新世界への引き鉄
アーシェラと魔導協会が接触する少し前。廃棄区画から少し離れたビジネスホテルの一室に彼らはいた。
「魔導協会が来るとのことですが、やることは先刻のことと同様でしょうか」
「ああ。旧人共が接近すれば殺す。そういう任務だ」
「ん~~、それは良いんだけどさぁ。何でわざわざお墓なんて作っちゃうわけ? ヒトモドキさんの死体なんて砂かければ充分じゃん」
「いけませんよ、マリーンさん。彼らは只、無知なだけです。無知は罪と言いますが、私に言わせればそれを責めるのは酷というもの。それに、生き物が天に召されれば埋葬するは人の道理でしょう」
「あ~~、そういうこと。それならマリーンにも分かる」
会話をしているのは、三人の男女。アーシェラより『ある任務』のために派遣された彼らは、アーシェラの中でも一般兵より高い地位に位置している。
ミランと呼ばれたカトリックの祭服を身に纏った男は、人当たりの良い笑顔を保ったまま周囲を見渡した。そこで、あることに気が付く。
「ところでバーン殿。『コルナード』殿の姿が見当たりませんが」
「アイツは放っておけ。どうせ屋上にでも忍び込んでいるんだろう」
「コルと煙は高い所は好きだからね~~」
これから作戦を開始するというのに、仲間が一人いないというのは不自然だった。が、『部隊』を指揮する権限を与えられているこの男が言うからには、問題は無いのだろう。
ミランはそう考え、深くは考えないようにした。どう転んでも、なるようにしかならない。
「コルナードにはまた追って伝えるさ。それより……始めようか。『マリーナ・マリーン』」
「はいは~~い」
「『ミラン・クライスト』」
「ここに」
「今日まで私『バーン・ストレリア』について来てくれたことを感謝する。これより我々は、『建設予定地』により着く旧人共を排除し、エルシア様の築く新たな世界への一歩を踏み出す」
バーンと言う指揮官らしき男が立ち上がると、残りの二人も続いて立ち上がる。
「行くぞ。我々は、アーシェラ戦闘部隊『新世界への引き鉄だ』」
*
駆け出したホンファに向かいマリーンは錨を叩きつけるように振るう。その一撃を軽く避けると、跳躍して槍を突き出す。
相手の固有魔法があの錨だということは分かるが、どのような能力があるか分からない。しかもこちらは水に足を取られて機動力が低下している。悠なら、まず慎重に立ち回って相手の出方を伺うだろう。が、彼女は違う。アーシェラを憎む彼女は、一秒でも怪物を視界に入れないよう、なるべく早く片付けようとする。能力が分からなくても、それを発揮される前に突き殺せばいい。
「ざーんねん♡」
その一心で繰り出された刺突は、マリーンを射止める前に水中から現れた錨に阻まれた。錨に横から攻撃された彼女は間一髪で錨を弾いたものの、威力を殺しきれず吹き飛ばされた。
何かヌルヌルする壁に叩きつけられ、肺から酸素が押し出される。呼吸を整える間もなく、錨が彼女の『後ろから』飛び出し、背中を撃たれる。海水で満たされた床を転がされると、今度は『海中から』錨が飛び出して彼女を打ち上げた。
何が、どうなっている。困惑する彼女の目に、神経を逆なでするような下衆な笑みを浮かべたマリーンがいた。
「あはは、お魚さんみた~~い。でもこんな汚いお魚さん食べたくな~~い」
腹立たしい声が鼓膜を揺らす中、空中で体を翻して先ほど自分が背中を預けていた壁を見た。見ると、どうやってかは知らないが壁も薄っすらと水に覆われているらしい。先ほど壁がヌルヌルしていたのはそれが関係しているようだ。
そう考えていた途端、壁から何の前触れもなく錨が飛び出して来た。しかし、これはまだ『見える』。味覚に鉄の味を与える血反吐を吐き出し、槍で錨を叩き落とした。その威力で再度壁に叩きつけられるが、どうにか打たれ続けることは免れる。
「これって……」
ホンファは叩きつけられた壁に手を当てる。そのヌルヌルした手触りは、まるで『ゼリー』のようだった。
「まさか……!」
