのは真っ白な天井。
次に、全身に感じる浮遊感。それが液体に身体を浸したものだとすぐにわかった。瞳を左右に動かすと、自身が箱の中にいることも理解した。
コルナード・ベルナードは、以上の点から自身の居場所を察知した。
「どうやら、天国じゃないらしいな……」
ここは、アーシェラ基地内部にある医務室だ。今自分がいるのは、治療用のカプセル。内部は医療用ナノマシンが無数に存在する特殊な液体で満たされ、身体を浸した者の負傷を治癒する。その性能は破格の一言で、全治三か月の怪我なら一週間もあれば完治してしまう。実際に死亡しない限り、死ぬギリギリのダメージでも、場合によって蘇生可能な大発明。
表舞台に出せば、永劫歴史に名を遺すだろうこのカプセルの中、コルナードは死に損ねたことの無念とまだ生きられる喜びが綯い交ぜになった感情を抱えつつ、一つの疑問を思い浮かべた。
「一体誰が……?」
俺をここまで運んだのか。
可能性としては、ミランかマリーンのどちらかしかない。だが、あの時は二人とも相当危機的な状況だった筈。それを切り抜けて、瀕死の自分を抱えて撤退出来る余裕が、果たして二人にあったのか。
彼の疑問に答える声が、カプセルの外で確かに響いた。
「あっしですよ、コルナード・ベルナード」
聞こえてきたのは、軽薄そうな男の声。唯一外界の景色を映す正面の窓から覗く、緑色の髪と、コルナードと同じ黒い瞳。
見覚えのない人物を前に目で困惑を表明したコルナードに、男は頭を掻きながら自己紹介を始める。
「あぁ、そういやアンタとは初対面でしたねぇ。あっしはアルバート・レイノルズと申します。アンタの同僚だったミランの旦那とは、仲良くさせて貰ってましたよ」
「同僚……だった?」
「そう、『だった』んですよ。てな訳で、アンタにバーンスタイン卿からの指令をお伝えします」
凡その現実を想定し胸糞の悪さを感じるコルナードに、レイノルズが指令書と思われる書類を読み上げる。
「部隊長バーン・ストレリアの殉死を以って、『新世界への引き鉄』は解散。コルナード・ベルナード、マリーナ・マリーンの両名は所属無しの隊員として、快復次第別の任務を充てる。……ってな感じのことが書いてますね」
「待て。マリーンは生きてるのか?」
「ええ。アンタ程じゃないですが、重傷でね。今アンタの隣にあるカプセルでぐっすりでさぁ」
「……そうか」
全くもって良い状況ではないが、最悪は免れた。
少しばかりの安堵を感じた後、コルナードは先程レイノルズが言っていたことを思い出した。
「……マリーンを助けてくれたのも、アンタか?」
「ええ。ですからまあ、少しぐらいは感謝してくだせぇ。あと一秒でも遅れたら、カプセルでも手遅れでしたんですから」
冗談を言う様な口調は、コルナードが如何に九死一生だったかを中和する為か。
気を失う前に、左胸に大穴を開けられたのを思い出した。自分が『内臓逆位』という特異体質で無ければアレで死んでいた。いや、普通は死んでいる。それを間一髪の所で、目の前の男は救い出してくれたのだろう。マリーンと一緒に。
「フッ、少しで済むか。俺はともかく、マリーンを助けてくれて有難う」
「……アンタは、彼女が死ねば悲しいんですね」
「何言ってる。あんな小さい娘が死んで何も感じないなんざ、それこそ人間じゃねぇよ」
「ハハッ、違いねぇ」
何処か意外そうな眼をしながら、レイノルズは頬を綻ばせた。
窓から顔を上げたレイノルズに、コルナードは残念さを隠さず問い掛ける。
「もう行くのか?」
「ええ。あっしとしても、もう少しアンタとお喋りしてたいんですが。生憎急ぎの用がありまして」
「そうか。……俺がカプセルから出られるのは、いつ頃だ?」
「そうですねぇ……胸ブチ抜かれてる訳ですし、最低でも二週間はナノマシンとお友達でしょう」
「二週間ね。……アンタ、好きなものは?」
「好きなもの、ですかい?」
不思議そうな顔で、レイノルズが再びこちらを覗く。
「強いて言うなら、寝てる時が一番幸せですかね」
「……なり羽毛のベッドでいいか?」
「よして下さいよ。あっしは恩着せる気なんてありやせんって」
「自分と、仲間の命の恩人だ。何もせずにいられるか」
「ハハッ、困りましたねぇコイツぁ。じゃあ一つ、この言葉を覚えてて貰えますか?」
気恥ずかしそうに頭を掻きながら、レイノルズは窓に顔を限界まで寄せてから、呟いた。
「『深化の花』」
聞き覚えはーーある。
確か、あのタキモト・ジュンなる人物が零していた言葉だ。魔導協会の隠語だと思ってあまり考えなかったが、アーシェラのレイノルズが知っているとなれば話は違う。
「何だよ、それは」
「そのうち分かりますよ。それが何か分かったら、あっし。それか、エリアルド・ハートレイを訪ねてくだせぇ。……それじゃ、お大事に」
少し引き留め過ぎたか、レイノルズは足早に医務室を出て行った。
エリアルド・ハートレイ。確か、最強部隊『救世の光輪』のメンバーに、そんな人物がいた。ノール派の親玉でもあった筈だ。
どういう人間かは知らないが、レイノルズは彼と繋がりがあるらしい。
という事は、恐らく彼はノール派の人間。しかし、エルシア派のミランと仲が良かったという。
「バーン隊長見てたら、両派閥が和解すんのは無理だと思ってたが……」
隊長が過激派なのか、それともミランやレイノルズが特殊なのか。
何方かは分からないし知るつもりもない。だが、レイノルズとの会話で、彼の中でアーシェラという組織そのものへの関心が生まれ始めた。
「深化の花……か」
深化の花。その正体と、エルシアの狙い。
これら二つを知った時、コルナード・ベルナードは大きな決意をする事になる。
だが、それが訪れるのはーーまだ、少し先の未来だ。