その夜
それからは特に何事も無く、穏やかに一日が過ぎていった。維月が支部長に対して『自然体の魔導協会が見たい』と言ったことから、案内などは最低限のもので良かったため純たちの仕事はあまり無く、問題が懸念された食事面も、過去に一般的な生活を経験したこともある彼女には口に合わないことも無かった。もしそうでなければ、彼らが退勤後に四人でファミレスに入る、という現在のようなことも無かっただろう。それぞれ違うドリンクを入れたコップを脇に置いて四人は談笑する。
「君たちも知っていると思うが、父が代表を務める『海城建設』は建設業界において日本最大の企業だ。そして最近では、他の企業、団体に対しての投資も行っている。投資先は将来性を感じた企業なり研究機関。『魔導協会』も、出資先の一つだよ」
「そうだったんですか。 ということは、維月さんは出資先の魔導協会の視察のために?」
「いや、それならそう言われるだろう。私は本当に『魔導協会東京支部へ行け』と命じられただけだから、よくわからん」
「確かにそうだとしたら、東京支部よりニューヨークの本部に行った方が良いでしょうしね。維月さん、英語得意でしたし」
「ん~~、それだったらもしかして……」
純と維月の会話に、オレンジジュースをストローで啜っていた愛花が参加する。
「維月さんのお父さんが私たちに会わせるため、かもしれませんよ?」
「それなら嬉しいが――」
「ねぇよ」
ここで、今までただ聞いていたアキラが初めて口を開いた。コーラの入ったコップ――普段なら二種類以上のドリンクを混ぜて妙なものを作るのだが――を力強く、握りつぶさんとするかのように強く握りながら、普段からは想像も出来ないような低い声で。
「あいつに限ってそんな気の利いたことはしねェ、する訳がねェ。あいつが五年前、維月姉ぇを無理やりオレたちから引き離したのはお前らだって知ってるはずだろ? そもそも、勝手な話が過ぎるだろうがよォ。自分の息子に『逃げられた』のだって――」
「アキラ!」
「……チッ」
純に咎められ、アキラは口を噤む。純の表情も曇っていたが、単にアキラに苛立ったからではない。むしろ純としてもアキラの心情は理解出来るし、維月の父に良い印象を抱いていないのは彼も同じだ。それでも、口にしていい時と場合がある。彼としても維月に嫌われるような真似はしたくないだろうが、それでも言わざるを得なかったのは、やはり彼の怒りが自身のそれとは比べ物にならない程のものということだろう。
「いいさ、純。アキラが父に怒るのも無理はない。私とて、まだ完全に納得した訳ではないんだ」
「維月さん……」
「……っと、辛気臭くなってしまったな、すまない。それより、別の話をしようか」
気を紛らわせるかの様にカップに注がれたアールグレイを啜ると、四人のテーブルの横に緑と白の制服を身に着けたウェイトレスが料理を持って現れる。
「お待たせしました。粗挽きビッグハンバーグプレートとマルガリータ、ナポリタン二人前とカルボナーラです」
「どうも」
純はハンバーグを愛花の前に、マルガリータをテーブルの真ん中に、ナポリタンを自身とアキラに、カルボナーラは維月の前に置いた。純が両手を合わせてからフォークを手に取りつつ、ハンバーグを頬張る愛花の姿を横目に見る。
そういえばーー。
「そういえば、私が初めてお前たちを食事に連れて行った時も、愛花はハンバーグを食べていたな」
「ああ、それ丁度俺も思ってました」
「マジか、二人ともよく覚えてたな」
「食べる時の幸せそうな顔が印象に残っていたからな」
「美味い物食べてる時は大体こんな感じですけどね。お陰で愛花といると、いつもより飯が美味く思えてきます」
純は少し不恰好に巻かれたスパゲッティを口に運んだ。維月の横ではアキラがスプーンとフォークでスパゲッティを絡め取っている。
「ん? 何か言った?」
「いや、愛花が美味しそうに食べてるってことを維月さんと話してたんだ」
「だって美味しいもん! ちょっと食べてみる?」
「いいよ、それ食べたことあるし」
愛花は少しだけ残念そうな顔で、差し出したハンバーグを自分の口に運んだ。
「む、すまない。少し席を外させて貰う」
「はい」
維月が席を立つと、ある方向へ向かっていく。
「あれ、どこ行くんだろ」
「……察してやれよアキラ」
「あ、そういうことか」
いまいち察しの悪いアキラに軽く呆れつつ、純は茶を啜る。
「ところでだ、アキラ。今日は混ぜないのか? ドリンク」
「いや、混ぜる訳無いだろ。維月さんの前だぞお前」
「良かったよ」
「お前馬鹿にしてるな? 俺を甘く見てるな? よし分かった、先月お前を震撼させた『麦茶オレンジコーヒー』をもう一度味わうがいいぜ」
「確かにアレは凄まじかったけど、あの後制作者のお前が全部飲む羽目になったのを忘れたか?」
「あの時の霧島くん、十分ぐらい動けなくなってたよね……」
アキラの開発したオリジナルドリンクは大抵がとんでもないものだが、その中でも『麦茶オレンジコーヒー』は過去最悪クラスの味だった。むしろ純に飲ませて反応を楽しんでいる節さえあり、前回は報復の意味も込めて普段は意地で飲み干すところをアキラに飲ませた。
『お、おい純。出されたものを残すのは客としてマナーが悪いって言ってたよな?』
『ああ、よく考えたら俺はお前に金を払って飲んでいる訳じゃなかった。つまり客じゃなかった。客じゃない俺にこれを飲む義務は無いんだ。じゃあこれの処分は誰がする? 製作者のお前じゃないのか?』
「あの後考えたんだがよぉ、普通に差し出されたモン飲まねぇって失礼じゃね? そこんとこどうよ」
「最初から相手を苦しめる目的で飲ませる方がどうかと思うけどな」
「毎回断らずに一口は飲む純も純だよね……」
「それはまあ話が別だよ」
「別なんだ……」
*
二人と別れてから愛花はソファに倒れこむようにして横になった。
「おい、スカートで足広げて寝るんじゃない」
「純ならいい~~」
「俺だからじゃなくてだな……」
随分と疲れた様子でだらしなく足を伸ばした格好の愛花に頭を抱えつつ、麦茶をコップに注いで渡す。身体を起こして受け取ったものの、直後胸元に零してしまった。
「大丈夫か?」
「あ、うん……。でも、ちょっと身体がフワフワするかな」
「身体が……?」
よく見ると顔色が良くない気がする。女性をまじまじと見るのは躊躇われたものの、今は仕方がないと己に言い聞かせて彼女の様子を観察した。
まず、息が荒い。今日は色々なことがあったので疲れるのはわからないではないが、それにしたっておかしい。そこまで考えた次の瞬間、愛花が咳をした。
「……まさか」
額に手を当てると、掌から熱が伝わってきた。
直ぐに体温計を持ってきて咥えさせる。表示された数字は『37.7』。
「風邪だな。とりあえず、寝るならベッドでな。歩けるか?」
「うん、ちょっとフラフラするけど大丈夫~~」




