思い切った手
「ふむ……壊れてしまいましたか」
蛇型尖兵が破壊されると、ミランは透明化していたその姿を現した。尖兵の残骸を一瞥すると、空間に開いた小型の門から新たな尖兵を呼び出した。
「それにしても、良いんですか? 見た所キリスト教徒のようですがキリスト教で蛇は邪悪な生き物だったはずでは?」
「ええ、その疑問はごもっともです。私も好き好んで使っている訳ではないのですが、何分こちらにも事情がありましてね」
苦笑しながら体に尖兵を纏わりつかせるミラン。その顔には依然として余裕が見て取れ、まだ尖兵の代わりがいるということを暗に伝えているように感じられた。
だが、三船は既にミランの特性について一つの推察を立てていた。
まず、あの蛇型は今まで確認されていたタイプより単純な脅威度は高い。しかし、それでも所詮尖兵。東条や三船なら問題なく対処出来る程度の攻撃能力しか持たない。先ほどのように隠れてから完全な奇襲を仕掛けられればともかく、ただの飛びつきなら互いの死角をカバーし合っている今の状況では当たりはしない。
そこで一つ、不審な点がある。ミランの行動だ。姿を消すなどという困難な事象が扱えるなら自らも攻めた方が明らかに命中率が高い筈。
では、何故そうしないか。考えられる答えは、『ミラン自身は殆ど攻撃力を持たない支援特化の魔術師』ということだ。
「さて……そろそろ頃合でしょうか」
ミランが再び十字架を握りしめ、何かを呟く。
また何かするつもりか。牽制目的で矢を射かけるも、それはミランの後方から現れた何かによって容易く弾かれた。
それは、突如としてミランの背中から無数に現れ、三人に襲い掛かった。三船は右に避けながらそれの正体を確認する。
「……触手か!」
それはグニャグニャと奇怪に蠢き、しかしその先端には鋭い刃が備え付けられている触手だった。これは攻撃能力が無い、という推測が外れだったということでもある。
あれだけの触手があれば攻撃も防御も同時に行える。三船の攻撃力では先ほどのように矢を叩き落とされて終わりだ。
「東条さん、霧島! これから――二人とも!?」
二人に指示を出すために周囲を見渡したが、二人の姿が見当たらない。何処かへ逃げたと思い通信で呼びかけてみるも、応答が無い。
「オペレーター! 夏果、瀬良さん! 誰でもいい! ……クッ!!」
通信室へ呼びかけるも、繋がらない。これは、通信妨害がされている。その上で自分以外の姿が見えないのは、かなりまずい。こうしている間にも触手は三船に襲いかかってくる。
飛来した触手を避けると、虚空で何かとぶつかった。非常に重い、壁のようなものとぶつかったものの、再び手を触れた時には何も無かった。
「おやおや、どうやらお互いの姿が見えていないようですね。お気をつけください。ぶつかり合っては避ける事も出来ないでしょう?」
『見えていない』。彼はそう言った。つまり、二人は消えたのではなく『三船自身からは見えなくなっている』と言った方が正しい、ということになる。
しかし、それはーー。
「不可能だ……」
魔法の行使にはどれほど思考力を費やされるか、それが重要となる。例えば、小さな暗器を作る程度なら消費は僅少。平均的な強度の因子を持つ魔術師でも五つ程度なら容易いだろう。しかし、『空中での完全な遠隔操作』は非常に思考力を消費する因子に相当優れた者で無ければ出来ない芸当だ。
現在ミランが行なっているのは、『三船の視界から東条とアキラを消す』『自身の背後から無数の触手を生やし、複数に渡って飛ばす』という行為。どれも相当な消費を伴う行為であり、例えアーシェラが人外のものだとしてもそれを実行できるとは考えづらい。過負荷によって鼻血の一つでもあればまだ納得も出来たが、当のミランは相変わらず腹が立ってくる程に余裕の表情。
「どういうことだ……」
見えない、話せない二人の身を案じながら三船はミランを強く睨んだ。
*
「見えてるのよッ!」
壁の海水ゼリーから飛び出した錨を弾き、マリーンに向かって刺突を繰り出す。その一撃はホンファの全力だったが、マリーンにはひらりと躱された。足首まで海水に浸かっているこの状態では、やはり充分な一撃は放てない。
ただ、ホンファ自身もマリーンの攻撃パターンをある程度読めるようになっており攻撃を上手くいなせるようになってきた。
しかし、ホンファは地の利が相手にあること及び彼女の固有魔法の性質上思わぬところに不意討ちを食らう危険がある。不利なのはこちらだ。
「ちょっと〜〜、そろそろ当たってくれない!? マリーン、段々イライラしてきちゃった」
ホンファに捌かれ続けていたマリーンはアーシェラであることを忘れれば可愛げのある仕草で怒りを露わにしている。