爪を立て、ゼリー状のものを削り取り、舐めてみる。彼女の味覚がはじき出したその味は、『塩味』。この壁を覆うゼリー状の物質の正体は、『ゼラチンで固められた海水』。
それが分かったことで、ホンファは大体マリーンの固有魔法の性質に当たりをつけることが出来た。
「さしずめ、『海水に溶ける錨』ってところかしら」
ホンファの言葉を聞き、マリーンは驚いた顔で一応の賛辞を述べる。
「わ~~すご~~い。良く分かったね、ヒトモドキさん。でも、分かったところでどうしようもないんじゃないかな? アタシの『深海の錨』をここでどう打ち破るの?」
*
「ここから天井をぶち抜けば……」
迫り来る尖兵を片付けた純は、悠がいる部屋の真下――ホンファがいる部屋――の隣にいた。部屋から音が聞こえる以上、ホンファの事も心配だったが今は悠のことが先だ。純なら跳躍して殴りつけるだけで簡単に天井を破壊出来る。今拳を握り、それを実行しようとしていた。
そこで、背後から殺気を覚える。
振り向くと、人型の影がこちらへ向かって来ているのが見えた。反射的に左へ避け、右の拳を繰り出す。影は素早く後方へ下がり、それを回避すると軽い口調で話し始めた。
「っとぉ、危ない危ない。奇襲を避けるどころかカウンター狙ってくるかぁ……さてはアンタ、出来るな?」
部屋の周囲が光で明るく灯される。それに伴い、影の姿が明確になった。それは純に近い年頃の男で、逆立てた黒髪と赤い瞳がよく目立つ。両手には漆黒のトンファーが装備されており、これで純を殴殺しようとしたのだろう。
「生憎、不意打ちには慣れているんでな」
「気配消すのは得意だと思ったんだけどな。自信無くしちゃうぜ。とまあ、それはさておき自己紹介からさせて貰うぜ」
男は獰猛な笑みを浮かべると、両手のトンファーをスムーズに回しながら名乗りを挙げる。
「俺は『コルナード・ベルナード』。俺の生まれ故郷の古い言葉で『真っ直ぐな鉄人』って意味さ。あぁ、先に言っとくが俺は他の連中とちょいと違う。アンタらのことを旧人だのヒトモドキだのなんて思っちゃあいねぇ。俺はただ、俺の心に立てた誓いを果たすために戦う」
純は、コルナードに対して奇妙な感覚を覚えていた。彼からは最近戦った二人のアーシェラとは違い、こちらに対する『怒り』や『憎悪』と言った感情を全く感じなかったからだ。それが逆に不自然で、この男の存在を不気味なものにしている。
「……なぁ、そっちも名乗っちゃあくんねぇか? 一戦交える相手の名前知らないのもちょっと辛いし」
「……名乗って何になる。これから倒すヤツに名乗って……」
そう呟くと、純は全力で床を蹴ってコルナードに肉薄した。戦闘モードに入っていない今がチャンスだ。相手が構える前に頭を掴み、杭を射出する。
「貫け。杭――ッ!?」
直後、純に対し強烈な向かい風が吹いた。それを吹かせているのは間違いなく目の前のアーシェラだろう。一瞬気を取られたが、それでも直ぐ杭を射出した。が、杭が貫くはずだったコルナードの頭部は既に純の手元を離れ、杭が齎した傷は彼の眉間の針先程度のものでしか無かった。
「ッハハ! こりゃあ当たったら――」
風を起こしていたのは、コルナードのトンファーだった。普段肘に向けられている長い棒を反転し、前方へと向けていた。そこからジェットのような強力な推進力を吹かし、純の手から逃れられたのだ。
そして、奥の手の杭を外された以上次の一手は、コルナードのものだ。
「やばかった、なァ!!」
コルナードは素早く手首を返して推進力を自身の後方へ向けると、それを活かして純に高速で接近。握り込んだトンファーを正拳突きのように突き出し、純の眉間を撃ち抜いた。
強力な一撃を受けた純は盛大に吹き飛ばされ、部屋の壁はおろか廊下まで突き抜け、階段を転がって踊り場の壁に叩きつけられた。
「ハハッ、随分派手にスッ飛んだなぁ。だから名乗っとけって言ったよぉ。何て言うんだろうな、アイツ……」
何かの競技中かのような楽し気な笑顔を浮かべるコルナードとは対照的に、純は壁に背をつけた状態で血を流す頭を垂れていた。