好機だ。冷静さを欠き始めている今ならやれる。
「『閃玄砕牙』」
槍が、形を変えていく。それは圧倒的な質量を持つ突撃槍。鋭さよりその質量によって轢き潰す為の力。言うなれば、ホンファの『憎悪』が形となったかのような存在。
四神幻槍、突撃特化の型『閃玄砕牙』。
構え、全力で突貫する。狙いはマリーンーーの後ろの壁。
四方が海で構成されているようなこの部屋でわざわざ相手の土俵に乗る必要は無い。ならば、壁を破壊して別室へ移動するしかない。彼方も逃す訳にはいかないから追ってくるだろう。マリーンの方へ向かえば、彼女は自分狙いだと思い、判断が遅れる。
そして、ホンファの突撃をマリーンは避けた。狙い通りだ。そのまま、背後の壁に先端が突き刺さるーーその時、ホンファの手に何かが絡み付き、引かれる。
「鎖……!」
最初、部屋に入った時に受けたそれと同じ技。しかし、今回引かれたのは、手。大質量の物体とそれから噴出される推進力を制御していたのを崩されたホンファの両手から閃玄砕牙が離れ、水面を叩いて大量の水しぶきを上げた。その直後、下から現れた錨に足を打たれ落とした槍と反対に方向へ飛ばされた。
「上手くいくって、そう思った? ざ~~んねん、お見通しでした~~」
こちらを煽り、嘲笑う姿に今すぐ顔面を殴り飛ばしたい衝動に駆られるも、努めて冷静であるように精神を保ちつつ、新たに槍を形成した。あのまま取りに行けば、隙を晒すことになる。
しかし、壁から脱出することは読まれていた。どうやらあの餓鬼、多少なりと考える頭はあるらしい。だからこそ余計に腹が立つ。
「どうする……」
壁を破る手が使えない以上、この部屋で戦うしかない。が、地の利を利用されている以上不利だ。だからといってこちらが何かしら海水を利用しようとするのも現実的でない。何しろ相手は、足首まで水が浸かる状況で一切足を取られている様子が無い。浸水した状態で動くのは慣れているようだ。こちらが出来る程度の仕掛けなど見切られるだろう。
「こういう、時は……」
その時彼女が思い出したのは、先日のことだった。
*
「また、負けタ……」
本来なら純とやるはずだった模擬戦闘が、急遽出来なくなったあの日。彼女は純の代わりとして悠と模擬戦を行った。が、結果は九戦終えて全敗。
「結果は、そうですね。でも幾つかは危なかったですよ。特に七戦目は片足を奪われましたし」
「勝てなきゃ意味ないのヨ!」
悔しがるホンファを悠がフォローする。ホンファが上海支部に行くまでにも幾度となく繰り返された事だった。
「そうは言いますけど、アーシェラとの闘いは基本同じ相手とは二度と闘いません。だからこそ、確実に初見で仕留められるような手札が重要になります。その点で言えば貴方は既に充分な領域に達しています」
「虎の子の『追白虎月』を平然と初見で叩き落としたクセに」
ホンファがジト目で悠を見据える。一戦目、どうにか槍をかすらせた後で投げつけた追白虎月を簡単に対応されたことはかなり悔しかった。向けられた視線に苦笑いを浮かべながら悠が話を続ける。
「あはは……まぁそういうことですから、あまり焦って型を崩す方が危険です」
「それは、わかってるケド……」
「それでもこちらの手札が通用しない場合は……『思い切った手を打つ』のもありかと思われます」
「思い切った手?」
「例えば、一見すると自爆にしか見えない行動なり、相手が『これだけはやらないだろう』と考えるような手をあえて打つといったことです」
「要するに、相手の予想を超えろってことネ」
「有体に言うと、そうなります。経験を積めば自然とそういった行動を取れるようになるでしょう」
「ソ。じゃあその経験の為に、もう少し相手して貰おうカシラ」
「……そう来ると思いました」
*
相手の予想を超える。
言うだけなら簡単だが、やるとなれば話は別だ。事実、さっきそれをやろうとして失敗したばかりだ。
そして、もう一つ思い出したことがある。それは、後日改めて行われた純との模擬戦。あの時、短く軽い追白虎月を接近専用武器として使った。
『投槍だからって投げるためにしか使っちゃいけない、なんてルール無いのヨ』
「……よし」
「すっかり静かになっちゃったね。もしかして、がっかりしちゃった? じゃあもう……何も考えないでいいようにしてあげるね。バイバイ、ヒトモドキさん」
一つ、試したいことが出来た。これを破られれば、いよいよここで戦うしかなくなる。ホンファは左から飛来した錨を弾いた後、槍を水面に叩きつけてマリーンに水しぶきによる目くらましを仕掛けた。こんなものは一瞬しか効果は無いだろう。それでもいい。少しでも、成功率を挙げたかった。
「『閃玄砕牙』」




